第189話 朝の戦争
朝。ヴァルトハイン城の食堂には、焼きたてのパンと香ばしいスープの香りが漂っていた。
ユリウスは椅子に腰を下ろし、まだ湯気の立つカップを手に取る。
「今日のスープ、ミリの新開発か。香辛料の配合が絶妙だな」
「ふふん、だろ? これでも毎朝試行錯誤してんだぞ」
誇らしげなミリに、ユリウスは素直に頷いた。
セシリアも隣でコトコトとスプーンを動かしている。対面には、アルがパンをふわふわちぎっては口に運んでいた。
その時だった。
ユリウスがスープを口に運ぼうとした瞬間――
ぷちゅっ、と勢いよく跳ねたスープが口元に飛び、彼の頬に一筋の金色の滴を残した。
「あっ、お兄ちゃん」
アルがスッと立ち上がったかと思えば、
目の前までつつついっと歩いてきて――
ぺろっ。
「!?!?」
ユリウスの頬を、アルの小さな舌が優しくなぞった。
「……っ」
セシリアは目を見開き、スプーンを落としかける。
そして顔がパッと赤くなり、口をパクパクと開いたまま言葉を失う。
「な、な、な、な、な……!?」
ユリウスは石化。
ミリは椅子を蹴るように立ち上がる。
「お、おま……! なにを感情込めて何度もなめてんだよおおおおッ!!」
「え……だって……妹として当然のことを……」
アルは涙目で、しょんぼりと呟いた。
「妹ヒロインは、お兄ちゃんの顔についたスープを、ぺろりとやさしく、ちょっと照れながらなめ取るのが……テンプレートで……」
「テンプレやめろ!! 拭けばいいだろ普通は!!」
「うう……でも、なめて拭き取るのが、妹の常識……」
アルの目に涙が溜まり、潤んだ瞳でユリウスを見る。
「お、お兄ちゃん……やっぱり迷惑だった……?」
「いや、あの、迷惑っていうか……その……!」
ユリウスは慌てて手を振る。
「ちょ、ちょっとだけびっくりしただけで……泣かないで……!」
と、アルの頭をなでていたその瞬間――
「な、なめるのが妹の常識なら……婚約者だって、なめて当然だよな!?」
「いや、それはちょっと待て」
ミリが目をギラつかせて立ち上がった。
「兄貴、お前のスープ、もう一回跳ねさせる方法ないか!? ほら、もっと豪快にすすれ!」
「落ち着け! というか目的が変わってる!」
セシリアは真っ赤な顔で目をそらしながら、
「……わ、私は……スプーンで、ちゃんと拭ってあげる……」と小さく呟いた。
誰も聞いてなかった。
朝の食堂には、戦争の気配が漂いはじめていた。




