第139話 二人への約束
ヴァルトハイン城の庭は、いつもとは違う静けさに包まれていた。
薄曇りの空が広がり、微かな風が木々の間を通り抜ける音が心地よい。
だが、ユリウスの胸中には、心の奥から湧き上がる思いがあった。
足元に並べられた墓石は、彼にとっては過去と向き合うための場所であり、同時に 決別を決めるための場所 でもあった。
「ライナルト、エリザベート…」
ユリウスは静かに、けれどもしっかりと墓石に手を触れる。どんなに時が経とうとも、二人はあのままで、ユリウスの記憶の中で変わらない。
「今日、僕がヴァルトハイン公爵を継ぐことを、二人に報告しておこうと思う。」
彼の言葉は、風に乗り、どこか遠くへと運ばれていくようだった。墓前に花を添えながら、ユリウスは自分の内に湧き上がる感情を抑えるように一度深く息を吐く。
――あの頃の僕は、ただ家族の一員として、誰かに認められたかった。それだけだった。
ライナルトとの確執、そして彼の死。それがあってこその自分だと、今のユリウスは理解している。
――でも今、僕はただの公爵の跡取りじゃない。僕は、ただ力で人を支配するんじゃない。
無理に笑おうとしながら、ユリウスは再び墓石に向かって頭を下げる。
その姿には、もはや恨みも未練もない。
ただ、二人の死が無駄にならないようにと、心の中で誓った。
――これから先、僕が手に入れたいのは、誰かにとっての希望だ。
そこに立ち上がり、胸を張る。背筋を伸ばし、すでに決めた未来に向かって、歩き出す準備が整った。
「ありがとう、ライナルト、エリザベート。二人のためにも、必ずこの国を、もっといい国にするから。」
その言葉がしっかりと響いた瞬間、ユリウスはその場を後にし、今まさに自分の意思を世に知らしめるための第一歩を踏み出す。
ヴァルトハイン公爵継承の儀式 ― 聖堂にて
荘厳な鐘の音が聖堂の天蓋にこだまし、集った貴族たちのざわめきを静める。ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、純白の大理石を淡く染めていた。
壇上に立つユリウスは、黒と銀の礼装に身を包み、その瞳に確かな覚悟を宿していた。正面には、代々のヴァルトハイン公爵家が掲げてきた紋章の旗が風もないのに揺らめいているように見える。
「我が名はユリウス・フォン・ヴァルトハイン。この場を借り、先代公爵ライナルトの意思と、彼が残した民の未来を継ぎ、ヴァルトハイン公爵の位を継承することをここに宣言する」
堂内に低く響いた宣言に、参列者たちは息を呑んだ。一部の者は、幼き日のユリウスを知っていたが、いま彼の放つ気配は、もはやその面影を留めていなかった。
やがて、裾を引く鮮やかな赤と金の礼装に身を包んだセシリアが、ゆるやかにユリウスのもとへと歩み寄った。皇族に伝わる正式な儀礼衣――その姿は、まさに帝国の象徴そのものであった。
「ヴァルトハイン公爵、ユリウス様」
彼女の声が澄んだ鈴のように鳴り響く。
「皇帝陛下は、いま帝都にて不当な拘束のもとにあります。ですが、帝国の民は、未だ皇室の血に希望を見ています。私は皇族として、そして陛下の姪として――あなたに請います」
セシリアは恭しく一礼し、そして顔を上げた。
「帝都に赴き、皇帝陛下をお救いください。そして、乱れた帝国に安寧と秩序をお戻しくださいませ」
一瞬、堂内に沈黙が広がった。その沈黙はやがて、重々しくも肯定的な空気に包まれていく。
この瞬間こそ、二人が周到に準備してきた“正統性”の演出だった。セシリアの高貴な装いと立ち振る舞い、ユリウスの確かな言葉――それは参列した各地の貴族たちの心に、「我らこそが正統な帝国の担い手である」と強く刻みつけるものであった。
壇上で目を合わせた二人。ユリウスは小さくうなずいた。
心中では――「もう、後戻りはできない」と、自らに言い聞かせていた。




