お嬢様は、訝しむ
アビントン伯爵家。
オールディス王国の西南部にある領地を治める伯爵家。
王国の建国より続く由緒正しい名家にして、アビントン伯爵家が治める領地は広大で歴代当主が開発に力を注いだ豊かな地である。
まさに、名誉と財力の双方を兼ね備えた家だ。
一度、アビントン伯爵家の邸を訪れてみると良いだろう。良い土産話になるはずだ。
領地にある本宅は広大で、それでいて重厚で、かと思えば華美になり過ぎず、訪れた者は誰もが圧倒される。
「……へえ、アデライート港の物価が上昇、か。品目は……殆どクラーク国からの輸入品」
アビントン伯爵家の長女、クリスティーナ・アビントンが呟く。
金の髪は朝日に照らされ、その輝きに負けないばかりの麗しい顔立ちが更によく目立っていた。
「ふーん……エッカートが新薬を開発、天才薬師の名をほしいままにする、ね。あら、この薬、これまで存在していなかったの……?」
彼女の手元には、大量の紙。
それを、目にも止まらぬ早さでめくったいた。
傍目から見て、とてもではないがその紙の内容を読んでいるようには見えない。
「……あらあら、ダーマント地区で変死体。怖いわね……僅かに毒物が検出された、か……」
時折そうして気になった内容を呟きつつも、早々にその分厚い紙の束を読み終えた。
そして、そばに控えていたアルバートに渡す。彼がその紙の束を手に持つと、端から燃えて消えた。
「アビントン伯爵家の情報収集力も侮れないわね。人材を育てて組織を構築した七代前の当主様も凄いけど、それを維持することを怠らなかった歴代当主も素晴らしいわ」
「そうですね。お陰様で私も、大分楽をさせて頂いています」
「私はコンラッドしかお会いしたことはないけれども……皆、貴方に良くしてくれている?」
コンラッドは、七代前の当主が立ち上げたアビントン伯爵家を影ながら支える組織『白』の現トップである。
「持ちつ持たれつですよ。当主様と貴女様が直々に紹介して下さったお陰で、大抵の情報は共有して貰えています」
「それならば良かったわ」
「変死体に関して、気になるようであれば追加で調べておきましょうか?」
「流石、よく分かったわね。……妙に、引っかかるのよ」
「貴女様の報告書を読む姿を見ていれば、どれにご興味があるかぐらいは。……ですが、何故その事件が気になるのでしょうか?」
「そうね……簡単に言うと、お金をかけてまで殺すのかしら?ということよ」
クリスティーナの答えに、アルバートは僅かに首を傾げる。
「亡くなった方の身元は不明。……逆に言うと、調べてすぐに身元が判明するような方ではないということ。身だしなみも、平民の中でも貧しい方であろうそれ。……果たして、その方と付き合いがあるような方が、簡単に毒を入手できるのかしら?ツテの問題もあるけれども、それ以上にお金の問題でね」
「なるほど……」
「もっと言ってしまえば、遺体発見当時、発見者以外はその通りに誰一人としていなかったみたいだから、撲殺なり刺殺なり絞殺なり……魔法でだって殺すことはできたはずよ。それなのに、何故、わざわざお金をかけてまで毒殺をしたのかしら?」
「つまり毒殺をするための金の出所と、毒殺を選んだ理由が読めない、ということですね」
「そうなのよ。……それに、毒の成分を見る限り、今世では見たことがない調合なのも気になるわ」
「生まれ変わる前は、ご覧になられたことがある……と?」
「貴方も知っての通り、聖女は薬学を学ぶわ。そして薬と毒は紙一重と言うように、座学の中には毒物の取り扱いも学ぶの。それで、ね」
「ちなみに薬学は昔と比べてどうなんですか?」
「正直、魔法と同じように昔の方がレベルは高いわ。とは言え、アビントン伯爵領のレベルはこの時代の中でも高い水準だと思うわよ?」
「そうなんですか?」
「ええ……二代前……つまりお祖父様のお父様の代ね、その時の当主の弟が、医学に傾倒した方だったみたい。素晴らしいのは、弟のことを愛して止まない当主の兄が、弟の研究をやり易いようにしたい、弟の功績を広めたい……という、どこまでも弟のためという理由だけで、この領地の医療体制を整え拡充させた、ということね」
「……それはある意味、弟だけでなく兄も非凡であったということでしょうか?」
「お父様のように何かに特化していたという訳ではないみたいだけど……まあ、素晴らしき家族愛よね。……話を戻すと、その結果、医療に関してはスタントンに行くよりも、ここで修行した方が最新鋭の技術や知識を学べるのよ。まだ、その弟さんの知識は表に出せてないものも多々あるみたいだし」
「表に出せないのは、危険だから……ということですか?」
「それもあるけれども、単純に知識や技術水準が追いついていないから、というものもあるみたい。報告書にあった天才薬師と呼ばれるエッカートの新薬ですら、まだ弟さんの水準には追いついてないわ」
「……今なおそうだとすると、その弟様は凄まじいですね」
「恐るべきはアビントンの血筋、かしら。……それはさておき、そんな訳でアビントン伯爵領では、突然亡くなった場合とかは、死因特定のために死亡解剖をしているけれども、オールディス王国全体ではそれ(死亡解剖)は珍しいらしいのよね。加えて、さっき言った毒の組み合わせを検出できるかというと……まあ、難しいでしょうね」
「……死因を隠せないとなると、ますます毒殺を選択した理由が読めませんね」
「そうなのよ。……まあ、下手人が、そこまでこの領地のことを理解していたのかは、謎だけどね。やっぱり私の考え過ぎで、死因を隠すために毒殺を選んだのだとしても、果たして何の後ろ盾もない方をわざわざ毒を使ってまで殺害を試みるのか?という疑問は残るけど」
「ご懸念、よく分かりました。調べておきます」
「ありがとう。……そういえば、そろそろかしら」
「そろそろとは……一体、何事でしょうか?」
彼女の後ろに佇んでいた従者にして護衛のアルバートが、問いかける。
「ん?……定例のアレよ、アレ。貴方も一緒に来て頂戴」
彼女の曖昧な答えに、けれども彼は納得したと言わんばかりに頷いた。
「ああ……もう、そんな時期でしたか。畏まりました。準備を致します」
それから朝食が終わった後、珍しく彼は彼女には付いて行かずに別行動をとった。