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第一話:人間と天使と悪魔

 その朝俺は、自宅で寝ていた。


 なんてことのない普通の朝だった。


「っ!!」


 いや、今最悪になった。天使が村に来る!


 がばっ!天使のオーラから嫌な予感を感じ取った俺は、毛布を跳ね飛ばして起き上がった。


 村は守る。天使などには、絶対に踏み入れさせない。


 かちゃっ、すーっ、きん。俺は壁に立てかけていた剣を掴み、鞘から刀身を抜く。


 このオーラ、近い。俺の家は村外れにあるから、まだぎりぎり村の外だ。


 俺は寝間着のまま最低限の荷物を持ち、扉を蹴破って外に出る。


 天使には村は渡さない!!


 明け方の外は真っ暗だった。俺の家は他の住民の家から離れている。だから多分、天使に気づいたのは俺だけだ。


 どこだ?抜き身の直剣を構えながら、周囲を探す。


 木立ちか?それとも家の裏か?


 見つけ出し、殺してやる。


 ガサッ。近くの茂みが揺れた。


「そこかっ」


「待ってっ!」


 いざ斬りかからんと踏み込んだところで、茂みから一人の女性が飛び出した。


「分かっている。天使だろう?」


「……」


 俺のほとんど確認に近い問いかけに、女は無言だった。


 水色のストレートヘアは長く、端は地面に着くくらいだろうか。


 それより特徴的なのは、その身ぐるみ。絹のように白い衣を着けていた。天使の装束だ。


「殺す」


「待って」


 俺が『天使の御業』である『洗脳の御業』にかかっていないことに気づいたのか、女は先ほどよりも冷静な口調で静止を呼びかける。


「あなたが洗脳を受けていないことは分かった。『天使と敵対してはならない』、『天使を傷つけてはならない』という洗脳を」


「そうだ」


 そうだ。俺はあの忌々しい洗脳の管理下にない。


 忌まわしい。本当に忌まわしい。あの『大天使』が世界全体にかけた『洗脳の御業』により、ハナトもパルも、他の村人も皆、天使崇拝を掲げるようになった。


 水底からやってくる、同じく忌まわしい悪魔に対抗するため、天使たちは人間を手駒にしているのだ。


「強い精神力を持っているのね。それも生まれつきの」


「両親には感謝しないとな。もう死んでしまったが」


「……そう」


 俺の父と母は、とある悪魔に殺された。


 そしてそのとある悪魔は、俺が殺した。復讐は既に完了している。過去の遺恨はない。


「御託はいいな?」


「待って。私はトーネ。御業は『忘却』。仲間の天使の記憶を操って、逃げ出してきたの」


「ほう」


 忘却。記憶を操るということは、直接的な害はないとみていいか?


 天使は生まれつき、『天使の御業』という魔法じみた能力を一つ持っている。


 トーネとやらは、自身に戦闘能力がないからかは不明だが、命乞いをするために御業を明かしたのだ。


「『翼』は?」


「『ハト型』」


「ふっ」


 ハト型か。平和の象徴である、ハトという小さい魔物と同じ構造の翼。


 『平和にいきましょう。私たちとともに悪魔を打ち滅ぼすのです』。


 村中に配られた、あの忌々しいチラシのフレーズが呼び起こされた。


 洗脳の大天使も、確かトーネと同じハト型だったはずだ。


「ほら、嘘はついていない」


「いい、見せるな」


 まるで彫刻のような容姿の美しさと着ている物から、天使であることに疑いはない。


 が、トーネは『翼』を展開した。


 天使は生まれつき翼が背中から生えており、天使自身の意志により実体化と消失を切り替えられる。


「見せるなと……!」


「あなたは?」


「……なんだ?」


「あなたの名前は?」


「教える義理はない」


 俺は冷酷に応え、強く睨みつける。


 なんにせよトーネ、こいつが天使であることは確定した。村に害を成す、あの大天使と同じ種族。


 忘却の御業の話が本当とは限らない。やはり始末する。


「村は、俺が守る……!」


 ここはハナトとパルが、いずれ帰ってくる場所だ。


 俺が守る。絶対に。


「わ、分かった。村は、あなたが大事にしているものには手を出さない。もちろん、あなたを傷つけるつもりもない」


「その言葉を信じろと?」


「それは……、信じてほしい。私にはそれしか言えない」


「……」


 見たところ、他の天使はいない。気配もない。


 特に持ち物もなさそうだ。着の身着のまま逃げてきたというのは本当なのか?


「では……、目的は?ここに来た目的はなんだ?」


「私は、私は……」


 そこで下を向き、言い淀む美しい女。


「なんだ」


「私は、終わらせたい。大天使が人間を支配しているのを、終わらせたい」


 ほう。天使なのに大天使に仇なすのか。


「なぜだ。なぜ大天使に弓を引く?」


「かわいそうだと、思ったから」


「は?」


 確信した。


 こいつは、俺たち人間を見下している。人間という種が、天使という種より下だと思っている。


「なんと言われてもいい。私が思った、本心だから」


「大天使を殺すため、人間という都合のいい奴隷が欲しいと?」


「違う!」


「なにが違うっ!」


 朝方の空気に、俺と天使の怒声が溶けていく。


「……お前ら天使はいつもそうだ。俺たちを、悪魔を倒すための道具としてしか考えていない」


「……」


「お前も同じだ。倒す対象が悪魔から大天使に変わっただけで、人間をゴミのようにこき使おうと考えている」


「それは違う!」


「どう違うんだ!」


「私は、私は……」


 これ以上は不毛。時間の無駄だ。


 切り捨てる。わけの分からないやつは一刻も早く排除する。


 俺は剣を引き、脚に力を込めた。


 いつでも斬れる。


「……私は、友達がほしい!」


「は?」


 この期に及んで、なにを言っている?


 大天使の話はどこにいった?


「人間の友達がほしいっ!私は忘却の御業のせいで、他の天使たちからは距離を置かれてた!ずっと一人だった!だから見下しているはずの人間を解放して、私の友達になってほしいっ!」


「……」


 天使の女、トーネは顔を真っ赤にして叫んだ。


 はあ?天使のくせに、人間の友達が欲しい?


 俺は全身の力を抜き、構えを解いた。


「は……」


「……」


「……なんだよ、それ」


 おかしくなって、思わず笑みがこぼれた。


「……なにがおかしい?立派な行動原理でしょう?」


 恥ずかしさを通り越したのか、一転して毅然とした態度を取るトーネ。


 俺はずっと、村を守っていた。父がそうしていたから。


 ずっと、父の背中を追っていた。父を失くしても、追うことが正しいと思っていた。


 ただ、本当はもう、限界だった。体は頑丈だが、心がもたなかった。


 村を守るという強い意志はあった。が、孤独だった。


 幼馴染みのハナトとパルは大天使に洗脳され、悪魔を狩りに海へと旅立った。


 他の同年代とはなんとなく、仲良くなれなかった。


 だからこうして、父が死んでからも村の外れに居を構えていた。迫りくる悪魔を斬り、はぐれた天使を討ち、村を襲おうとする魔物を屠ってきた。


「……俺も」


「?」


 俺の蚊の鳴くような声に、一転してきょとんとするトーネ。


 ああ、きれいな顔だ。忌々しいほどに美しい。


 なあ、父さん。俺、甘えてもいいかな?


「俺も、友達がほしい」


「え?……ふふっ」


 笑った顔もクールだった。


「笑うな」


 俺はそう言い、トーネに近寄る。


 その冷たい顔には、ハナトやパルのような、確かな温もりがあった。


「シンだ」


「え?」


「俺は、シンという」


「ああ。……あなたも、友達がほしいの?」


「そうだ」


 自分の気持ちは偽れない。正直に応えた。


「じゃあ、友達になりましょう」


「ああ」


 俺は右手を剣から離し、差し出した。


 利き手が完全に無防備だ。次の瞬間には殺されるかもな。


 だが、これでいい。


「握手、すればいいの?」


「ああ。それで俺たち、友達だ」


「分かった」


 トーネも右手を前に出した。


 そして、お互いの手を握り合う。


「嬉しい。ありがとう」


「こちらこそ……」


 なんだか恥ずかしく、そう応えることしかできなかった。


 なんでだよ。今会ったばかりだろう。


「ねえ、シン」


「なんだ」


「私の翼を斬り落としてほしい」


「はあっ!?なぜだ?」


「私は人間になりたい」


「人間になりたい?そんなことしてなれるのか?それに痛いんだろ?」


「お願い」


「駄目だ」


「少しでも、シンに近づきたいの」


「それが、なんで翼を切り落とすことにつながる?」


「私なりの決別。もう天使には戻らないという」


 分かったから、そんなに見つめるな。


 瑠璃色の透き通った瞳でこんな近くからそれ以上見られると、こっちがおかしくなりそうだ。


「……分かった。トーネはそれでいいんだな?」


「うん」


「分かった」


 なんで、友達を傷つけなくちゃいけないんだ。


 そう思ったが、俺は従うことにした。


 直剣を握り直し、トーネに向かい直る。


「きて、シン」


「ああ」


 トーネがハト型の翼を大きく広げた。


 俺は直剣を構え、早足で迫る。


「いくぞっ!」


 せめて痛まないように……。


 俺はトーネの右の翼に向けて、剣を思いっきり振り下ろした。


「ぐうううううっ!!」


「大丈夫か!?」


 痛々しい赤い血がとめどなくあふれ、白い片翼が地面へと切り落とされた。


 整った顔を歪めて耐えるトーネを見て、俺は駆け寄ろうとするが……。


「……だ、大丈夫。もう片方も、お願い」


「本当にいいのか?もう戻れないんだぞ」


「いい」


 固めた覚悟を示すように、左の翼をバサッと広げるトーネ。


 ……分かった。もう迷わない。


「じゃあ、いくぞ」


「うん」


 俺は再び直剣を構え、今度は左の翼に狙いを……。


「なにしてるんだ?」


「っ!」


 耳元から声。トーネとは違う低い女声だ。


 俺は反射的に後ろを振り向く。


「なに……!」


 いつの間にか俺の後ろに、2メートルはある長身と筋肉隆々の体躯を兼ね備えた女が立っていた。


 いや、ただの女じゃない。


 こいつは……。


「悪魔が、なぜここにいる!?」


 頭髪の隙間から突き出た、4本の吸盤付きの触腕。


 間違いない、こいつは悪魔だ。一般的に悪魔は人間そっくりの体つきを有しており、頭部から4本の触腕を生やしている。


「なんで、でしょうねえ?」


 しかもちゃんと会話ができる。賢い個体だ。


 いや、そんなことはいい。


 問題なのは……。


「なにを狙っている!」


 女の頭から生えている4本の触腕が、地面に突き刺さっている。


「まあ、見てなさいな」


「ふざけるなっ!」


 いやな予感がする。


 こいつは、今ここで殺す!


「はあああ……」


 俺は持てる限りのスピードで女に迫り、悪魔の頭に向かって直剣を振り下ろす。


 心臓が3つある悪魔に対しては、意志を司る頭を狙うのが定石だ。


「あら、お盛んね」


「……あああっ!っなに!?」


 だが、女の悪魔は左腕を犠牲に、俺の攻撃を受け止めた。


「残念ね」


「まだだっ!」


 このまま斬り飛ばしてやる。


 着地して力が入るように身構え、左腕に刺さっている剣を振り下ろす!


 振り……、下ろせない?


 違う。悪魔が筋肉に力を込めているせいで、刃がこれ以上進まないのか!


「私ねえ、なめられるのが嫌いなの」


 この場にそぐわない、悪魔のゆったりとした言葉。


 まずいっ!反撃がくる!


 俺は一か八か、剣から手を放して全力でバックステップし、女から離れる。


 その最中、悪魔は思いっきり左腕を振る。ものすごい勢いで直剣が彼方へと飛んでいった。


「はあ、はあ……」


「大丈夫、シン?」


「大丈夫だ」


 剣を持ったままだったら危なかった。なんて馬鹿力だ。


「なまくらでここまで斬るなんて、意外とやるわね」


「そりゃどうも」


 すっぱりと切り傷が残った左腕をまじまじと見つめる悪魔は依然として、余裕そうだ。


 なにか狙いがあるのか?仲間を待っているとか。


「それじゃあ、やるわね」


「待てっ!」


「待ちませ~ん」


 なんとなくだが、とてつもなく嫌な予感がする。


 あいつは止めないといけない!


 走り出す俺を余所に身を低くした悪魔は、頭に全部の力を注ぎ込み……。


「ぅぅぅふうううんっ!!」


 思いっきり4本の触腕を持ち上げ、土壌をすくいあげた。


「え?」


 間抜けな言葉しか出なかった。だって文字通りの意味で、地面が剥がれたのだから。


 周囲数百メートルの土が一瞬にして持ち上がり、土砂が波を打って押し寄せている。


 この悪魔、どこまで怪力なんだ?


 って、この方向……。


「シン、逃げよう!」


「村が……」


「え?」


「村に直撃するっ!」


 言い終わる前に、俺は走り出していた。


 この悪魔の狙いは村だ。俺たちをけん制しつつ触腕を地中に潜らせ、地面の底を洗う準備をしていたんだ。


「さ、させるかああああっ!」


 俺が両親と過ごした場所、そしてハナトとパルの帰る場所には傷一つつけさせない!


「死ねえええええっ!」


 直剣はないが、体一つで突進する。


 刺し違えてでもいい。この悪魔を止める!


「遅いわよ。ほら」


 宙を舞う触腕を操り、土砂の波を勢いづける悪魔。


「やめろおおおっ!!」


「や~めないっ❤」


 あと数メートルで、届く。


 届くのに。


「はい残念」


 悪魔は俺の目の前で、器用に触腕をしならせて土砂を折り畳む。


 村は、小さな俺たちの村は、俺の目の前で土砂の下に押し潰された。


「お前、俺の村を……」


「滅ぼしたわね。あっという間に。どうする?」


「殺す」


 俺は殺気をたぎらせ、間髪入れずに悪魔に迫る。


「戯言ね」


 唐突に、触腕の一つで殴られた。


 ただそれだけなのに、叩かれた左肩の骨が脱臼し、大きく吹き飛ばされる。


「がっ……!、はっ……」


「ガキが調子に乗んじゃねえよっ!!お前は、あのちっぽけな村すら私から守れなかったゴミクズなんだよっ!」


「違……う……」


 両手をついて、なんとか立ち上がる。


「違わないよね?」


 いつの間にか、すぐ目の前に悪魔がいた。


「やめ……ろ……」


「やめない」


 触腕で拘束され、俺は宙に浮かばされた。


 いくら力を込めてもびくともしない。大樹のように太く長く、赤黒い色をした触腕に絡みつかれ、俺の顔くらいの大きさをした吸盤で強力に固定されている。


「このまま引き裂くのもいいわね」


「く、そが……」


 こんなことで、俺の人生終わりなのか。両親のように、俺も悪魔に殺されるのか。


 まあ、いいか。トーネさえ無事でいてくれれば……。


「待て!」


「あら?」


「トー……、ネ……」 


 トーネが、なぜか目の前にいた。


 馬鹿、逃げる隙なんていくらでもあっただろ。


「シンを離して!」


「いやよ。私が、あろうことか人間ごときになめられたのよ?いらついたから殺す」


「そう。なら……」


 トーネは片翼を展開したままだ。


 話は通じないとみて、御業を使うことにしたようだ。


「『忘却の……きゃあっ!」


 御業を宣言する前に、触腕であっという間に絡め取られるトーネ。腕の先端で口を塞がれてしまった。


 こいつ賢いだけでなく、天使の御業の発動条件まで知っているのか?


「さあ、どっちから引きちぎろうかしら?」


 触腕を巧みに動かし、磔にした俺とトーネを品定めする筋肉質の悪魔。


 ぐっ、動かされる度左肩が痛い。直剣もない。


 どうしたら、こいつの拘束から抜け出せる?


 ……あれしかないか。


「『ヒートボディ』」


「あつっ!」


 冷えた体を温めるための、ごく簡単で初歩的な魔法。それにより、悪魔は触腕をほどいた。 


 暗い水底から這い出てくる悪魔は、火や高温に弱いという性質がある。


 今だっ!


 俺は素早く移動し、トーネを縛る触腕の先端に温かい手を当てた。


「っつう、くそが!」


 たまらず、トーネの拘束も緩まる。


 よし、これで彼女の口も自由になった。


「トーネ、いけええっ!」


「殺す!」


 今度は触腕ではたかれた。


 今まで体感したことのない速度で地面に叩きつけられ、何度かバウンドしながら転がる俺。


 だが、これでいけるはずだ。


「『忘却の御業』!!」


 その隙を突き、トーネが御業を宣言する。


「死ねえええっ!あれ、私は……」


 御業が悪魔に作用した、と思う。


 不意に触腕が解かれ、拘束から解放されたトーネがこっちに来る。


「忘却の御業は決まったのか?」


「これで大丈夫、シン。こいつは廃人、いや廃悪魔になった」


「そうなのか」


「……」


 女の悪魔は、目の焦点が合わないまま立ち尽くしている。


 今の今まで存在していた記憶を奪われて、頭の働きがショートしてしまったのだろう。


「あとはシンが、トドメを刺すだけ」


「ああ」


 俺はゆっくりと、悪魔の正面に立った。


 村は、こいつのせいで滅んだ。何の前触れもなく土砂の下敷きになり、村民は誰も助かっていないだろう。


 こいつは一瞬で、大勢の人間を殺した。


「『ストーン・エッジ』」


 俺は魔法で作った石の刃を持つ。


「……」


 それでも、目の前の悪魔の反応はない。


「死ね」


 そして、刃を振りかぶった瞬間……。


「お前がな」


「なっ!?」


 急に意思を宿した悪魔の目が、鋭く俺を睨みつけた。


 こいつ、御業にかかったふりをしていた、だと!?


「はああああっ!」


「が、はあああっ!」


 悪魔が最小限の動きで放った正拳突きが、完全に油断していた俺の腹に叩き込まれる。


「シンッ!?」


「つくづく馬鹿ねえ、あんたたち!」


 内臓が潰される感覚の後、数十メートルと吹き飛ばされた。


「駄目になったふりをしてあげただけで、まんまと引っかかるなんて」


「で、でも忘却の御業は当てたはず……」


「当たったわよ。でも、なんともないの!」


「そ、そんな……?」


 もしかして、トーネが片翼になったからか?


 飛びそうになる意識の中、力を込めてなんとか立ち上がった俺は、そう考える。


「私は平気よ。今まで殺してきた人間の数も、天使の数も覚えているし、さっき村を滅ぼした感覚もよーく残ってる!お前は失敗したのよ」


「そ、そんなはずは……」


「うるせえなあっ!失敗したんだよっ!!」


 悪魔は叫ぶと同時に高速で近づき、トーネを触腕で拘束する。


「トーネ……を、トーネを離、せ!」


「いやよ。決めたもの。まずはこいつから殺すって」


 駄目か。悪魔は完全にトーネに夢中だ。


 なんとかならないか?なにか策は……。


 そうだ!


「なあ……」


「なあに?最後の会話くらいならしててもいいわよ」


 忘却の御業が効かないことは分かったので、トーネの拘束を少し緩める悪魔。


 情けをかけたつもりか。どこまでも詰めが甘いな。


「そうじゃない。お前のことだ」


「私?」


「そうだ。お前、なんていう名前だ?」


「いいわ、最後に教えてあげる。私は……」


 会話の機会は一度しかないだろう。つまり、これを外したらトーネが死ぬ。


 頼む!忘れていてくれ!


「私は……、あれ?私は……いや!いやいやいや!なんで思い出せないの!?」


 急に悪魔が取り乱した。頭を両腕で抱え、記憶のない事実を受け入れられないと体を震わせる。


 おかげで触腕のコントロールが乱れ、トーネの拘束が完全に解けた。


「こっちだ」


「うん」


「私は『大悪魔』の……、分からない、分からないわよっ!!」


 悪魔、いや大悪魔は根源的な記憶である自身の名前を忘却してしまい、ショックの余りのたうち回り始めた。


「シン」


「分かってる。逃げよう」


 触腕と人間の体に似た手足が暴れ回り、周囲はめちゃくちゃになっている。


 あの大悪魔、力が強すぎる。たとえ錯乱している今の状態でも、俺とトーネが命を奪うのは困難だろう。


 村の仇ではあるが、今はやめる。討つのは、俺がもっと強くなってからだ。


「体、大丈夫?」


「大丈夫じゃないな。でもとりあえず、離れよう」


「うん」


「私は?私は、なんなの?……いやああああっ!!いやああああっ!!」


 泣きながら環境をかき回す災害のような暴力の嵐に巻き込まれないよう、俺とトーネは村の跡地をあとにするのだった。

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