第103話 セシリアの帰還と朝帰りと
グロッセンベルグの城門が開かれると、ノルデンシュタイン砦からの帰還部隊が整然と入城した。傷ついた兵も多く、その顔には疲労の色がにじんでいる。
その先頭に立つのは、汚れた軍服に身を包んだ銀髪の女性――セシリアだった。
「報告します。ノルデンシュタイン砦、無事防衛成功しました」
馬を降りた彼女は、背筋を伸ばしてユリウスの前に立ち、はっきりとした声で言った。表情は硬く、感情を押し殺している。
「指揮は帝国騎士の助力を得て行い、罠と魔導砲を活用した迎撃により敵を退けました。犠牲は……出ましたが、守り切りました」
「……よくやってくれた、ありがとう」
ユリウスの目が一瞬、彼女の目の奥を覗き込んだが、セシリアはそれを遮るように軽く頭を下げると、部隊に指示を出し始めた。
「負傷者を療養所に。装備の修理と再点検を。魔導通信装置も一度点検しておいて」
てきぱきと命令を出すその様子に、まわりの兵士たちは感嘆の声を漏らした。
だが――その指の震えに、誰も気づく者はいなかった。
深夜、城の高台にある小さなバルコニーで、セシリアは一人、グロッセンベルグの夜景を見下ろしていた。銀髪が月光に照らされ、ふわりと揺れる。
背後から足音が聞こえる。
「やっぱりここにいたか」
振り返ると、ユリウスがマント姿で立っていた。
「……眠れなくて」
セシリアは苦笑し、視線を戻す。
「誰かが見てると、しっかりしなきゃって思えるの。不思議よね。砦では、ずっと誰かの前に立っていたから、倒れる暇もなかった」
「それで……今は?」
ユリウスの問いに、セシリアは肩を震わせ、両手で顔を覆った。
「いまさら、崩れていいの……? 私が命じたことで、人が……死んだの。笑顔で落とし穴を掘ってくれた人が、爆発に巻き込まれて……血の跡だけが残ってて……!」
嗚咽混じりの声が、夜気の中に溶けていく。
「私が指揮なんて取らなければ、もっと……違う未来があったかもしれないのに……っ」
「君がいたから、あの砦は守られた」
ユリウスは彼女のそばに立ち、ゆっくりとその肩を抱いた。
「……ありがとう。でも、それでも私は……」
セシリアは震える声で言葉を紡ぐ。
「私、あなたを最初……利用しようとした。皇女として、あなたのスキルを――工場を、戦力として使うために。でも……」
彼女はそっと彼の胸に額をあずけた。
「あなたに救われて、砦で皆と過ごして……気づいたの。私は、誰かの役に立ちたいって、心から思ったの。あなたの隣で……人として」
ユリウスはその額に手を添え、ゆっくりと頷いた。
「……僕だって、初めて戦った夜、泣きたくて仕方なかった。でも君がそばにいてくれて、救われた。だから今夜は、僕が君のそばにいる」
「朝まで?」
「もちろん。朝まで、ずっと」
そうしてふたりは、寄り添うように夜を過ごした。セシリアがようやく弱さを見せられる場所――それがユリウスの隣だった。
グロッセンベルグに帰還したその夜、セシリアとユリウスが静かに語らっていた一方――
ミリは鍛冶場の隅でぼんやりと湯気立つ炉を見つめていた。隣にはリィナが立っている。
「……よいのですか? セシリア様とユリウス様が、二人きりであのように」
「今くらいは、ね。あたしじゃ支えになれないときもある……って、思っただけよ」
ミリは唇を噛み、少しだけ視線を落とした。だがすぐに炉の炎を見つめ直す。
「でもまさか、ずっと一晩中ってわけじゃ……ない、よね……?」
その朝――
ユリウスが眠そうに目をこすりながら居住棟から出てくるのを見て、ミリは絶句した。
「……えっ、一晩中!? 朝まで!? な、何してたの!?」
「え? セシリアさんと話してただけだけど?」
「あ、あたりまえでしょ! べ、別に疑ってなんかないし!」
横からリィナが無表情で囁くように言う。
「ミリ様、耳が真っ赤です。動揺しすぎでは?」
「し、してないってばーーーっ!」
朝の空に、ミリの悲鳴が響き渡った。




