第154話 シルヴァーナの観察
市街地の広場。
昼下がりの太陽が石畳を照らし、行き交う住民たちの足音と笑い声が混じり合う。
フードを目深にかぶった女――シルヴァーナは、パン屋の向かいの路地に腰を下ろしていた。
「……いた」
目の前の通りに、彼が現れた。
ユリウス。新興の支配者にして、“工場”の力を持つ男。周囲の民が自然と道をあけるその姿には、不思議な吸引力があった。
その傍ら――
黒髪をきっちりと三つ編みにし、黒のエプロンドレスをまとった少女が寄り添っていた。
小柄で柔らかな微笑みを湛えるその少女は、まるでどこにでもいるような、けれど――どこにもいない存在。
(間違いない……あれが、生体ゴーレム。リィナ)
全身に電撃が走ったような衝動。感情の波が押し寄せる。
胸の奥底に沈んでいた、崇拝と執着が呼び覚まされる。
かつての帝国が創り上げた、神に至る技術の結晶。人工の肉体に魂を宿した者。聖典に記された“神の器”。
(こんな……こんなところにいたの? あなたは……!)
シルヴァーナの呼吸が乱れる。視線の先で、リィナはユリウスと笑いながらパン屋に入っていく。その仕草すら人間そのもので、完璧だった。
「美しい……」
それは感嘆ではなく、信仰に近い言葉。
「あなただけは、回収しなければならない。……旧律のために。世界の在るべき姿を取り戻すために」
フードの奥で、淡く笑みが浮かぶ。
「すぐに迎えに行くわ。リィナ。私が……“本来の場所”に連れ戻してあげる」
通りの喧騒は続いていたが、彼女の心の中は、静謐な使命感と興奮に満ちていた。
リィナを見つけてから数日、シルヴァーナは潜伏を続けていた。
陽の差し込む工区の広場、指示を出すユリウスの隣で、黒髪三つ編みの少女――リィナは控えめに、けれど確かに存在感を放っていた。
メイド服に身を包み、控えめな距離を保ちつつ、ユリウスの一挙手一投足に寄り添うように立ち、時にホログラムを展開して補足説明を加えている。
「生体ゴーレム……いえ、神機リィナ様……」
シルヴァーナは、風通しのいい納屋の影に身を潜めながら、淡く呟いた。
遠眼鏡を外し、慎重にノートを広げる。そこにはこの数日で記録したリィナの行動パターンが細かく書き込まれていた。
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【観察記録】
・朝九時、ユリウスに同行し工場棟へ。ホログラムを用いた会議補佐。
・十時半、メンテナンスルームで休息。水を口にするが、実際には摂取されていない模様。
・昼食時も変わらず傍に。食事の動作はするが、摂取はしない。完全な模倣。
・午後は農業施設視察に同行。魔素ホログラムの機能を活用し現場調整。
・夜間は主の書斎に控え、翌日の日程整理。
【特徴】
・防御機構不明。魔術的・機械的な探知には反応なし。
・主との接触以外は自律行動少なく、明確な防衛行動は確認されていない。
・ただし、ホログラムによる情報操作・空間演算能力は極めて高水準。
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「……あの程度の近接防衛なら、抑制ガスで沈黙させるのは容易」
淡々とつぶやきながら、シルヴァーナは腰のポーチから銀色の筒を取り出した。
中には、アルケストラ帝国時代の遺跡から発掘した、生体ゴーレムにのみ反応する抑制ガス。
適切な濃度と距離を保てば、五分間は活動不能にできる。
「その間に、神の器を接収し、外部へ搬送。肉体の構造は、遺跡に残された回路図と一致している。問題は……」
視線を上げる。遠く、ユリウスの顔を見つめていたリィナの表情が、ふわりと柔らかく綻んだ。
「……あの男、ユリウス。彼女の主。精神回路と感情モジュールに、深い依存がある……。分離の際には、必ず精神汚染が発生する」
シルヴァーナは唇を噛んだ。
「……どうせなら、主ごと奪えれば理想……けれど、それは旧律派の枠を逸脱する」
狂信と理性。その境界線の上で彼女は静かに笑みを浮かべた。
「まずは、封じて、奪う。聖遺物として、リィナ様をわたくしのものに――」
そっと手帳を閉じると、シルヴァーナは闇に紛れ、次なる計画の実行に向けて静かに動き始めた。




