第106話 ライナルトの新兵器開発
書斎の空気は冷たく、重苦しい沈黙が漂っていた。
ヴァルトハイン公爵ライナルトは執務机の前に立ち、窓の外を睨みつけるように見ていた。
怒りはすでに過ぎていた。だがその代わりに――研ぎ澄まされた意志があった。
「……我らが兵は、あの砦で砕かれた。
魔弾兵のいない敵に、だ」
呟く声に応じる者はない。だが、直後に扉がノックされ、秘書官の声が届く。
「ライナルト閣下、技官長ルーメン・ヴァイスが参りました」
「通せ」
現れたのは、長身痩躯の技術者。灰色の外套の下に、黒革の工具帯。
年齢は四十代半ば、顔色は悪いが、目の奥には執念が宿っている。
「お呼びとあらばいつでも。……新兵器の話と伺いました」
「そうだ。ユリウスの砦には、魔導的な連携と投擲機がある。
ならば、我らも“飛ばす”手段を進化させねばなるまい」
ライナルトは机に設計書の草稿を置いた。
そこにはバリスタを基礎にした新たな構造図が描かれていた。
「名は《雷槍投爆》。魔導錬金術による加速術式で槍を放ち、
着弾時に矛先の爆裂回路が作動し、爆発を引き起こす」
「なるほど……“矢”ではなく“雷の槍”というわけですね。
術式は圧縮型魔導核を使用する構造にしましょう。小型だが、爆風は戦列を吹き飛ばす」
「構わん。精密さより破壊力を優先しろ。外れても近くで爆ぜればよい。
貴様の持つ禁術――“爆鳴銀線”も応用できるだろう?」
ルーメンは目を細めた。
「……あれは封印された錬金術式。扱いを誤れば、射手ごと爆死します」
「だから貴様に任せる。撃てる者を選び、扱える者だけに与えろ。
連中が誇る機械仕掛けの砦など――一撃で黙らせてやる」
ライナルトは冷酷な微笑を浮かべた。
「この雷槍は、“砦”にではない。あの男――ユリウスに向けた刃だ。
兄弟としてではなく、“戦場の敵”として迎え撃つ」
ルーメンは黙って一礼し、図面を巻き取り懐に収めた。
「開発班を動かします。十日以内に試作品を。
射程は? 三百メートルでよろしいか?」
「五百を目指せ。風に流されるなら、それごとねじ伏せる術式を組め」
「……閣下らしいご要望ですね」
足早に去る技官の背を見送りながら、ライナルトは再び窓の外を見やった。
そこには、夕焼けに染まる灰色の空。
まるで火薬の匂いを孕んだ嵐の前触れのようだった。
そして、ルーメンはついに完成させる。
帝国南辺、交易都市カスタムハーフェン。
石畳の通りでは商人たちが店を閉め、衛兵たちが帰路につく。だが、かつてヴァルトハイン公爵領に属していたこの街は、三日前にグロッセンベルグを支持することを宣言したばかりだった。
「──ユリウス殿こそ、この時代に相応しいお方だ」
市議会の発表は人々の間に安堵と期待をもたらし、街には戦勝祝賀の気配すら漂っていた。
だが、その夜――空が割れた。
「な、なんだ……?」
市街中央にそびえる鐘楼に、青白く輝く光が突如として落下した。
次の瞬間、雷のような轟音と共に、塔の半分が消し飛んだ。
「爆発だ! 攻撃を受けている!」
衛兵たちが叫ぶより早く、第二撃が空から突き刺さる。
燃え上がる街区、飛び交う石片、そして煙の向こうにうっすらと浮かぶ金属の影。
「矢……? いや、槍だ……!」
破壊の中心に残されていたのは、黒鉄に包まれた異形の槍だった。
それは、矛先に刻まれた魔導回路が青く明滅しながら、煙を吐いていた。
──雷槍投爆。
魔導錬金術によって飛翔し、着弾と同時に爆発する、破壊と実験の産物。
「こ、これは……まさか……ライナルト閣下の……!」
震える声が、誰ともなく呟いた。
それだけで充分だった。恐怖は伝播する。誰も彼もが、雷帝の怒りを想起する。
ライナルトはこの場にいない。
だが、彼の名だけが、災厄の真上にあった。
その夜、都市の半分が焼け落ちた。
降伏文書を出していた市長は失踪し、翌朝には別の議員が「中立宣言」を掲げる。
「これは“警告”だ」
人々はそう囁き合った。
雷帝が、空を睨んでいるのだと。




