お嬢様は、心配する③
夕食を終え、私室に戻ったクリスティーナは共に部屋に入ったアレクサンダーに笑みを向けた。
「今日は本当にありがとう。流石、アルバート」
アルバートは主人の言葉に、頭を下げる。
「貴方は、私が望んだこと以上のことをしてくれたわ。だって、お兄様の視野が狭まっていたことを、指摘してくれたのだもの。貴方の言葉は、お兄様の糧になったと思うわ」
ふふふ、と彼女は笑う。その様は昼間にマクシミリアンに見せた時と同じく、嫋やかで麗しい。けれども、分かる人には分かる、ある種の凄みがあった。
「クリスティーナ様のお役に立てたのであれば、それは私の誉です」
アルバートが笑みを浮かべた。クリスティーナ以外の他に人がいる時に、決して彼が見せることはない。
「幾らでも解釈が可能な言葉で指示を出したとは言え、額面通りの言葉でお兄様が受け取ってしまった時には、流石に心配になってしまったの」
「……お言葉を返すようで恐縮ですが、マクシミリアン様の御年を考えれば、むしろ自制された方かと」
その言葉通り、マクシミリアンの年齢を加味すれば、正しいか正しくないか自身の感性のままに判断し責めてしまうのも、仕方ないと彼は思っていた。
ただそれは、言葉にしてはいないものの、年齢を盾に立場を顧みなくても仕方ないと言っているようなものでもある。
「そうかしら?」
額面通りに受け取れば優しく聞こえるアルバートの辛辣な言葉を、けれども正しく真意を理解したクリスティーナは、敢えて楽しそうに問いかける。
ただ、その問いはアレクサンダーにとっては、決して優しいそれではない。
言外に、『次期伯爵家当主が、それで良いとでも?』と彼女は問いかけているのだから。
「とは言え、言葉の裏まで読み取れなかったことを考えれば、精進は必要かとは愚行しますが……それも平和な今の世ならではなのかもしれません」
「そうねぇ……瞬間移動が御伽話のものでないと知らないお兄様に対して、裏の裏まで読み取れということは無理だけど、せめて貴方が指摘した『貴方自身に行かなくても良い』ということだけでも、察してくれれば良いと思うわ」
実は、アルバートは学園都市スタントンに今日の今日で行って帰って来た。……それを可能にしたのが、御伽話の中にしか存在しないとされる、瞬間移動魔法だ。
ただ、マクシミリアンに対するアルバートの説明も、一切嘘はない。
クリスティーナがアルバート自身に行けと明言していないことも、伝令魔法で他者にお願いすることが可能なことも、事実ではあるのだから。
彼女たちが『裏』と例えたことは、まさにそれ……瞬間移動という御伽話の代物がなくとも、理不尽な命令を回避する術はあった、ということであり、せめてそれには気がついて欲しかったというのが、クリスティーナの本音だ。それを言葉を交わさずとも瞬時に察し、マクシミリアンを諭したアルバートに、彼女は心の底から感謝していた。
「それじゃ、本題ね。……件のカフェの報告を、お願い」
「クリスティーナ様のご懸念通り、この国の情報を得るためのブローゼル王国の拠点でした。学生たちや研究員から新技術や理論を盗み取り、また、提供する飲食物に中毒性のある薬物を含むことで、薬の提供代わりに直接的に情報を得られるよう駒を作っていました」
「あら……やっぱり、食べただけで頭が良くなるものなんて、まやかしなのね」
そう言いながら、クリスティーナは笑った。
……仮にこの場に第三者がいれば、鳥肌がたっていただろう。
このような会話で楽しげに笑えるなど、事の重大性を理解していないか、もしくはそもそも善悪の境界線が薄いか、だ。
「……ちなみに、クリスティーナ様は何故、そのカフェが怪しいと?」
マクシミリアンとの会話だけで、彼女はカフェを疑っていた。だからこそ、自身の懐刀であるアルバートを無茶な要求で行かせたのだ。
「あら、言ったでしょう?お父様に、学園都市のことを聞いたって」
マクシミリアンが来る直前までその話をしていたことを思い出して、アルバートは頷く。
同時に、何か懸念事項はないかを確認した際に、唸っていた理由を聞けなかったことも。
「そもそもね、学園都市の警備体制が大丈夫かしら……?と、前々から不安に思っていたのよ。学園の警備は万全だとしても、都市部では出入りする人を精査していないのよ?よからぬ輩が集うのではと心配で。何せ、将来この国の中枢を担う貴族の嫡男やら、官僚やら学者やら騎士の卵等々……本当に、尊い人ばかりがいるというのに……」
ほう、とクリスティーナは溜息を吐く。
「だからね、お父様に聞いたの。都市部にあるお店と、その背後がどこに紐づいているのかを。けれどもね、お兄様の話にあったカフェらしいお店は、お父様から頂いた情報にはなかったのよ。急に現れた、お父様も検知していないカフェなんて……怪しくて、仕方ないでしょう?」
「なるほど……確かにそうですね」
「むしろ私よりも、私との僅かな会話で察した貴方の方がスゴイと思うけど。……それで、カフェの関係者はどうしたの?」
「既に捕え、国内警備部に引き渡しました。それと、オルコット卿にも報告済みです」
「ああ、オルコット卿ね。でも、彼だけで大丈夫?」
オルコット卿と呼ばれる人物は、国内の治安維持を担う国内警備部に勤めている人物だ。二人が何かしらの事件に首を突っ込む度に半ば強制的に協力させられる、可哀想な人物でもある。
「ええ、ご懸念はご尤もかと。他国が絡むため彼だけに任せるのも酷ですので、今回の件は当主様にもご報告済みです」
「あら、お父様に。どのような反応だったのかしら?」
「勿論、激怒されていました。大切なご子息を預けられている都市で起こった不祥事ですから。ブローゼル王国への追求のため、貴族院に掛け合うと。それから、再発防止策を求める旨を国に提出するとのことでした。……殆どの貴族は同じく大切な嫡男を預けていますので、ご当主様に力添えすることでしょう」
「そう。それなら良いわ。今後も状況を把握するよう、誰かを派遣しておいて」
「畏まりました」
「……今回、苦労をかけたわね。お兄様の言葉があったからではなくて、私自身、少しそう思っていたのよ。貴方にとっては無理な命令ではないけれども、今日の今日でなんて、負担ではあったでしょう?」
「クリスティーナ様の願いを叶えることが、私の喜びです。……それに、僭越ではありますが……姫様はワガママではありません」
アルバートの言葉に、クリスティーナは首を傾げて続きを促す。
「兄君のことを心配なさって、少しでも早く危険を遠ざけたかったのでしょう?ですから、クリスティーナ様のご命令は、決してワガママではありません。慈愛に溢れた、優しい願いです」
アルバートは、そう言って柔らかく微笑んだのだった。