第164話 三つ目のお墓
ヴァルトハイン城への帰還は、誰の足取りも重かった。凱旋の歓声もなく、祝福の鐘も鳴らず、城門が静かに開かれた。
ユリウスは、まっすぐに中庭の奥、ライナルトとエリザベートの墓が並ぶ静かな一角へと向かった。
その手には、小さな箱が抱えられていた。中には、リィナの爆発の直後に爆心地付近に残されていた部品と、彼女の髪の一部が納められている。
「……ここでいいか、リィナ」
語りかけるユリウス。
時は少し遡って、夕暮れの帳が降りる頃、戦後の野営地には静けさが戻っていた。
プレゴンの残骸と、焼け焦げた大地の匂いがまだ残る中、ユリウスは天幕の隅で、一人思案に沈んでいた。
その背に、そっと影が落ちる。
「ユリウス……」
振り返らずとも、その声に誰かはわかっていた。
「セシリアか。……何か用か?」
「……いえ。ただ、少しだけ、お話したくて」
セシリアは躊躇いがちに近づき、隣に座る。そして、そっと小さな布包みを広げると、中にはリィナが飛行ユニットの整備用に使っていた工具の一部が入っていた。
「遺品です。爆発の中心から少し離れたところで……唯一、見つかったものでした」
ユリウスの指先が、そっとその工具に触れる。冷たく、無機質な金属の感触に、胸の奥が締めつけられる。
「……あいつ、最後まで守ろうとしてた。僕たちの未来も、希望も、全部……」
言葉が途切れ、代わりに静かな呼吸音が残る。
やがて、セシリアが静かに切り出す。
「――お墓を、作りませんか?」
ユリウスは顔を上げた。セシリアの瞳は、今にも涙をこぼしそうだった。
「リィナには、記憶も、家も、血筋もない。でも……ユリウス様のそばで、生きてきた。ならせめて……『ここにいた』という証を、私たちの手で残してあげたいんです」
「……そうだな」
ユリウスは、そっと頷いた。
「残さないと。そうしなきゃ、僕たちが前に進めない気がする……」
「ええ。私もです」
セシリアは、涙を拭いながら微笑んだ。
「場所は……ライナルト様とエリザベート様のそばが良いと思うんです。ユリウス様が、誰よりも敬ってきた人々の隣に……リィナもいていいと思うから」
ユリウスは深く息を吸い、静かに立ち上がった。
「……ありがとう、セシリア」
「いえ、私も……そうしたかっただけですから」
そして、夜の静寂の中、ユリウスはミリにも声をかけ、三人でリィナのための墓標を建てる準備に取り掛かるのだった。
こうしてリィナのお墓はつくられた。
石に刻まれた名は、シンプルだった。
《リィナ》——我らが誇り、我が友。
完成した墓の前に、ユリウスはしばらく立ち尽くしていた。セシリアとミリ、リルケットもその背後に並ぶ。風が吹き抜け、黒髪の三つ編みの幻が、ふと彼の脳裏をよぎった。
やがてユリウスは、立ち上がると静かに言った。
「……シャドウウィーバのトップを呼べ」
まもなく、黒衣をまとった諜報組織の指導者が現れ、片膝をついて頭を垂れる。
「命令だ。ヴィオレッタがどこで、どうやってARTEMIS08《ヘカテー》を手に入れたのか——最優先で調査しろ」
「はっ」
「リィナは失われた。こちらにはもう、彼女の代わりはいない。しかし、もし相手が他のARTEMISシリーズを——さらに強力な個体を保持していたら……」
ユリウスの声音は低く、怒りと悲しみを押し殺していた。
「次は誰も失わせない。そのためにも、すべてを明らかにしろ」
シャドウウィーバの影が、静かに姿を消していった。リィナの墓標の前には、ユリウスの決意だけが、厳かに残された。
ユリウスの怒りと執念がシャドウウィーバを動かすが、感情だけでは解決しない問題があった。
お金である。
「……補正予算案、こちらになります」
アーベントが差し出した帳簿は、いつも以上に分厚かった。
戦後処理、兵器の再生産、そしてシャドウウィーバへの調査予算……。
ユリウスは一瞥して、眉をしかめる。
「思っていたよりも、はるかに出費が膨らんでいるな……」
「はい。特にプレゴンとパワードスーツの損耗が大きく、加えて新たな偵察網構築費が加わっております。資金繰りに、いささか無理があります」
「他に削れるところは?」
「削れば、安全保障に穴が開きます。投資を削れば、再建が滞ります。どれも引けぬ支出です」
アーベントの言葉に、ユリウスは頭を抱えた。勝利の代償は、あまりにも大きかった。
ふと、視線の端に、陽の差す作業場が映る。
ドワーフの職人たちが、壊れた装甲の破片を集めていた。何か使えるものはないかと、懸命に再利用の算段をしているのだ。
「……素材か」
ユリウスはぽつりと呟いた。
「素材を、もっと高く売る方法は……?」
その瞬間、彼の脳裏に一つの映像が閃いた。
かつて見た、薄く、輝く金の膜。
魔導装飾にも、豪奢な衣装にも使われる、王族すら魅了する芸術的素材――。
「金箔だ」
「……は?」
「アーベント。ちょっと広い場所に行こう」
「ええ、よいですが……」
「スキルで、金箔工場を起こす。すぐにだ」
ユリウスはアーベントを連れて外に出た。
途中、工房によってミリを訪ねる。
「ミリ、ちょっと頼みがある」
「なんだ、兄貴?」
ユリウスは手早く用件を伝えると、ミリの瞳がぎらりと輝いた。
「……面白そうじゃねえか。あたしに金細工やらせるつもりなら、手加減しねぇぞ?」
「頼もしいな」
ユリウスは微笑むと、空き地の中心に立った。
「〈工場〉スキル、発動。施設指定――金箔製造工場」
重厚な魔素の奔流が地面を駆け、空間が軋むような音とともに、広大な工場が現出する。
ドーム状の天井、複数の加圧ローラーと乾燥機、細工職人用の作業台までが整然と並んでいた。
工場の奥には、素材として加工前の金塊が山積みにされていた。
「これは……お前のスキルの材料庫か? とんでもねぇな」
「売れる分は市場に出す。必要な分は君たちドワーフに預ける。贅を凝らした工芸品、魔導装飾、儀礼用の金箔製品……用途は多い。大量生産は難しくても、工芸品の価値は落ちにくい」
「なぁに、金箔細工はドワーフの家業みたいなもんだ。細かい文様入りで、王族でも喉から手が出るようなもん作ってやるよ。材料が山とあるんなら、やりがいもあるしな!」
ミリは既に設計用の工具を手に取り、金箔づくりの準備を始めていた。
「アーベント、販路の確保を。取引先は選別して構わない。安売りはしない。価値を保ったまま、短期資金を回収する」
「了解しました。貴族向けの調度品や、神殿向けの祭具のルートも検討しましょう」
ユリウスは工場の稼働音を背に、ぎゅっと拳を握った。
「リィナ……君の仇をうつまで僕は止まらない」
陽の光に照らされ、工場の外壁が金色にきらめいていた。




