第119話 救出準備完了
野戦陣地の一角、魔導帷幕に守られたテントの中。外では風が草を揺らし、兵たちの足音と物資の積み下ろしが微かに聞こえていた。
コックピットユニットの中に身を沈め、ユリウスは静かに息を整えた。片手には魔導ペン、もう一方の手は震えを抑えるように布で包まれている。
セシリアの作ってくれた衝撃緩衝魔導回路は、未完成のままだった。だが、今は彼女の助けはない。自分でやるしかなかった。
「ここに補助コイル……いい、リィナ、角度は十五度。回路の流れを詰まらせないように」
「了解しました、ユリウス様」
リィナは手際よく魔素ケーブルを整え、ユリウスの指示通りに差し込んでいく。
その動作に無駄はなく、戦場での修復を幾度もこなしてきた手だった。淡く青白い魔力光がコックピット内に灯る。
「……ごめんな。君まで戦わせる羽目になった」
不意に呟かれた言葉に、リィナの手が止まる。
「私は……ユリウス様の部下です。護衛ゴーレムですから」
「いや、それでも。僕を救うために、爆発に巻き込まれる危険を冒した」
ユリウスは回路盤に視線を落とし、わずかに笑った。
「雷撃を受けて君の声が聞こえなくなったとき、本当にダメかと思った。でも……君が来てくれた。ありがとう、リィナ」
リィナは黙っていたが、ほんのわずかに視線を逸らした。
「それが私の存在意義です。ですから……礼を言われると、少し困ります」
魔導回路の端子を差し込みながら、リィナは口元を小さく動かした。
「でも……いえ、なんでもありません。動作確認、お願いします」
「……うん」
ユリウスは回路に魔素を流し、警告音が鳴らないのを確認した。
不完全ながら、何とか衝撃を吸収する機構は働くようだ。セシリアの精密さには及ばないが、これで命をつなぐことはできる。
「セシリアが戻るまで……僕がなんとかしなきゃな」
その言葉に、リィナは黙ってうなずいた。
夜風が、テントの布をわずかに揺らした。
夜の帳が野戦陣地を包み込み、周囲が静寂に沈んでも、アテナのコックピットでは灯火の明かりが揺れていた。
「……これで、回路の繋ぎ直しは終わりです、ユリウス様」
リィナが最後の導線を慎重に固定し、工具を置いた。魔導石が小さく脈動し、即席ながら衝撃緩衝回路が命を得たことを告げるように光を放つ。
「ありがとう、リィナ。これで……セシリアを助けに行ける」
ユリウスの声には、安堵と決意が混ざっていた。だが、その言葉を聞いても、リィナは視線を逸らさなかった。
「行くんじゃなくて、“行こうです”。私も一緒に」
「……そうだったな」
「セシリア様は私にとっても、大切な人です。ユリウス様だけに行かせるつもりなんて、ありません」
その目は、揺るぎない意志をたたえていた。
「三人で帰りましょう。誰一人欠けずに。アテナが壊れても、敵に囲まれても、絶対に、戻るって決めましょう」
ユリウスはわずかに驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに頷いた。
「……ああ、約束する。絶対に三人で、戻ってくる」
リィナはほっとしたように息をつき、少し微笑んだ。
「なら、準備は万全です。アテナも、私たちも」
深夜の野戦陣地、アテナの静かな内部に、二人の決意が静かに刻まれた。




