第122話 抜け駆けの恩返し
夜の静寂を切り裂いて、不時着の衝撃が地面を震わせた。土煙の中、セシリアが尻もちをつく。
「い、今のは……着地失敗? なんで飛ばなかったの……?」
「これが限界です」
冷静に答えたリィナは、背負っていた飛行ユニットの噴射口を指差す。
「飛行ユニットは魔素の消費が激しく、最大稼働でも90秒が精いっぱい。もう空は飛べません」
「えっ、じゃあ……ここからどうするの?」
「走って逃げます」
即答だった。
セシリアが呆然とした表情を浮かべる間もなく、リィナは彼女を軽々とお姫様抱っこした。
「え、ちょっと、待って、降ろしてリィナ! 歩けるわよ私!」
「歩かれると遅くなります。敵が来ます」
「うぐっ……合理的だけど納得いかない……」
草むらをかき分け進みながら、リィナはふと腰のポーチから何かを取り出す。
それは、以前セシリアがグロッセンベルグに呼び出されたとき、ユリウスの身代わりに使った、例の変装道具一式だった。
「ここで使います」
「……まさか、今?」
パチン、と手慣れた動作でリィナは変装を完了。
セシリアの腕の中には、妙に凛々しくなったユリウス(中身:リィナ)が現れた。
「どうですか、セシリア様。満足でしょう?」
「いや、その顔でお姫様抱っこされてるの、地味に恥ずかしいんだけど!」
「ならば、表情をユリウス様の微笑に設定しましょうか?」
「やめてえぇぇぇぇぇっ!!!」
そして二人は、笑いと汗と逃走劇の真っ最中、グロッセンベルグの南に広がる夜の平原を駆け出した。
まだ朝靄の立ちこめる野戦陣地。その一角に、リィナに抱えられたセシリアが帰還した。
見張りが声を上げ、寝静まっていたはずの兵たちが騒然とする。
真っ先に走ってきたのはミリだった。息を切らしながらセシリアに駆け寄ると、言葉より先にその肩を抱きしめる。
「……一人で死のうとするな、この馬鹿!」
ミリの声は怒りと涙が混ざっていた。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
セシリアも肩を震わせながら、しっかりとミリの腕を握り返す。
「私、どうしても……みんなを逃がす時間を稼がなきゃって……」
「稼げたけど、稼がせた分、こっちは冷や汗だったよ! ユリウスなんて、あんたのこと聞いた瞬間に起き上がって、戦うって言ってさ……」
ミリはセシリアの手を引き、医療テントを指さす。
「自分の身体ボロボロなのに、リィナに肩借りてアテナの整備してたんだよ。あんたを助けるために」
「えっ、でも……雷帝の雷を……どうやって耐えたの?」
セシリアが問い返すと、ミリは少しだけ鼻を鳴らして答えた。
「魔導アルマイトって素材で、パワードスーツに“アイギスの盾”って背中の盾を作ったの。絶縁処理された金属で、雷撃を防ぐためのものよ」
「じゃあ……」
「でも、今回のは不完全だったから、雷撃を受けて“アイギスの盾”は破損。でも、アテナ本体は無傷。ユリウスも、ギリギリで生きて帰ってきた。……バカみたいでしょ?」
「……ううん。すごい、すごすぎる」
セシリアはぎゅっと胸元で手を握りしめた。
「私も……次は、ちゃんと守りたい。みんなを」
「その意気だよ。あんたが笑ってなきゃ、ユリウスも報われない」
ミリはそう言って、涙ぐむセシリアの背をぽんと叩いた。
そこでセシリアははっとなり、ユリウスの容態を尋ねた。
「ユリウスは……?」
「先に帰ってきたよ。アテナでの無理が祟って、ベッドで寝てる。少し熱もあるけど、命に別状はないって。みんなで行くと起こしちゃうから、一人で行ってきな」
ミリは少し怒ったような、しかし安堵を隠しきれない声で答えた。セシリアは黙ってうなずき、まっすぐユリウスの元へと向かった。
ユリウスは白い布団の中、穏やかな顔で眠っていた。
顔色はまだ青白いが、呼吸は落ち着いており、容態は安定しているようだった。
セシリアはそっとベッドの傍らに腰を下ろし、傷の様子を魔法で探る。
「ごめんなさい……私のせいで……」
小さく呟きながら、セシリアは回復の魔法を唱えた。
やさしい光がユリウスの胸元に灯り、体内に残る深い痛みを徐々に癒していく。
すると、眠っていたはずのユリウスが、うっすらと目を開けた。
「……セシリア……」
「ユリウス! ごめんなさい、私……」
「謝るのは……僕のほうだよ」
ユリウスはかすかに笑い、言葉をつむいだ。
「……ライナルトを前にして、迷った。……昔のことが、頭をよぎって……。僕が、躊躇ったから……あの一撃を受けた」
「そんな……」
「だから、セシリアだけのせいじゃないよ。……それに……助けてくれて、ありがとう」
その一言に、セシリアの胸が締めつけられた。ユリウスの優しさが、重く、温かくのしかかってくる。
「ユリウスこそ……生きて帰ってきてくれて、ありがとう」
もう一度、彼に回復の魔法をかけながら、セシリアはそっと彼の手を握った。ユリウスはやがて、静かに目を閉じ、安らかな寝息を立て始める。
その寝顔を見つめながら、セシリアは小さく息を呑んだ。そして、誰にも見られていないことを確認すると、ゆっくりと身をかがめ、彼の額にやさしく唇を重ねた。
「……これで、恩返し。少しは」
そう呟き、セシリアはそっと立ち上がった。部屋を出る直前、もう一度だけ、ユリウスの寝顔を振り返る。
「おやすみなさい、ユリウス」




