第118話 セシリアの捕縛伝わる
荒涼とした野戦陣地の一角。風を防ぐ簡素な天幕の中、ユリウスはまだ深い眠りの中にいた。
爆風に巻き込まれた身体は包帯で覆われ、右腕には特に厚い補強が施されている。
その寝台の横で、ミリと若い騎士ライナーが小声で話していた。
「……使者が来たんだな?」
「ああ」
ライナーは顔をしかめた。
「ライナルト陣営の兵だった。使者だと名乗り、傷一つなく引き返していったよ」
「セシリアを拘束したって……本当なの……?」
「“セシリア皇女は無事に確保した。返してほしければ、ユリウス本人が来い”と。挑発のつもりだろう」
ミリは拳を握りしめた。
セシリアのことを思うと、胸が張り裂けそうだった。
「……くそっ、ユリウスに伝えられるわけないじゃん……! こんな状態なのに……!」
その時だった。
「……セシリアが……?」
寝台から、かすれた声が漏れた。
ミリとライナーが一斉に振り向く。
「ユリウス!?」
目をゆっくりと開いたユリウスが、虚ろな瞳で天幕の布を見上げていた。
「……今、なんて……? セシリアが……捕まったって……?」
ミリは慌てて枕元に駆け寄った。
「だ、だめ! 今はまだ喋っちゃ――!」
「……《アテナ》……持ってきてるんだろ……? 動けるように……してくれ」
ライナーが困惑した声で答える。
「後衛に配備されていますが……整備は不完全です。《アテナ》の出力は高すぎて……パイロットにかかる負荷が尋常じゃありません。今の状態では――」
「無理だよ、ユリウス!」
ミリが叫んだ。
「あれは……乗る人間の身体を壊す。今のあんたが乗ったら、確実に死ぬ!」
ミリは強引にユリウスを寝かそうとして、体をおさえつけようとした。
「……だから、やめて……お願いだから……!」
だが、ユリウスは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い、次の瞬間――冷たく、鋭い声で言い放った。
「これは命令だ。《アテナ》を整備しろ。……すぐに、だ」
ミリの目が見開かれる。
「――っ!」
沈黙が落ちる。
ミリは歯を食いしばり、悔しそうに顔を背けた。
「……わかったよ。やればいいんでしょ……やれば……!」
その声は、涙をこらえて震えていた。
「でもな……死ぬんじゃねぇぞ、バカユリウス……!」
ユリウスは力なく微笑んだ。
「……ありがとう、ミリ」
ミリは拳で自分の目元をこすりながら、天幕を出ていった。
「どうして……どうして、あたしがこんな奴のために泣かなきゃならないんだよ……!」
――――
荒れた野戦陣地の一角。鉄と魔素のにおいが漂う整備区画に、ミリの金槌の音が響いていた。
ミリは休むことなくアテナの整備を続けていた。
「……ミリ」
背後から聞こえたかすれた声に、ミリは手を止めた。振り返ると、リィナの肩を借りて歩くユリウスの姿があった。顔色はまだ悪く、無理を押しているのは明白だった。
「お、おい! 来るなって言っただろ、バカ兄貴!」
「……ちょっと、頼みがあって」
その表情に、ミリは言葉を飲む。ユリウスは整備中のアテナの装甲を見上げ、しばし沈黙したあと、リィナに軽くうなずいた。リィナは静かにその場を離れる。
哨戒任務中のリィナを無理に呼び戻して、ここに連れてきてもらっており、彼女は直ぐに任務に戻らなくてはならなかった。
二人きりになると、ミリは眉をひそめた。
「また……変なこと思いついたんだな? ……言わなくてもわかるよ、アンタのその顔見てりゃ」
ユリウスは小さく頷くと、工房スキルを発動した。魔素の渦が生まれ、傍らに小さな工場のような構造物が出現する。
ミリはそれを見るなり目を見開いた。
「なっ……!」
しかし、ユリウスは詳細を語らず、ただミリの目を見て小さく頭を下げた。
「頼む、ミリ。あれに……あの装甲に、君の力が必要なんだ」
しばしの沈黙。ミリは歯を食いしばり、拳を握りしめる。
「……はぁ。バカだよ、アンタは。ホントに、どうしようもないバカ」
だがその声には、怒りよりも呆れと、それ以上に深い信頼がにじんでいた。
「でも、あたしの仕事を、あたしにしかできないって言うなら──やるしかないじゃんか」
ミリは工具を手に取ると、アテナの装甲に向き直った。
「こんな無茶、絶対に成功させてやる。文句言わせないからね……兄貴」
背後で、ユリウスはそっと口元を緩めた。




