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外れスキル〈工場〉で追放された兄は、荒野から世界を変える――辺境から始める、もう一つの帝国史――  作者: 工程能力1.33
1章

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第131話 夢の中で

 ヴァルトハイン城の執務室。

 空になったグラスが投げつけられ、壁に砕け散る音が響いた。


「何人目だ……! 今週だけで役職のある者が三十だぞ!」


 ライナルトの雷のような怒声が部屋を震わせる。机の上に積まれた報告書の束。

 そこには連日の逃亡者の記録が記されていた。農民、職人、技官――果ては兵士まで。

 逃げ出す者たちに共通していたのは、皆「ユリウスのもとへ向かった」と噂されることだった。


「やつが……出来損ないが、何か吹き込んでいるに違いない……!」


 額に浮かんだ青筋が、ライナルトの怒りの深さを物語っている。

 配下の兵士が何か言いかけたが、睨みつけられて口をつぐむ。

 彼の苛立ちは、すでに日常化していた。

 だが、それを恐れて誰も何も言えないことこそが、崩壊の兆しだった。


 その頃、別の部屋。

 柔らかな光が差し込む寝室で、エリザベートは静かに腹を撫でていた。

 小さく膨らんだそのお腹には、ライナルトの子が宿っている。


「あなた……今のままでは……」


 心の中で、夫に語りかける。

 この城を出ていく人々の顔は、皆どこか安らかだった。

 代わりに残る者たちは、恐怖と不信の目をしている。


 かつて自信に満ちていた彼の背中は、今や怒りと疑念に縛られていた。

 その姿を見つめるたび、エリザベートの心は張り裂けそうになる。


(立ち直って……お願い、あなた。私は……あなたに戻ってきてほしい)


 だが、彼の心を揺らすのはいつもユリウスの存在だった。

 かつては兄に勝ちたいと願っていたあの姿が、今では呪いのように彼を縛っている。

 そして、エリザベートの胸にもまた、微かに芽生える迷いがあった。


(……もしも、あのとき、ユリウス様と出会っていなければ……)


 その想いを、かぶりを振って打ち消す。


「いけない……こんなこと……お腹の子にも悪いわ」


 けれど、張り詰めた気持ちは、母体にも良くないと医師からも言われている。

 自分が取り乱せば、この命さえ危ういのだ。


 エリザベートは窓の外を見つめた。

 どこまでも青い空の向こうに、穏やかな未来があることを祈って――。


 その日、夜更けの静寂を破るように、ヴァルトハイン城の一室で、ライナルトは額に汗を浮かべて身じろぎした。

 夢の中で、彼はあの頃にいた――

 まだ、世界の全てが兄と共にあった、幼い日々に。


「よくできたな、ユリウス。剣筋が綺麗だった」


 父の低く重厚な声が、石畳の訓練場に響く。

 兄が木剣を下ろすと、周囲の騎士たちが感嘆の眼差しを送った。


 その隣で、同じ木剣を手にした幼いライナルトは、唇を噛みしめた。

 兄と同じ稽古を、同じだけこなしたはずだった。

 いや、それ以上に、夜にこっそりと一人で素振りを繰り返したこともあったのだ。


 なのに――


「ライナルト、お前は焦るな。力に頼りすぎだ。もっと体の使い方を覚えよ」


 父は、厳しく言った。

 叱責ではない。指導の言葉に過ぎない。

 だが、兄に向ける眼差しの温かさとは、明らかに違っていた。


「この問題、分かる者はいるか?」


 書斎の片隅。家庭教師の声に、ユリウスがすっと手を挙げる。

 流れるように解答を述べる兄に、教師は満足げに頷いた。


「素晴らしい答え方だ、実に論理的だな」


 その横で、ライナルトは自分の書いた解答用紙を隠すように伏せた。

 間違っていたわけではない。ただ、兄ほど美しく説明できなかっただけ。

 言葉に詰まった瞬間、教師は軽く溜息をついた。


 兄の背中はいつも、ほんの少し前にあった。

 近いようで、決して届かない場所に。


「なぜだ……」


 夢の中のライナルトは、呟く。

 雪の降る中、二人で遊んだ記憶。

 花畑で、兄に草冠をかぶせられて照れた記憶。

 心から兄を慕っていた、確かにそんな時代があったはずなのに。


 ――なぜ、こうなった?


「お前がいなければ……!」


 叫ぶ声で目を覚ました。

 暗闇の中、肩で息をしながらライナルトはベッドに起き上がった。

 掌には汗がにじみ、指先は微かに震えている。


「なぜ、ユリウス……。なぜお前だけが……」


 同じ顔、同じ血。

 それなのに、なぜ自分ばかりが空っぽで、彼ばかりが満たされている。


 その思いは、憎悪に、そして執着に変わっていた。

 ライナルトの目が、闇の中で光を失ったように細められた。


「あの頃からだ……お前を――殺したいと願っていたのは……」


 ライナルトは荒く息を吐きながら、寝台の上で上半身を起こした。重い汗が額から滴り、夜気に濡れた寝間着が肌に貼りついて不快だった。


「……夢か」


 少年時代の記憶。家族の中で褒められ、笑われ、愛されたのは、いつだってユリウスだった。


“さすがお兄様”“やっぱり長男様ね”


そんな言葉を周囲から浴びるたび、ライナルトの胸の奥には、言葉にできぬもやが積もっていった。


「なぜだ……なぜ僕ではなく、あいつなんだ……!」


 怒りに駆られ、ライナルトは枕を床に叩きつけた。

 だが虚しい。感情をぶつける先が、今はどこにもない。


 あの頃からずっと、自分の努力は誰にも届かない。

 周囲の期待も、愛情も、あいつが総取りだった。


「何もかも……あいつがいなければ……!」


 寝台の傍に立てかけていたコートを乱暴に羽織ると、ライナルトは部屋を出た。

 眠れぬ夜。だがこの苛立ちを鎮めるには、行動しかない。


「開発主任を呼べ。新型兵器の進捗を報告させろ」


 従者の兵士にそう命じながら、ライナルトは心の底で炎を燃やしていた。


――今度こそ、ユリウスを超える。


 スキルの力では勝っている。だがそれだけでは足りない。

 力で、恐怖で、支配で、従わせるのだ。

 その先にあるのは、兄に対する復讐ではない。

 己の価値を証明すること。それこそが、ライナルトにとっての唯一の救いだった。


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