第196話 セシリアからの提案
陽の光が差し込む城の一角、医務室から執務室へと場所を移したユリウスは、まだ本調子ではない体を労わりながらも、徐々に日常へと戻る準備を整えていた。
テーブルにはアルがいれてくれたお茶が湯気を立てている。
「やっぱりアルの紅茶はうまいな」
ユリウスが微笑みながら口にすると、隣に座るミリも頷く。
「おう。変に高級な茶葉より、アルのいれる方が落ち着くな。……って、兄貴。今日も顔色いいじゃねぇか」
穏やかな空気が流れるなか、扉がノックもなく勢いよく開いた。
「ユリウス、結婚しましょう」
ズバンッと。まるで魔導バリスタが放たれたような一撃。
「――ぶっ!?」
ミリがお茶を盛大に噴き出した。飛び散った液体はユリウスの顔と服に直撃し、アルが慌ててハンカチを持って駆け寄る。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫!? こぼれたところ、すぐ拭くからねっ!」
「い、いや……だいじょ――ぶ。ミリ、喉に詰まらせるなって……」
ユリウスが咳き込みながらも苦笑いを浮かべる。その間もアルはユリウスの胸元に顔を突っ込む勢いで、ぴったりと拭いている。
そしてもう一人の張本人、セシリアはというと――まったく動じず、涼しい顔で一歩踏み出してきた。
「驚かせてしまいましたか? でも、これは必要なことなんです」
「せ、セシリア……君、今なんて……?」
「ですから、結婚です。ユリウス。あなたと私が夫婦となることは、帝国再建の鍵になるのです」
「ちょ、ちょっと待て!」
ミリが口の端を拭いながら立ち上がる。
「意味がわかんねぇぞ! 結婚って、何の話だ!?」
セシリアはアルの手からハンカチを受け取り、ユリウスの隣に座りながら、真剣な目で語り始めた。
「先日、アーベントとリルケット、それに私で話し合いました。――いえ、話し合いというよりは、帝国という亡霊を、どう整理するかという政治的な試算です」
「……政治の話?」
「ええ。いずれ傀儡の皇帝は退位します。帝都も混乱するでしょう。そのとき、私――セシリア・フォン・グランツァールが皇帝を継承すれば、正統性を得た政権が生まれます」
「ふむ……それは、わかる。でも僕が結婚する必要が?」
「あなたが私の夫として側にいれば、政治的にも軍事的にも反対勢力に口実を与えません。そして建前としては、あなたが“皇帝の夫”という形で帝国を支えれば、民衆の反感も受けにくい」
「……なるほどな。でも……それで君はいいのか?」
セシリアは一瞬、黙った。そして、わずかに顔を赤く染める。
「私は……あなたと過ごした時間の中で、本当に変わったんです。愛する人と結婚できて、しかも
、帝国を復興できるんですよ!」
言い終えると、彼女は真っ直ぐにユリウスを見つめた。
その気迫に、ミリが思わず視線を逸らす。
「くっそ、真面目に言われると何も言えねぇ……でも、でもな、結婚ってのは――」
「私も!」
割り込むように、アルが手を挙げる。
「アルもお兄ちゃんと結婚する! お兄ちゃんの子供を産んで、帝国の未来をつくるの!」
「アルは黙ってて!!」
「ちょっと!? なにその発言!!」
ミリとセシリアの声が重なり、執務室が一気に修羅場のような空気に包まれた。
一方、ユリウスはというと――紅茶のカップを手にしたまま、静かにため息をついていた。
(……やれやれ。まだ、本当の日常は……もう少し先になりそうだな)




