第149話 ドワーフの思い
ヴァルトハイン城から数キロ離れた原野。
整地もされていない平原に、ユリウスは重々しい足取りで立っていた。彼の背後には、アーベントを筆頭に政治組織の幹部たちが控えている。
「ここで……見せるのか?」
クラウス・アーベントが眉をひそめる。険しい表情をしたまま、彼は周囲の荒地を見渡した。
「ええ。ここに必要なものを生み出します」
ユリウスは静かに応じると、目を閉じ、深く息を吐いた。
――〈工場〉、起動。
次の瞬間、大地が震え、巨大な構造物が空間に出現した。鋼鉄の梁とパイプが組み合わさった巨大な施設──農耕機メーカーの一大プラントだ。
日本であれば大勢の従業員がいる工場も、異世界でスキルで作られたとあっては無人であり、不気味なほどの静けさであった。
そして、工場の中には複数の完成間近の農業機械が並んでいた。
「な……」
「こ、これは……」
重厚な車体に巨大な刃を備えたコンバイン。
鈍色の機体が整然と並び、整備用の機材や予備パーツまでが整っている。
アーベントや各部門長たちは言葉を失い、ただ呆然と見つめていた。
ユリウスの膝ががくりと折れる。だが倒れる寸前、リィナが即座に横から駆け寄り、彼の体を支える。
「ユリウス様! 魔力が限界を超えています!」
「まだ……もう少し……」
ユリウスはふらつきながら、プラントの隣に用意されたテストフィールドに向かう。そして、試作一号機のコンバインに乗り込んだ。
「ユリウス様、無理は――」
制止の声を振り切り、ユリウスは操作レバーを握る。エンジンの唸りが響き、魔素変換炉が振動を始める。ゆっくりと、機体が前進を始めた。
黄金色に実った麦の列に、回転刃が入り込む。
――ザクッ、ザクッ、ザクッ!
鋭い音を立てて麦が刈り取られ、後方のタンクに集積されていく。
「見てください。これが……僕たちの未来です」
コンバインが走る後に、綺麗に整列した刈り跡が続いていた。
「これを……魔素で動かせるように改良すれば……」
「労働集約型の農業から、抜け出せます」
ユリウスはコンバインを降り、汗だくの顔で言い切った。彼の体はすでに限界に達していたが、その声には確固たる決意が宿っていた。
沈黙のなか、アーベントが静かに歩み出る。
「……見事だ。まるで……神話の奇跡だな」
ユリウスの視界がにじんだ。リィナの腕の中で、彼はようやく意識を手放した。
コンバインの開発が始まって数日。
ユリウスが〈工場〉で出したサンプル機の部品を参考に、ミリはドワーフたちを率いて設計図を描き、鋳型を作り、試作の準備を進めていた。
工房には、ノルデンシュタイン砦から付き従ってきた古参の職人たちに加え、南部や東部から流れてきた新参のドワーフたちの姿もあった。
鍛造場には火花が飛び交い、鉄と油の匂いが満ちている。
そんな中、ふとした会話が空気を変えた。
「……なあ、あのコンバインってやつ……公爵様が自ら動かしてたって、本当なのか?」
新入りのドワーフが、鉄板を抱えながら呟くように言った。
「本当さ。俺の知り合いが見たってさ。公爵様が機体に乗って麦を刈ったって」
「……ふうん。だが、それってどうなんだ? 結局、俺たちは便利な道具として使われてるだけなんじゃねぇのか。貴族なんて、皆そうだろ?現に女王様がこうやって工房で働かされているじゃないか」
その言葉に、場の空気が凍りついた。
ミリが金槌を置いて、静かに振り向く。
その表情は怒りに震え、燃えるような眼差しがそのドワーフを射抜いた。
「もう一度言ってみろ」
低く、唸るような声だった。
「兄貴が、あたしらを“道具”だと……? あの人がどれだけ私たちのことを考えて、寝る間も惜しんで働いてるか知らないで――そんな口、きくんじゃないよッ!」
拳を振り上げたミリの肩に、ひとつの手が乗った。
「ミリ様、俺がやる」
そう言ったのは、ノルデンシュタインから共に来た古参の鍛冶師だった。
彼は一歩前に出ると、無言で新入りのドワーフの頭を殴り飛ばした。
「――わからねえのか、馬鹿が」
古参の職人は言い放った。
「ミリ様は、てめえみてぇな迷子のクズまで拾ってくれてるんだ。文句があるなら、ここから出ていけ。それとな、陛下を侮辱するなら、俺たちが許さねぇ」
静まり返る工房に、ミリの怒声が響く。
「いいかい! あの人は、私たちを仲間として見てくれてる! 人間も、ドワーフも、エルフも、関係ないって――この国では、努力した奴が報われるんだって、信じてくれてるんだよ!」
ミリの瞳には、怒りと、誇りと、涙が滲んでいた。
ミリは一歩も動かず、その場に立ち尽くしていた。怒りで頬が紅潮し、拳を握りしめたまま震えている。
そして、古参のドワーフがミリの前にやってくる。
「……ぶん殴る前に、殴ってくれてありがとよ、ジグじい」
その呟きに、古参――ジグは静かに頷いた。
「おまえさんが手を出す前に止められて、俺も助かったよ」
そんな張りつめた空気を破るように、重い扉が開いた。
「おう、様子を見に来たぞ」
ユリウスが現れた。その隣には、魔素ホログラムを映したリィナが、まるで秘書のように静かに寄り添っている。
リィナは投影画面を操作しながら、事務的な口調で進捗を読み上げた。
「本日時点の全体進捗率、三八パーセント。部品製造の精度は平均で八四パーセントを超えました。なお、試験機体のフレーム溶接部にわずかな歪みが確認され――」
「ありがとう、リィナ。そこまででいい」
ユリウスの言葉に、リィナはすっとホログラムを消した。
その姿を見ていたミリの目が和らぐ。
「……兄貴。ようこそ」
照れ隠しなのか、言葉にぎこちなさが混じっていたが、どこか誇らしげな声音だった。
「ここで作ってる部品、ちゃんと噛み合うようになってきたんだ。見てってくれよ」
ユリウスは頷き、作業台へと歩み寄る。若いドワーフたちは緊張した面持ちでその様子を見守っていた。
そんな彼らを見回しながら、ジグは傍の若者に低く語りかける。
「なあ、新入り。……あれを見ても、まだ信じられねえか?」
若者は視線をそらし、だが小さく、しかし確かに頷いた。
「……信じる。俺が間違ってた」
それを聞いたミリは、そっとため息を吐きながらも、笑みを浮かべた。




