第133話 ユリウスが来た
窓の外は濃い灰色の雲が垂れ込めていた。それが星明りを遮り漆黒の闇を作り出している。、灯された燭台の明かりだけが頼りだった。部屋の中央、地図が広げられた机の前に、ライナルトは両手をついて立っていた。
指先が震えている。
「……俺は、間違っていたのか?」
ぽつりと呟いたその声に、誰も応えはしない。側近も、軍師も、今はこの部屋にいなかった。背後に控えていたのは、エリザベートただ一人。
「勝たねばならなかった。父にも、帝国にも、民にも……それが俺の義務だった。ユリウスは――なぜ、お前だけは……」
自らの胸に手を当てた。
脈打つ心臓は、静かに訴えてくる。あの日の焦燥、屈辱、そして兄への嫉妬――あらゆる感情が、脳裏を渦巻いた。
「だが、今となっては……」
その言葉の続きを言いかけたとき、扉が乱暴に叩かれ、兵士が慌てて飛び込んできた。
「ご報告します! 北の森を抜けて、ユリウス軍が接近中です! 偵察によれば、かなりの規模と見られ――」
「またか……!」
ライナルトは怒鳴るように言い放つと、机を拳で叩いた。紙が舞い上がり、燭台の火が揺れる。
「ユリウス……! やはり、貴様は俺から全てを奪うつもりか!」
その目は燃えるような激情に染まり、かつての冷徹さを取り戻していった。
「俺が、何のために積み上げてきたと思っている! 帝国の未来のため、民の秩序のため……全ては、俺の中にある正義のためだった!」
怒りと共に吐き出される叫び。
だが、後ろからそっと寄り添ってきたエリザベートが、その手を取った。
「ライナルト……お願い……もう、やめて。あなたを……あなたをこれ以上、憎しみに飲まれてほしくないの……!」
彼女の瞳から涙が溢れていた。
「私は、あなたが剣を捨てて、ユリウス様と和解してくれることを……お腹の子と一緒に、願っていたのに……!」
だが、ライナルトはその手を振りほどいた。
「和解? 今さら何を言う! あいつは俺の全てを否定するつもりでここへ来たんだ! 今さら譲っても、あいつが赦すものか!」
「……違う! ユリウス様はそんな方じゃ――!」
「黙れッ!」
怒声が響き渡り、エリザベートはその場に膝をついた。腹部を押さえながら、肩を震わせて泣く。
「ライナルト……どうして……どうしてあなたは、そんなに、苦しんでばかりなの……」
それでも、ライナルトは彼女に背を向けたまま、窓の外を見つめていた。
彼の視線の先――北から迫る、兄の軍勢が、地平線のかなたに揺らめいていた。




