第156話 吟遊詩人リィナ
城の一室。淡い魔灯の光が揺れる静かな空間で、重苦しい空気が支配していた。
部屋にはユリウス、アーベント、リルケット、そして警備部の幹部たちが並んでいた。リィナを狙った旧律派の刺客が侵入し、殺害されるという事件の直後である。
「──以上が、侵入経路の想定と、夜間警備の配置の不備であります」
警備部長の報告が終わったところで、誰もがユリウスの言葉を待った。しかし、ユリウスはしばし沈黙し、静かに立ち上がった。
「……責任の所在を問えば、確かにお前たちの落ち度だ。だが、それを咎めても、リィナが襲われたという事実は変わらない」
幹部たちは顔を伏せた。
「警備体制は、行政改革に伴って見直したばかりだった。全体の連携が未熟だったのは、構造の問題でもある。ならば、責任は僕にもある」
そう言って、ユリウスは周囲を見渡す。
「だからこそ、これを教訓に、徹底して体制を再構築しよう。そのほうが、結果として再発防止につながる。必要なのは罰ではなく、改善だ」
その言葉に、警備部の幹部たちは深く頭を下げた。
そこに、冷ややかな視線を向けていたアーベントが一歩進み出る。
「……寛容すぎるのでは? 『統治』には例示が必要です。処分なしでは、士気に影響が出る可能性もある」
「それも理解している。けれど、いまは新体制の転換期だ。断罪より、信頼を育てるほうが重要だと思っている。もし今後同様の事態があれば、そのときは容赦なく責任を取ってもらうさ」
ユリウスの目は揺らがなかった。アーベントは小さくうなずき、それ以上は何も言わなかった。
そして、ユリウスは手元の小鐘を鳴らす。
しばらくして現れたのは、黒衣をまとったシャドウウィーバの長──〈影番〉だった。顔を隠したその男は、無言でユリウスの前に跪く。
「……調べてほしい。刺客が旧律派と判明した。やつらの動き、関係者、背後の意図、すべてだ。隠された火種があるのなら、先に見つけて潰す」
低く、しかし揺るぎない声音だった。
「リィナが標的にされたのは偶然ではない。何かが起きつつある。対処するには、まず敵を知らねばならないからな」
〈影番〉は一礼し、音もなく姿を消した。
静寂が戻る。
ユリウスは誰にでもなくつぶやいた。
「僕たちは、知らぬ間に戦場に立っているのだな。常在戦場か……」
ノルデンシュタイン砦の頃に戻りたいと思うユリウスであった。
その日の夕暮れ、砦の中庭では、今日の騒動を終えた面々がくつろいでいた。
風に乗って、何やら朗々とした声が響いてくる。
「──そのとき! 絶体絶命の乙女の前に、颯爽と現れしは、世界を変えし鋼の君主……」
「また始まったわね」
と、セシリアがため息混じりに呟く。
「はいはい、兄貴のことだろ……」
とミリも呆れ顔。
その中心では、黒髪をたなびかせ、即席のマイク(工具箱)を握るリィナがポーズを決めていた。
「ユリウス様ぁぁぁ……その輝く工場スキルで、空を裂き、大地を穿ち──眠れる乙女を救い給うたぁあ!」
セシリアとミリの視線が、ぬるりとユリウスに向かう。
冷たいというより、温度のない、ジト目である。
「……僕が言わせてるわけじゃないからね?」
ユリウスは冷や汗をかきながら、必死に弁明し、苦笑い。
「リィナ。あんたそれ、日誌に残すつもりじゃないよな?」
と、ミリが顔をしかめると、
「もちろんです! この一件は後世に語り継がれるべき英雄譚……」
「記録係の義務です!」
と、満面の笑みで親指を立てるリィナ。
「……やっぱ、ガス効かなかったの、壊れてたんじゃなくて、頭の中身の問題だったのかもね」
「同感」
と、セシリアとミリがそろってぼそり。
その横で、ユリウスはただ、苦笑いをしていた。




