第173話 工場の中で
「な……なんだ、ここは……!」
ベルンハルトの護衛が呻く。
目の前に広がるのは、鉄と油の匂いが立ち込める異質な空間――鋼鉄と蛍光灯の迷宮。
整然と並ぶ加工機械、天井を走るコード、壁の配電盤。
異世界の常識では理解できない、前時代的な無骨さに満ちた「工場」。
「魔素の流れが……見えない……?」
セシリアがそっと魔導式の回路板を撫でる。しかし魔力は応じない。重く、沈黙した空気のなかで、彼女は声を落とす。
「……アンチ魔素フィールドでも動作する。これ、完全に魔導錬金術の上位互換よ」
「ふざけるなっ!」
ベルンハルトの護衛が怒声とともに剣を構える。だが、魔力を込められないその刃は、ただの鉄塊だった。
「この空間は、お前たちの“信仰”も、“祈り”も通じない世界だ」
そう言い放ったユリウスは、壁際の赤い筒――消火器を手に取ると、ピンを抜き、護衛たちへ向けてレバーを引いた。
ブシャアアアアッ!
消火薬剤が白い霧となって噴き出し、視界を一気に覆い尽くす。
「くっ……目が……!」
「煙!? 魔導の幻惑じゃない、何か、物質だ!」
「セシリア、ミリ、伏せろ!」
視界が曇った瞬間を逃さず、ユリウスは床に転がる鉄パイプをつかみ、音もなく近づいていく。
ひとり、剣を手探りで振るう護衛。その側頭部に、鋭い一撃。
ゴンッ!
鈍い金属音が響き、男は声もなくその場に崩れ落ちた。
ユリウスはかつてライナルトよりも剣技は上であった。
今でもその動きは遜色ない。
もう一人が振り返る。
「どこだ貴様……!」
彼の足をユリウスがすかさず蹴り払った。
「道具が無ければ、あんたらなんも出来ねぇんだな!」
その隙にミリが背後から接近し、金属製のスパナで後頭部を打ち抜く。
「なんか、ここにあるスパナ光っててカッコイイんだけど」
叩いた後でスパナを眺めるミリ。
「宗教の名を騙って、何をしてきたか。今こそ報いなさい!」
セシリアはベルンハルトに言い放った。
倒れ込む護衛たちの奥で、ベルンハルトだけが震えていた。
「ば、馬鹿な……。わたしは神の代理……。なぜ……なぜ、このような場所で……!」
壁際に追い詰められた彼の目に映ったのは、金属の階段。手すり。見慣れぬ表示板。蛍光灯。
「ここは……どこだ……!?」
「“僕の世界”だよ」
ユリウスはパイプを手に、ベルンハルトを睨み据える。
「魔素が使えない? 信仰が通じない? ……そんな世界を壊してきたお前たちに、死神が迎えに来た」
ベルンハルトはよろめき、腰を落とす。
「ま、待て……話せば……共に真理を探すこともできる……っ!」
「遅いよ。あんたは、リィナを――俺の仲間を殺した。もう、誰の声も届かない場所に来ちまったんだ」
暗く、照明の鳴る音だけが響く工場の中。
パイプが振り上げられた。
「地獄で、自分の信仰にでも救われろ」
静かに、鉄の音が響いた――。




