第100話 第二次ノルデンシュタイン砦防衛戦このあとすぐ
陽が傾き始めたグロッセンベルグの空に、黒煙が細く伸びていた。砕けた敵兵器の残骸、散乱する武具。町の周囲には、ユリウスたちの勝利の爪痕が刻まれていた。
「リルケット、後処理は任せる。捕虜の扱いは慎重にな。市民の安全を最優先に」
オリオンの装甲を脱ぎ捨て、汗に濡れた額をぬぐいながら、ユリウスはそう告げた。
「了解した、ユリウス様。……だが、お前の顔色も相当だぞ?」
「心配するな。それより――セシリアたちは今も戦ってる」
ユリウスは言葉少なに、防衛本部の地下に設けられた長距離魔導通信室へ向かった。リィナが無言で付き従う。
一方その頃、ノルデンシュタイン砦。
砦の東門前にて、セシリアは泥と血にまみれながら、前線の指揮をとっていた。足元には、急ごしらえの落とし穴が敵の騎馬隊を呑み、後方には木材と鉄屑で構築された簡易障壁が火花を散らしていた。
「第二小隊、右から回り込む敵を迎撃! 魔導矢、装填急げ!」
顔を上げると、夜空にはまだ光が残っている。だが、砦の兵士たちの表情は闇よりも深い。
(ユリウス……あなたの町は、守りきれたかしら)
ふと、胸元の魔導通信機がわずかに明滅した。
「こちらノルデンシュタイン砦、防衛戦継続中。敵勢力、およそ百と推定。セシリア・フォン・……セシリアが指揮を執っています。ユリウス、聞こえていますか?」
通信機の奥で、魔素が震えた。
「……セシリア! こっちは片付いた。すぐに支援部隊を送る。君は無事か!」
その声に、セシリアの肩から一気に力が抜ける。
「……ええ。まだ……なんとか。そちらが無事で良かった……」
だが、通信の先にリィナの声が混じる。
『わたくしが戦場を踏み鳴らし、敵を蹴散らした結果でございます! ユリウス様は何一つお怪我もなく!』
『おい、勝手にしゃべるな! セシリア、あとでまた――』
ぷつりと通信が途切れた。
セシリアはほんの一瞬だけ、唇を噛んだ。
「……ユリウスったら」
頬が紅潮する。
だが次の瞬間、飛来した火矢が空を裂き、兵の一人が悲鳴を上げた。
「――戦は、まだ終わっていないわ!」
セシリアは再び杖を掲げ、魔導障壁を展開した。ユリウスの声を胸に刻みながら。
時刻は少し遡り、第二次ノルデンシュタイン砦防衛戦が始まる前。
砦の朝は、冷たい霧と共にやってきた。
緊張に凍りつく空気のなか、遠くから太鼓のような音が響く。進軍の足音――敵軍がついに、姿を現しつつあった。
砦の上では、セシリアが静かに望遠の魔導鏡を覗いていた。谷を越え、坂を登ってくる黒い影の群れ。それは、まるで影の波だった。武器を構え、戦列を整える姿には、かつての帝国軍にも似た統制がある。
「……来るわね。まっすぐ正面から」
セシリアは魔導鏡から目を離し、背後に控える数名の騎士と砦の住民たちに目を向けた。
そこには、決して多いとは言えない兵力。だが、その一人ひとりの表情に、昨日までとは違う光が宿っている。
「結界回路は?」
「東壁、南壁ともに配置完了! ただし魔導水晶の消耗が激しいので、長時間は持たないかと」
「十分よ。持たせるだけでいいの。持たせて、撃退するのよ」
セシリアは腰に提げた小さな杖に触れた。魔力の巡りを確認するように、指先に軽く力を込める。内から沸き立つ熱、それは恐怖ではない。意志の火だ。
「……ユリウス、見ていてください。私は、この砦を守ってみせます」
その声を聞いた帝国騎士の一人――かつて将軍として名を馳せた老兵が、ふと呟く。
「まるで、かつて帝国を救ったというアンジェリカ皇妃のようですな……」
だがセシリアは聞こえなかったふりをした。ただ、一歩前へと進む。防衛の要、魔導錬金砲「サジタリウス」のもとへと向かうために。
そして、その頃。空を覆い始める不穏な雲の下――ヴァルトハイン公爵軍の先鋒部隊が、ついに砦の視界に迫っていた。




