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外れスキル〈工場〉で追放された兄は、荒野から世界を変える――辺境から始める、もう一つの帝国史――  作者: 工程能力1.33
1章

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第125話 抜け駆け発覚と狼

 グロッセンベルグ、夕暮れの工房裏。

 今日の作業も一段落したとあって、珍しく三人の女性陣――セシリア、ミリ、リィナが並んでお茶をしていた。


「あの……ふと思ったんですけど」


 セシリアがカップを傾けながら、どこか浮かれた様子でぽつりと言った。


「この中で、もし誰かが……抜け駆けしてユリウスとキスしたら、どう思います?」


 リィナは静かに紅茶を一口。ミリはカップを口に運ぶ寸前で、ぴくりと手を止めた。


「なんだよ、突然……」


「いや、ほら、ありえるじゃないですか。……たとえば、もうすでに誰かが……」


「……実は、私はもう済ませていますよ」


 と、リィナがあっさり言った。


「はぁぁああ!?」


 ミリが派手に茶を吹いた。


「い、いつ!? どこで!? どういう流れで!?」


「砦にいた頃です。ユリウス様が机で作業中に寝てしまった時、そっと……。“キスの時間が長いほど生殖欲求が増える”というタンホイザー曲線の実証のために、ですね」


「曲線とか関係ないじゃん!!!」


 一人で大騒ぎするミリの横で、セシリアが肩を落としてつぶやいた。


「……なんだ。私が一番じゃなかったのね……」


――その瞬間、ミリの耳がぴくりと動いた。


「……セシリア、今なんて言った?」


「え、いえ、別に……!」


「いや言った! 私が一番って言ったよね!? ってことは、キスしたってことじゃん!! 誰と!? どこで!? どんな雰囲気だったの!!?」


「い、今はそんな……! えっと、その、眠ってる顔がかわいかったから、つい……!」


「だあああああああああ!!」


 叫びながら椅子から飛び上がったミリは、涙目になって叫んだ。


「なんでだよ! なんでみんな私を置いていくんだよぉおおお!!」


「あ、私のは嘘ですから。ミリ、気にしないで」


 リィナは嘘だと自白するが、ミリの耳に届いたかは定かではない。

 そして、泣きながらその場を走り去っていった。

 ぽかんとするセシリアと、くすりと笑うリィナだけが、グロッセンベルグの空の下に残された。



――――


 グロッセンベルグの夜は、夏とはいえど冷たさを含んだ風が城壁を撫でていた。

 その最上部――見張りの兵も今はおらず、ただ月明かりだけが静かに照らすバリスタの影に、ミリは一人腰を下ろしていた。

 まさかセシリアが抜け駆けして、ユリウスにキスしていたとは。その衝撃に今でも涙が止まらなかった。

 手の甲で目元を拭ったそのとき、足音が近づいてきた。


「……探したよ」


 ふいに聞こえた声に、ミリはビクリと身を震わせた。

 顔を上げると、月光の下、ウイスキーのボトルとコップを二つ持ったユリウスが笑っていた。


 「あ、兄貴……い、今来るとか……!」


 慌てて涙をぬぐうミリに、ユリウスは何も言わずに隣に座り、持ってきたコップを差し出した。


「どうしたの、兄貴? そんなの持って……」


「今日がさ――君と出会ってちょうど一年なんだ。だから、二人だけで飲もうと思って」


「…………」


 ミリは少しだけ目を見開き、それから照れくさそうに笑ってコップを受け取った。


「覚えててくれたんだ」


「当たり前だよ。あの日、君に出会わなかったら、僕はまだ、錆びた歯車のままだったかもしれない」


 ユリウスがボトルを傾け、琥珀色の液体がコップを満たす。

 ミリも自分のコップに注ぎながら、風に揺れる炎のような視線をユリウスに向けた。


「……じゃあ、出会ってくれた記念に、乾杯」


 カシン、と夜空の下で静かに鳴るガラスの音。

 二人はウイスキーを口に含み、ゆっくりと喉に流し込んだ。


「思えば、最初の頃は兄貴のこと、変なヤツだと思ってたよ」


「えっ、ひどいな……」


「でも、いつの間にか……あの工場の音も、夜通しの作業も、全部が懐かしくなるくらい、日常になってた」


「僕もさ。君がいたから、ここまで来られた。ミリ……本当に、ありがとう」


 やがて、語り合う言葉の数が減り、ユリウスの動きが鈍くなっていく。


「……兄貴?」


 ミリが覗き込むと、ユリウスはそのままぐらりと横に倒れ、彼女の膝の上に頭を預けた。


「こらこら……またかよ……何度目だよ、兄貴が膝枕で寝るの……」


 ミリは小さく笑いながら、ユリウスの髪をそっと撫でた。


「はあ……私が狼だったら、もう襲われちゃってるぞ」


 冗談のように言ったが、彼女の頬はほんのりと赤くなっていた。

 その視線が、ユリウスの無防備な寝顔に落ちる。


「……ん」


 生唾をひとつ、喉が鳴った。


「ダメだ、こんなの……でも……」


 ミリはウイスキーの残りを一気にあおると、顔を真っ赤に染めながら、静かに、覚悟を決めた。


「ユリウス……」


 そっと名前を呼ぶ。

 それは、彼女の想いのすべてが込められた一言だった。


 そして――そっと、口づけを交わした。


 夜の風が、二人の間を通り過ぎていった。

 月がただ静かに、祝福のように光を落としていた。



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