第162話 悲しみの理解
戦場に、金属が砕ける乾いた音が響いた。
「――ッ!?」
リィナの右腕が、肘から先ごと吹き飛ぶ。魔素で強化された合金骨格が、いともたやすく引き裂かれたのだ。
「制御肢機能、右腕部……喪失。損傷率、28%……っ」
リィナの声が微かに震える。だが、その瞳は戦意を失っていない。
ふらつきながらも踏みとどまり、敵――ARTEMIS08《ヘカテー》を見据える。
「後継機種の性能を確認……」
だが、その一歩を踏み出す前に、後方から機影が飛び込んできた。
「リィナッ!!」
漆黒のパワードスーツ《アテナ》が宙を裂いて滑空し、リィナをその腕に抱きかかえる。
ユリウスの声が通信機越しに怒鳴るように響く。
「もういい! 引くぞ、リィナ!」
「……申し訳……ありません……」
リィナの声は、まるで夢の中のように遠い。アテナが上昇を開始した、その瞬間だった。
「逃がしません」
ヘカテーの静かな声が響き、次の瞬間、眩い魔素の噴射を伴って跳躍した彼女が、鋭く脚を振り上げる。
「ユリウス様ッ!!」
リィナの絶叫とともに、アテナは腹部に強烈な衝撃を受け、空中で弾かれるように吹き飛ばされた。機体内部の警告灯が一斉に赤に変わる。
《警告。推進機構破損。右脚駆動ユニット停止。装甲損傷率52%。コア冷却機能に異常――》
「くっ……!」
ユリウスは咳き込みながらリィナを守るように抱き寄せ、アテナを強引に姿勢制御で立て直そうとする。しかし、煙を上げながら機体は地面に激突し、土煙を巻き上げた。
ヘカテーは、まるで興味を失ったかのように静かに地上を見下ろしていた。
「対象機体、行動不能確認。次の目標へ移行します」
戦場に、静かな殺意だけが残った。
アテナの装甲が開き、焦げた匂いをまとったユリウスが地上に降り立つ。
煙と火薬の匂い、崩れかけた地形の中で、リィナの片腕が失われている姿が彼の視界を満たした。
「リィナ、すぐに修復を──」
「いいえ、ユリウス様。間に合いません」
リィナの声は静かだった。まるで全てを受け入れたかのように。残された左腕でコアユニット部を押さえながら、ユリウスの方へ一歩近づく。
「このままでは、ヘカテーは止まりません。私がこの身体のコアを暴走させて、爆発させれば……確実に彼女を破壊できます」
「馬鹿を言うな!」
ユリウスは叫んだ。
それはリィナが死ぬということだから。
「そんな方法、僕が許すわけがない!」
「その命令は、受けられません」
リィナは微笑みすら浮かべていた。壊れかけた頬の人工皮膚の隙間から、血に似た赤い液体が流れている。
「……なぜだ、なぜそこまで……!」
「私は、ユリウス様に起動され、ユリウス様と共にありました。だから、私の終わりは、ユリウス様を守ることでなければならないのです」
ユリウスの目から、ぽろりと涙がこぼれた。ぼろぼろと、止め処なく。
「どうか……私のために、泣かないでください。別れが、つらくなります」
リィナは、ほんの一瞬、涙の意味を理解したように目を細めた。
「これが――悲しい、という感情なのですね。……なるほど」
その瞬間、彼女の目に、初めて人間らしい光が宿った。生まれたばかりの心を抱きしめるように、ユリウスが手を伸ばした。
だが――
「お別れです、ユリウス様」
リィナはユリウスの胸をそっと押し返し、開いたアテナのハッチに彼を押し込む。次の瞬間、彼女の残された左手がハッチを閉じた。
ユリウスは拳で装甲を叩いた。
「リィナ! リィナァッ!!」
その声は、アテナの内部で反響するだけだった。




