第152話 暗躍するヴィオレッタ
会合が終わり、貴族たちが三々五々に立ち去っていく中、アーデルハイト侯爵は静かに隣を歩くヴィオレッタに言った。
「……思惑が外れたな」
ヴィオレッタは表情を崩さず、むしろ穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「ええ。兵器の開発にまでは誰も踏み込もうとはしませんでしたね。まあ、予想通りでした」
「その程度で済む話か?」
「問題ありません。旧律派を使いますもの」
その言葉に、アーデルハイトの眉がわずかに動いた。
「……奴らを動かすつもりか」
「はい。偽典の枢機卿――ベルンハルト様には、すでに連絡を取りました」
「旧時代の亡霊を目覚めさせるつもりか。危険な賭けだな」
ヴィオレッタはくす、と喉の奥で笑った。
「危険ですか? ふふ、いいえ。むしろ滑稽ですよ。あのゴーレム――リィナでしたか。あれはかつて、アルケストラ帝国の魔導錬金術の粋を集めた《自律式機動従者》。それを無力化するには、同じ時代の知識が必要です。幸い、旧律派はそのすべてを手の内に握っている」
「それで、どうするつもりだ?」
ヴィオレッタはその場に立ち止まり、夜空を見上げた。
「……私はね、アーデルハイト様。見てみたいんです。世界が壊れていく様を」
言葉の調子が、どこか変わっていた。柔らかい声に、熱が混ざっていた。
「秩序が、法が、信仰が、理性が……ゆっくりと崩れていく様を。人が、人でなくなる瞬間を。上も下もなく、希望も夢も意味をなくして、すべてが“ただのもの”に還っていく瞬間を、私は……」
アーデルハイトは黙って彼女を見つめていた。ヴィオレッタの横顔は、陶酔の笑みに染まっていた。
「リィナを壊せば、ユリウスも壊れる。セシリアも。ミリも。砦も。……そして、“理想”という虚構も」
風が吹いた。夜の空気が、ぞっとするほど冷たかった。
「旧律派は破壊の鍵。ベルンハルト様が動けば、あの偽りの理想郷など一夜で廃墟に変わる。ああ、想像するだけで……胸が高鳴る」
その声に、震えはなかった。あまりにも静かで、あまりにも澄んでいた。
アーデルハイトはつぶやいた。
「……狂っているな」
ヴィオレッタは嬉しそうに笑った。
「だから美しいんです、アーデルハイト様。狂気は、すべてを均す。だからこそ、そこにこそ平等がある」
夜の帳が、さらに深く世界を包んでいく。
それは、静かなる嵐の前触れだった。




