第117話 ライナルトとヴィオレッタの思惑
古城におかれたライナルトの本陣。
負傷したライナルトは椅子に腰かけ、片腕を吊りながら、鋭い眼光で地図を見つめていた。背後には、副官のヴェルナーと魔導研究者のルーメンが控えている。
「……雷槍投爆はすべて撃ち尽くしました。補給部隊も次の便は二日以上先になります」
ルーメンの報告に、ライナルトは小さく舌打ちした。
「一度の実験にしては成果は上々だったが……肝心の首は取り逃した。まさか鹵獲防止用の自爆を仕込んでいたとはな」
吊られた腕が痛む。まだ完治にはほど遠い。だが、それを表に出すことはない。
「ユリウスの首をこの手で取らねば意味がない。だが、こちらから再び攻勢を仕掛けるには、時間が足りん」
「ならば、引きずり出すしかありませんな」
ヴェルナーが静かに言った。
「捕らえた皇女殿下──セシリアを使えば、ユリウスは必ず来ます。彼女はあの男にとって特別な存在。捨てられるはずがない」
ライナルトの口元に、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「皇女など、名ばかりの飾りだ。グランツァール帝国に権威など残っておらん。だが、ユリウスにとっては違う。仲間の命には、あの甘さが残っている」
「兵を動かすにしても雷槍投爆は残っておりませんが、ここで待ち構えておるのであれば、彼一人を討ち取ることはできるかと。あちらも、あの機械兵を失っております。戦力はこちらの方が上」
「上等だ」
ライナルトは立ち上がり、足を引きずるようにして戦場地図の前に進む。
「罠の餌には、皇女。獲物は、我が兄──ユリウス・フォン・ヴァルトハイン。仕留めるなら、今しかない」
その目には憎しみと執念、そして戦果への渇望が燃えていた。
その夜、ライナルト軍の野営地からやや離れた廃屋の一室に、ひときわ煌びやかな黒衣の女が現れた。
グランツァール帝国皇族、ヴィオレッタ――セシリアの異母姉にして、混沌を信奉する異端者。彼女は常に独自の行動を取り、ライナルトの陣中でも、その存在は特別視されていた。
部屋には既に、数名の仮面の使者が待機していた。
彼女が一瞥をくれると、使者たちは黙って文書を差し出す。
「……カスタムハーフェンの補給線は確実に断てる。次の『揺さぶり』には最適ね。」
彼女は地図の一角を指でなぞる。
指先が止まった先に、ユリウスの勢力に寝返ったが、ライナルトによってふたたび制圧されたばかりの小領地があった。
「制裁の手は、いつでも“誰から”伸びるのか分からない方が効果的。雷槍投爆は……ええ、あれは素晴らしい混乱の種だったわ」
使者のひとりが口を開く。
「閣下にはお伝えを?」
「いいえ。あの人は戦いが好きなだけの戦士よ。混沌の本質など理解できない。私は……私の美学で動く」
ヴィオレッタはゆっくりと立ち上がり、窓辺に歩み寄る。
遠くに見える炎の灯り――それはライナルトの本陣だった。
「“理想”などという脆い幻想を掲げる妹が、絶望に沈んでいく様を見たいのよ。私たちの父が遺そうとした“帝国”を、壊れた鏡に映すみたいにね」
使者たちは黙礼し、闇に紛れて立ち去る。
ヴィオレッタは一人、廃屋の中で静かに笑った。
それは、慈悲も情もない、氷のように冷たい笑みだった。
「――さあ、もっと混ざり合いなさい、秩序と破滅が」
ユリウスだけでなく、ライナルトも駒として使おうとするヴィオレッタの策が動き出す。




