第160話 リィナの夢
「ルーデル伯爵軍が、東部領境を突破しました。また、シャドウウィーバからは、ヴィオレッタが観戦武官として随行しているとの報告もあり」
緊張感の漂う報告が、戦略室に響く。
「……馬鹿な」
ユリウスは目を細め、地図上の赤い印に視線を落とす。そこは、元領主が軍事統帥権を返上したばかりで、軍の再編が不完全な地域であった。
「狙い撃ちか。戦力の空白を見抜いたうえでの侵攻……」
セシリアが呟く。鋭い視線が、すぐにヴィオレッタの名をとらえた。
「観戦武官? ただの傍観者じゃないわね。やはり、裏で糸を引いてる」
「ちっ、やっぱり裏にいたか。兄貴、早く動こうぜ。このままだと、あいつらに南部が食われちまう!」
ミリは工具を鳴らしながら、歯噛みするように言った。
「ユリウス様。自走砲プレゴンと量産型パワードスーツ部隊、すでに整備完了。侵攻ルートの予測も済んでおります」
リィナが冷静に情報を重ねる。ユリウスは深く息を吐き、リルケットに視線を送った。
「我が軍は?」
「準備万端。あとは命令を待つだけです」
「よし――アーベント」
「ここに」
「城と後方の運営を任せる。頼りにしている」
アーベントは静かに頷き、拳を胸に当てた。
「ヴァルトハインの守りを、必ず」
ユリウスは立ち上がり、皆を見回す。
「ヴィオレッタ……奴の狙いは、混乱を起こすことだ。だが俺たちは、もう引かない。出陣する。侵略には、力で応える」
――扉が開かれる。
魔炎を纏う自走砲が先陣を切り、量産型パワードスーツ兵が整然と続く。
セシリアが魔導書を抱え、ミリが工具を揺らし、リィナはユリウスのすぐ背に従う。
リルケットは最後尾で、小さく呟く。
「これは、東への第一歩にすぎない。まだ、始まったばかりだ」
その瞳は東の空に向けられていた。
戦場へ向かう途中の行軍中、馬車の揺れが次第に激しさを増す。
瓦礫の多い古道を進む一行の中、ユリウスはパンの切れ端を噛みしめながら顔をしかめた。
「……これはパンというより、兵器じゃないか。歯が折れそうだ」
ぼそっと零すと、隣にいたリィナがくすりと笑う。
「お口に合いませんでしたか、ユリウス様?」
「いや、栄養補給にはなる。だが……せめてもう少し、柔らかくてもいいだろう」
リィナは手にしたパンを見つめ、そっと呟いた。
「……戦いが終わったら、パン工房をもう一度、ちゃんと動かしたいです」
「パン工房?」
「はい。パン作り、ずっとしてみたかったんです。古代の製パン機構を応用して、ユリウス様のためだけの――特別なパン、焼いてみせますから」
そう言って微笑む彼女の目は、どこか遠い未来を見つめていた。
「……食べてくれますか?」
ユリウスは一瞬言葉に詰まり、そして笑った。
「ああ。楽しみにしてる」
馬車は再び揺れた。砂埃が舞い、遠くに黒い煙が立ち上る。
それでもリィナは、その先の穏やかな日々を信じるように、そっとパンの切れ端を懐にしまった。




