第168話 排除開始
夜の帳が帝都の一角を包む頃、貴族街の裏路地に面した古びた商会の倉庫に、黒衣の影が音もなく現れた。
そこは「トルメン商会」を名乗る無名の取引所――だが、実態は旧律派の祈祷所兼物資輸送拠点であると、シャドウウィーバの調査で明らかとなっていた。
倉庫裏の脇門で、黒髪を短く刈り込んだ青年が無線通信の封を確認していた。
ディルク・バルネート――特務第九部隊の隊長にして、エリニュス作戦の初動を任された男。
痩躯にしてしなやかな体格。身長は平均より少し低めだが、それが都市戦において“通路を通り抜け、物陰に潜み、先手を取る”のに有利に働いていた。
その灰色の瞳は、街灯の光すら反射せず、静かな獣のような鋭さを湛えていた。
「侵入経路、確認。隊形は狭所対応、室内散開型で行く。魔導支援班は二列目固定」
「了解、隊長」
ディルクは腰のホルスターに手を伸ばし、黒く短い銃を引き抜いた。
それはセシリアとミリによって設計・製造されたばかりの新型火器。
9ミリの魔素圧縮弾を用いた反動制御済み自動拳銃――騎士の片手にも収まる戦術兵装。
「剣は振れぬ空間でも、これは撃てる。銃弾に魔導詠唱はいらない。撃ち続けろ、息をするようにな」
小声の指示を終えると、手で合図を送る。
魔導静音爆薬によって扉の錠前が吹き飛び、音なき破城の瞬間が訪れる。
「敵襲――!な、なんだ貴様ら――!?」
中にいた旧律派の信徒たちが、瞬時にパニックに陥る。
机の奥では聖印を刻んだ魔導端末が赤く光を放ち、扉の横では自警団を装った魔導兵が抜刀しようとしていた。
だが、彼らが叫ぶより早く、黒衣の部隊は全方位に銃口を向けていた。
パン、パン――ッ!
連なる銃声。
旧律派の自衛兵が一歩踏み出す前に、胸元を撃ち抜かれて後ろに倒れる。
倒れる兵の陰から別の信徒が詠唱を始めるが、その喉元にもすでに照準が合っていた。
「第一階層、制圧完了。死者三名、生存者二名拘束」
「地下通路あり。第二班、降下準備――」
ディルクは壁際で崩れた敵兵のポケットを探り、刻印入りの護符を見つけた。
古代アルケストラの呪符を模した意匠。その材質は獣皮でも、魔導紙でもない――人皮。
「……やはり狂信者か」
銃を収めず、無線に向かう。
「第九部隊より本部へ。帝都アジト、制圧完了。対象“トルメン商会”は旧律派の中規模拠点。聖印保有者の捕縛には至らず。次なる目標座標を」
通信を終えたディルクは、ふっと長く息を吐くと、部下たちに向かって告げる。
「次の拠点に移動する。エリニュス作戦は継続中だ。……躊躇うな。これは、復讐だ」
その言葉に、隊員たちの眼が鋭く光る。
誰も口には出さなかったが――
この男もまた、亡きリィナの墓前に誓った者の一人だった。
そして、次のターゲットへとうつる。
帝都近郊、廃墟となった駅馬車用につくられた駅舎の待合室。
石の壁には風の音が反響し、崩れかけた柱の隙間から月光が差し込んでいた。
「……本当に、ここにアルケストラ時代の遺跡の情報を持った相手が?」
年嵩の男が、苛立たしげに肩をすくめた。旧律派上級祈祷官マルガレフス――幹部の中でも古参で、数多の魔導儀式に関与してきた。
「はい、間違いありません。信頼筋からの情報です」
彼の背後でそう答えたのは、漆黒の外套に身を包んだ二人の男――いずれもシルヴァーナに匹敵する実力を持った旧律派の刺客たち。
片方は長身で、無骨な斬馬刀を背負い、もう一人は魔導強化の施された双剣を手にしていた。
「裏切りがあれば、相手の命を奪うまで、か」
マルガレフスはそう吐き捨て、駅舎の奥へと足を踏み入れた。
――その瞬間。
「撃て」
乾いた声とともに、闇に隠れていた黒衣の影が動いた。
パン! パンパンッ!
三発の銃声が闇を裂く。双剣の刺客が反応する前に、心臓と喉を撃ち抜かれて崩れ落ちた。
もう一人の斬馬刀の男が雄叫びを上げ、刀を振り抜こうとした――が。
「無駄だ」
ディルク・バルネートの放った一撃が、眉間を撃ち抜いた。
強化筋肉も、反射速度も、弾速の前には無意味だった。
二人の護衛がわずか数秒で沈黙した。
「……な……なんだ、これは……なにが……」
マルガレフスはその場にへたり込み、震える手で呪符を取り出そうとした。
だが、その手に銃口が突きつけられる。
「旧律派上級祈祷官、マルガレフス。君は教団の暴走を止めなかった責任がある」
「ま、待て……私にはっ、私はただ命令に……」
「――関係ない」
銃声が響く。
額を撃ち抜かれたマルガレフスは、床に音を立てて倒れた。
「こちら特務第九部隊、標的の排除を完了。損害なし。証拠品を回収し、次の標的に移動する」
静かに報告するディルクの後ろで、隊員たちは機械のように死体を回収し始めた。
同情も、怒号も、咎めもない。
ただ淡々と――
復讐の火は、冷たく静かに燃え広がっていた。




