第169話 追い詰められる旧律派
帝都地下、旧修道院の奥にある古い拝謁室。
蝋燭の明かりがほのかに灯る中、重く湿った空気が石壁にこもっていた。
「……いくつ目だ。今月だけで、いくつのアジトが連絡を絶った……?」
蝋燭の火を睨みつけながら、ベルンハルト枢機卿が苛立たしげに呻いた。
その目元には深い隈があり、ここ数日の焦燥と疲弊が露骨に刻まれていた。
「七つ目ですわ」
黒のマントを羽織った女――ヴィオレッタが、ゆるやかな声で答える。
「連絡の取れない者も含めれば、それ以上でしょう。信徒の半数近くが行方不明、または死亡と見て間違いありません」
「なぜだ! なぜ、誰も姿を見ていない!? なぜ、我らの動きがこうも簡単に読まれる……!」
ベルンハルトは机を叩きつけ、立ち上がった。
「貴族どもは何をしている! 兵を出すと約束したはずだ! あのアーデルハイトも、ラズローも、肝心な時に何の役にも立たん!」
「……失礼ながら、貴族はあくまで貴族です」
ヴィオレッタは表情一つ変えずに言った。
「結束は脆く、利害の一致がなければ動きません。そもそも、この“狩り”の背後にいる者が誰かも、彼らは把握していないのです」
「見当がついているのだろう!? 言え、ヴィオレッタ。誰だ。誰が我らを嗅ぎ回っている」
「言うまでもないでしょう?」
ヴィオレッタはかすかに唇を歪めて微笑んだ。
「――ヴァルトハインです。おそらくは、あの兄ユリウス。旧律派に最も打撃を与える者にして、最も怨まれている相手。その動機も、実行力も、すべてを備えています」
「……だが、証拠はない」
「ありません。ただし、無傷でこの精度の奇襲を仕掛けられる組織は限られています。軍か、それに準ずる特殊部門。中途半端な貴族が手を出せる領域ではありません」
「ちっ……! だからといって、我が教団が為すべきことをやめるわけにはいかん!」
ベルンハルトは机の上に散らばる写本の一枚を取り上げる。
「我らは“真の人類”を創造する――旧律の理を以て、世界を正す。……そのための力は、すでにある」
「ヘカテーのことですか?」
「そうだ。08――あれが手に入った以上、同じようなものが眠っている場所がある。写本によれば、まだ“二機”……いや、“三体”存在する可能性が高い」
「それが真であれば、喜ばしい限りですね」
ヴィオレッタは静かに言う。
「ですが、その前に貴方が討たれれば、意味がありません。隠れてください、ベルンハルト様。今は生き延びることが勝利への道です」
「黙れッ」
ベルンハルトの声が、石室に響いた。
「貴様に何が分かる! 我が血を注いできたこの教団が……愚かな貴族どもと、偽りの技術に蹂躙されるのを、黙って見ていろというのか!」
「過去と同じ過ちを繰り返す気ですか?」
ヴィオレッタの声に、ほんの一瞬だけ冷気が宿った。
「目立って迫害される。それでも、生体ゴーレムにこだわる、今さら言うまでもないでしょう? ……あなたの無謀な行動は、教団全体を危機に陥れる」
ベルンハルトはヴィオレッタを睨んだ。
だが、彼女の表情は崩れなかった。
むしろ、薄暗い光の中で、その瞳は楽しげにさえ見えた。
「貴様……何を考えている?」
「私は“混沌”が好きなだけですよ。人々が泣き叫び、秩序が焼き払われるその光景を」
ヴィオレッタはくるりと踵を返した。
「けれど、勝つためには手順も踏まねばなりません。――どうぞ、もう一度だけ考え直して。あなたが“神”を手に入れるためにも」
扉の開閉音だけを残し、彼女は去った。
蝋燭の炎が揺れ、ベルンハルトの眉間に深い皺が刻まれる。
「ふん……愚か者め。結局、最後に世界を変えるのは“信仰”だ。貴様のような気まぐれ女ではない」
彼は再び机に向かい、古い写本を開いた。
その目は、焦りの奥でなおも燃え上がる――
狂信の炎に、濁っていた。




