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第二話:人間と天使と魔物

 第二話:人間と天使と魔物


 下腹部の内臓が破壊され、左肩も外れている。


 だが、俺は焦らない。焦らず、傷を癒やす魔法をイメージする。


 『いいか、これは回復の魔法を使うための訓練だ。痛みも我慢しろ』。


 そう言われながら、父に関節を脱臼させられ、切り傷をつけられたりした。


 『魔法は想像力だ。治っていく過程を想像しろ』。


 そう言われながら、生々しい傷口の写真を見せられたり、解剖学の座学を受けさせられていた。


「シン、歩きながらで大丈夫?少し休む?」


「いや、問題ない。あの悪魔が再び襲ってくるかもしれないし、街に向かう」


 俺とトーネは歩きながら話していた。なおかつ俺は回復の魔法を発動しながら、だ。


 時は一刻を争う。魔物が跋扈する自然の真っただ中で休息を取るのはよくない。


「人間の街に向かえば、必要なサービスを受けられる。俺とトーネの治療をしてもらえる」


「私も?私はいい」


「よくない。悪いな、魔法で人の怪我を治すこともできるんだが、流石に天使の翼をもいだ怪我は治せそうにない」


 俺は先の大悪魔に左肩と腹を破壊されたが、トーネも片翼を失うという大怪我をしている。天使の翼を普通の人間の組織とみなしていいかは分からないが、人間における手足と等しい部位を失ったと考えれば、すぐに治療が必要なのが予想できる。


「失血も、多分相当だろう?天使の血の輸血はないと思うが、より専門的な回復の魔法が扱える人間の手を借りた方がいい」


「……そう?」


「そうだ。普通の人間ならそうする」


「それなら、そうしよう」


 人間になりたいトーネには、それが人間らしいことだと添えてお願いするのが最も効く。


「それより、トーネはどう思う?私の御業について」


「あの悪魔の名前しか忘れさせられなかったことか。やはり、翼を片方失ったことが原因だと思う」


「やっぱり?」


 翼がなくなったことでトーネの天使としての性質が薄れ、御業の効果が弱まった。そう考えていいだろう。


「あのとき、私はあの悪魔の記憶全てを消去するつもりで御業を発動した。にもかかわらず、名前しか忘却させられなかった」


「翼を失う前はどうだった?他の天使から逃れるのに御業を使ったときは?」


「問題なく使えた。部分的な記憶の忘却も、完全な消去もできた。だからおそらく、片翼になったのが原因」


「そうか……」


 翼を持つ者の感覚も、失うという感覚も分からない俺は、神妙に頷くことしかできなかった。


 翼を失うということは、御業が使えなくなるということなのか。


 そして、御業が使えない天使は、もはや天使とは呼ばない。ある意味、天使をやめて人間になりたいというトーネの願望と一致しているわけだ。


「なあ」


「なに?」


「トーネは今も、人間になりたいか?……つまり、もう片方の翼も削ぎ落としたいか?」


 治った左肩を確かめるように左腕を回しながら、俺は尋ねてみる。


「……どうだろう。人間になるためには翼を失った方がいいということは分かったけれど、忘却の御業のおかげでシンを救うことができた。分からない。天使のままでいても、いいのかもしれない」


「なら、片翼でいればいいな」


 信念と実益の間で揺さぶられている自己の在り方。


 自分の意見が整理できていないトーネに、俺は笑いかけた。


「片翼で……?」


「天使でも人間でもなければ、後でどちらかの方がよかったと悔やむことはないはずだ」


「それは、そうかもしれないけれど……」


「それに、今なら不完全ながら御業を使える。忘却の御業は強力だし、大天使を倒すのに必ず役に立つ」


「でも、次は上手くいかないかもしれない……」


「安心しろ」


 腹部も治ってきた。服の上からさすってみるが、確かに内臓が詰まっているのが感じられる。


「トーネが上手くいかなかったら、俺がなんとかする」


「なんとかとは……」


「トーネ」


 俺は名を呼んで、反論したそうな彼女の口をつぐませる。


「……なに?」


「俺に、トーネを守らせてくれ。お前を守りたい」


 両親を失い、故郷も失った俺は、尽くす先を失くしてしまった。


 だが、守りたいと思える存在が、今俺の目の前にいる。


「……」


「どうだ、トーネ。俺はお前とともに、大天使を討ちたい。お前を守らせてくれ」


 俺の思いを伝えると、トーネは赤い顔をしてそっぽを向いてしまった。


 仕方がないので、ニュアンスを変えてもう一度告げてみる。


「それとも、迷惑か?それなら友達程度の距離間でも……」


「迷惑ではない!……その、嬉しい」


「そうか。それなら、考えてくれるか?今すぐ答えを出さなくてもいい。せめて街に着くまでに……」


「いや、今応える。でも、一つ条件がある」


「条件?なんだ?」


「あの悪魔も目標にする。名前を忘れたあの悪魔、『名無しの大悪魔』も倒したい」


「それは、本心で言っているのか?それとも俺に気を遣っているのか?」


「本心」


 トーネは大きく頷いた。


「いい、シン?シンの痛みは私の痛み。あなたが私に尽くすというなら、私もあなたに尽くす」


「それは嬉しいが……」


「シン」


 今度はトーネのターンだった。


「あなたが私にするように、私もシンを支えさせて。二人で一緒に、この世界を変える」


「……」


「どう?条件は飲む?」


 逃げ場のない一言を放ち、大きな瑠璃色の瞳が俺の目を見つめてくる。


 きれいだ。


 俺は視線を受け止め、真っ直ぐな目を返した。


「……飲もう。今日から俺は、トーネの剣になる」


「それなら私は、シンの翼になる」


 今この瞬間から俺たちは、友達よりも深い関係になった。



 ※※※



「ギィヤアアアアア……!」


 ネコのそれをしゃがれさせ、低くしたような鳴き声が響く。


「この魔物は……?」


「ダガーファングキャットという。ダガーのような発達した犬歯を持つヤマネコの魔物だ」


 村から一番近い街まであと数キロメートルというところで、比較的小さめの魔物、ダガーファングキャットと遭遇した。


「ギィイ、ギィヤアア……」


「単独で行動する肉食性の魔物で、習性はイエネコとほとんど同じ。好物はファットラット」


「そのダガーファングキャットが、かなり怒ってるみたいだけれど……」


「大丈夫、気が立っているのはいつものことだ。基本的に自分より小さな魔物に対してしか狩りが成功せず、常にお腹が空いているからな」


「なるほど」


 俺は父の教えと、普段から魔物を狩っている経験を交えてトーネに説明する。


 が、授業の時間はもう終わりのようだ。


「ギャアアアアッ!!」


 ダガーファングキャットが痺れを切らして、俺に襲いかかってきたからだ。


「シン!」


「大丈夫」


 言いながら、俺は大口を開けて飛び込んできた魔物の首根っこをキャッチする。


「ギャッ!?」


「こうして顎を固定して、犬歯を握って引き抜く!」


 一連の動作を素早く行い、俺はダガーキャットから天然のダガーを抜き取った。


「ギィヤアアアアアッ!!」


 歯を失ったところから大量出血し、ダガーファングキャットは叫び声を上げて暴れ回る。


 このままでは鋭利な爪で引っかかれてしまうので、俺はキャットを投げるように放って自由にしてやる。


「ギィヤアッ……!」


「だ、大丈夫なの?」


「犬歯はまた生えてくるから大丈夫だ。ちょっと引っかかれるのが痛いくらいだな」


 逃げるように退散したダガーファングキャットを尻目に、俺はなんともないように言う。


 そして、右手に握る戦利品をトーネに見せた。


「これが、ダガーファングキャット産のダガーだ。金属から作った刃物と遜色ない切れ味を持っている」


「おお……!」


 ちょっと黄色みがかった白色で、ナイフのように片側の根元から先端までが鋭くなっている形状をした天然の凶器を見て、トーネは感嘆の声を上げた。


「抜いて、そのまま使えるの?」


「今の時代では、というか現代ではそのまま使うような人はほとんどいないが、使えなくはない」


「そうなんだ。……ねえ」


「駄目だ」


「……まだなにも言ってない」


「持ってみたいんだろ?駄目だ。今のままじゃ血や唾液で汚れているし、トーネは刃物の扱いに不慣れだろう」


「そうだけど……」


「だから駄目だ。今はな」


 口を尖らせて食い下がろうとするトーネに、俺は力強く言う。


「まあ短剣術は街に着いて、清潔で扱いやすい加工品を手に入れてから教える。この世界で生きていくには必須のスキルだしな」


「……ありがとう」


「気にするな。当然のことだ」


 隣どうし歩きながら、俺とトーネで意思疎通を深めていく。


「ただ、トーネ。街に着くまでに慣れておいてほしいことがある」


「なに?」


「片翼でいることへの慣れだ。片翼を展開したまま歩いたり走ったり、展開していないときと同等の行動ができるようにしておいてほしい」


 天使は一般的に、御業を発動するためには翼を展開しなければならない。


 これから先、トーネの忘却の御業に頼るときが必ず来るだろうし、片翼展開時に行動することを考えておかなければならない。


「分かった。私とシンのために、がんばる」


「その意気だ」


 トーネも、俺の言いたいことの真理に気づいているようだ。


 世界を変えるには、それ相応の力がないといけない。力をつけるには、小さな目的を作って日々達成し、細かく成長しなければならない。


「っ!……傷口が開く」


「なら、圧迫してみよう。……これで少し時間を置く」


 トーネが翼を展開すると、片翼を失った傷に由来する痛みに端正な顔が歪んだ。


 俺は急いで服の裾をちぎり彼女の背中に押し当て、圧迫止血を促す。


 自然とトーネと距離が近づく。俺が彼女に抱き着くような形になってしまった。


「なんで、前から腕を回している?」


「知ってるか?人は、押す力よりも引っ張る力の方が強い。奥から手前に圧迫すれば、力が充分にかかる」


「……本当に?」


「トーネに嘘はつかない。くだらない下心もない」


「そう……」


 トーネはそれきり、そっぽを向いて黙ってしまった。


「……」


 だから、俺も黙る。


 ただ暇なので、トーネの小さい体を包み込みながら考え事をする。


 トーネにあと必要なのは、衣服だな。天使の装束である白いシルクの布はもはや血と土で汚れ、まるでぼろきれだ。今すぐにでも、清潔な衣服に着替えさせたい。


「ねえ、シンになら、下心を持ってもらっても……」


「風呂にも入れさせたいな」


「え?シン?」


「戻ったか。なに、これからの話だ」


「シンは、私をお風呂に入れさせたいの?」


「そうだな」


 『トーネにはきれいでいてもらいたい』。


 そう続けようとしたんだが……。


「……へんたい」


「変態じゃない。トーネにはきれいでいてほしいんだ」


「なっ……!」


 今度は目を大きく見開き、顔を赤くするトーネ。


「な、なんでそういうことを、普通に言える?」


「守るとは、そういうことだ。恥なんて気にしてる場合じゃない」


「……そう」


 さて、そろそろ血が止まったかな。


「どうだ、トーネ」


 俺は腕を離し、抱き着いた体勢を解除する。


「……。完全ではないけど、いけそう。このままやってみる」


「分かった。それなら、布を結ぶ」


 俺は手早く、傷口を押さえていた切れ端の両端をトーネの右脇と左肩から前に持っていき、胸の位置できつく結んだ。


「きつくないか?」


「大丈夫。……その、どきどきしない?」


「どういう意味だ?」


「私の胸を触って、興奮しない?」


「ああ、そういうことか。大丈夫、興奮はしない。嘘じゃない」


「……そう」


 俺は落ち込んだように見えるトーネの前に位置取り、再び歩みを始めた。

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