第102話 第二次ノルデンシュタイン砦防衛戦 その後で
夜が明け、ノルデンシュタイン砦にはようやく静けさが戻っていた。
だが、その静寂は平穏ではなく、傷ついた者たちの呻きと、燃え残った敵兵の遺体処理の気配に満ちていた。
セシリアは砦の南側、防壁の内側に設けられた臨時の救護所を歩いていた。
白布にくるまれた遺体が並ぶ。その中に、彼女の目は一際小さな身体を見つけた。ドワーフの青年、ボルガだ。あの夜、落とし穴を掘っていたときに、手に豆をつくりながら笑っていた彼だった。
「ボルガ……」
セシリアは膝をつき、震える手で布の端をめくる。
眠るような穏やかな顔。けれど、その胸には敵兵の槍による深い傷が残っていた。
「どうして……私がもっと……」
目の奥から、熱いものが込み上げてくる。唇を噛み、泣くまいと堪えようとしたが、頬を涙がつたうのを止められなかった。
彼は、戦士ではなかった。ただの鍛冶職人の息子で、砦の暮らしに慣れ始めたばかりの若者だった。
彼が自ら望んで命を懸けたことは、セシリアがよく知っていた。それでも――。
「わたしのせい……なのに……!」
掠れた声が漏れる。震える指でそっと目元を拭ってやりながら、セシリアは心の中で何度も謝った。
そのとき、後ろから控えめに声がかかる。
「……セシリア様」
振り返ると、鎧を着た騎士が一人、ヘルメットを抱えて立っていた。リルケット直属の部下である若き騎士、クレメンスだ。血と埃にまみれた顔でありながら、彼の瞳は真っすぐだった。
「敵軍、すべて撤退を確認しました。戦力報告と、遺体確認の名簿を……」
「……ごめんなさい。もう少しだけ、時間をください」
クレメンスは小さく頷いた。
「……かしこまりました。セシリア様の戦いぶり、皆が見ておりました」
そう言って彼は静かに一礼し、その場を去った。
残されたセシリアは、立ち上がることができなかった。
勝った。それは確かだった。
だが、誰かを守るために立ったその戦で、彼女はまた一人、もう会えない人を失ったのだ。
戦とは、こうも哀しいものか。
胸の奥で燃え盛る使命感は、まだ消えていなかった。だが、確実に何かが欠けていく――その実感に、セシリアの細い肩は震え続けていた。
こうしてノルデンシュタイン砦の戦いは終わった。
サジタリウスの火力と結界による防衛は機能し、砦の陥落は防がれた。しかし、負った代償は小さくなかった。
夜明け、やっと気持ちの落ち着いたセシリアは戦死者と負傷者の報告を受けていた。落とし穴を一緒に掘っていた老婆が、敵の槍を受けて亡くなったと聞いたとき、彼女の手が震えた。
「私は、命を預かる重さを、分かっていなかったのかもしれません……」
砦の中庭、まだ血と煙の匂いが残る中、彼女は空を見上げて息を吐いた。
魔導通信機の前に立ち、彼女はユリウスに連絡を入れた。
ノイズ混じりの通信の向こうから、ユリウスの声が聞こえた。
「セシリア! 無事か!?」
「……ええ。なんとか。砦は守りました。でも……死者が出ました。私の……仲間が」
「……すぐに帰ってきて。顔が見たい」
その言葉に、セシリアの目に涙がにじんだ。
数時間後、セシリアを乗せた魔導馬車がノルデンシュタイン砦を出発した。傷ついた仲間たちの思いを胸に、彼女はグロッセンベルグへと帰還する。
砦の住人たちは、彼女を見送りながら静かに敬礼を送った。
かつて臆病だった皇女は、今や誰よりも勇敢に砦を守った指揮官だった。




