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外れスキル〈工場〉で追放された兄は、荒野から世界を変える――辺境から始める、もう一つの帝国史――  作者: 工程能力1.33
1章

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第163話 悲痛

 瓦礫と火花の散る戦場に、ひときわ細い影が走り出す。破損した右腕を引きずりながら、リィナはヘカテーに向かってまっすぐに進んでいた。


「また無駄なことを」


 冷たい声が平原に響く。ヘカテーの唇がわずかに吊り上がる。


「死にに来たのですか、姉様?」


 その瞬間、ヘカテーの拳が唸りを上げて放たれた。黒い流星のようなその一撃が、寸分違わずリィナの胸を貫く。


「――っ!」


 リィナの体が小さく揺れた。だが、崩れ落ちることはない。代わりに、残された左腕がぎゅっと伸び――。


 ガシィッ。


 彼女は、自らの胸を貫いたヘカテーの腕を、逃がすまいとしっかりと掴んでいた。


「え……?」


 ヘカテーの目に、初めて動揺の色が浮かぶ。


「あなたは、強い。だけど……心が、ない」


 リィナは微笑んだ。薄く、優しく、そして決然と。


「だから、せめて、これだけは……私の意志で終わらせます」


 彼女の胸元で、かすかに赤い光が脈打ち始める。それはゆっくりと、だが確実に熱を帯び――。


「何を……して……!」


「さようなら、妹……」


 次の瞬間、まばゆい閃光と轟音が戦場を包み込んだ。

 リィナのコアが暴走し、彼女自身を中心に爆発が起きた。炎と光の中、ヘカテーの姿も飲み込まれていく。

 空は真っ赤に染まり、衝撃波が辺りの兵士たちを吹き飛ばした。


 そして――静寂。


 轟音とともに巻き起こった爆炎が、ようやく風にあおられて静まりはじめた。

 焼け焦げた地面と立ち上る煙の中、まだ動けるプレゴンの一両が砲身を上げていた。


「……撃て。やつらを退かせる」


 ヴァルトハイン軍の軍務長リルケットは、感情を抑えた声で命じた。

 リィナの最後を目の当たりにした男の表情は、どこか遠いものを見ているようだった。

 プレゴンが火を噴く。衝撃音とともに敵陣の残存戦力に砲撃が降り注ぎ、ついに東部軍の戦意を打ち砕いた。

 東部軍の司令官、ルーデル伯爵は、自身のスキル〈鋼覇〉で砲撃を辛うじて防いでいたが、リィナの爆発と続く集中砲火によって、兵の士気は限界を迎えていた。


「……あれが切り札だったのか……。ならば、これ以上の消耗は無意味だ」


 ルーデルは天を仰ぎ、悔しげに息を吐いた。


「全軍、撤退せよ!」


 兵たちに撤退命令を下すと、彼は爆心地に目を向けた。そこに立っていたはずの、観戦武官ヴィオレッタの姿は、いつの間にか掻き消えていた。


「……姿を消したか。まさか、あれすらも駒……?」


 しかし追う術も、問いただす時間も、もう彼には残されていなかった。


 そして――


 アテナのハッチが軋むように開き、ユリウスが現れた。

 その手には何もない。ただ、膝をつき、うつむいたまま、立ち尽くす彼の肩が小さく震えていた。


「ユリウス!」


 駆けつけたセシリアが彼を抱きしめ、ミリがその隣に立つ。


「……リィナは……リィナは、もう……。帰ったらパンを焼くんじゃなかったのかよ……」


 震える声に、誰も何も返せなかった。

 ただ、燃え尽きた戦場の空に、リィナという名のゴーレムが遺した命の熱だけが、確かに残っていた。


 ルーデル伯爵の軍勢が撤退し、戦場に再び静寂が戻った頃。

 指揮所へと戻ったユリウスのもとに、リルケットが報告に現れた。


「……パワードスーツ部隊、四十三機中二十四機が破壊。プレゴンも三両が撃破されました。……損害は、決して小さくありません」


 重い沈黙が降りた。

 ユリウスは何も答えず、ただ戦略机の上に広げられた地図をぼんやりと見下ろしていた。

 やがて、小さくつぶやく。


「……天幕で休ませてくれ」


 そのまま、重い足取りで戦略室を出る。傍らには、セシリアとミリが無言のまま付き従った。

 天幕。焚き火の赤い明かりが、三人の影をゆらゆらと揺らしていた。

 空気はひどく重かった。誰もが言葉を探していたが、最初に沈黙を破ったのはミリだった。


「……あたし、あいつにパンの作り方、教わってたんだよ」


 かすれた声だった。


「材料の選び方とか、火加減とか。自分で焼けるくせに、わざわざ教えてくれてさ。あたしが“兄貴”に、美味しいパンを焼けるようにって……」


 ミリの肩が震える。


「バカだよ……なんで、なんで死んじまったんだよ……!」


 セシリアも、そっと唇を開いた。


「……わたし、彼女に……気づかってもらったことがあるの」


 彼女の目元にも、静かに涙が浮かぶ。


「ノルデンシュタイン砦を去ろうと悩んでいた頃。誰にも打ちあけられなくて……ひとりで食事してたとき……何も言わずに、隣に座ってくれて……スープを、よそってくれたの」


 セシリアは唇をかみしめる。


「あのとき、ただそれだけのことだったけど……すごく……救われた気がしたの。無表情で、無口で、それでも……あたたかかった」


 ユリウスは、焚き火の炎をじっと見つめたまま語る。


「彼女がパン工房を修理した日があった」


 二人がユリウスに目を向ける。


「“これでまたパンが焼けますね”って……あんな小さな笑顔だったのに……あれが、初めて見せてくれた、ほんとうの彼女の顔だった」


 膝の上に涙が落ちても、ユリウスは拭おうとしなかった。


「……もっと、話したかった。もっと、伝えたかった……のに」


 三人は沈黙のまま肩を寄せ合い、天幕の中でただ、彼女のいない空白を抱えて泣いた。

 外では、焚き火がぱちぱちと小さくはぜる音だけが響いていた。



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