お嬢様は、懸念する
アビントン伯爵家。
オールディス王国の西南部にある領地を治める伯爵家。
王国の建国より続く由緒正しい名家にして、アビントン伯爵家が治める領地は広大で歴代当主が開発に力を注いだ豊かな地である。
まさに、名誉と財力の双方を兼ね備えた家だ。
一度、アビントン伯爵家の邸を訪れてみると良いだろう。良い土産話になるはずだ。
領地にある本宅は広大で、それでいて重厚で、かと思えば華美になり過ぎず、訪れた者は誰もが圧倒される。
「あらあら……怖いわね」
アビントン伯爵家の長女、クリスティーナが手紙を読みながら小さく呟いた。
少しずつ温かくなり、陽の光も強くなってきた今日この頃。
彼女の私室は、陽の光によって隅から隅まで照らされていた。
そしてその光は、室内にいる彼女もまた陽の光に照らされ、黄金の髪はこれでもかと輝いている。
けれども、彼女の顔色は冴えない。
そんな彼女の手に握られているのは、一通の手紙。
そしてそれには、アビントン伯爵家の紋章が付いている。
王都にいる彼女の父、あるいは、学園都市にいる兄のどちらかが送った手紙ということだ。
「如何されましたか?」
いつも通り彼女の側に控えていたアルバートが問いかける。
「あのね、クレイグが逃亡したらしいの」
「クレイグ……ああ、あの男が。そういえば、ブランジュでも話題になってましたね」
クレイグはかつて、ハンターであるバイロンが捕まえた凶悪犯だ。
その凶悪犯を捕らえたのは国に所属する兵隊ではなく、一介のハンター。
国内警備部に所属する警備隊が各地に配置されているものの、彼らでは圧倒的なクレイグの武力と知力を前に捕えることは敵わなかった。
そしてそれを単独で捕らえたバイロンは、当然その一件で有名ハンターの仲間入りを果たしている。
「それにしても、当時の事件を見ていると、改めてバイロンの優秀さが分かるわ」
「ええ、そうでしょうね。今この時代においては、彼の腕はトップクラスに分類されますよ」
「貴方がそう言うのであれば、そうなのでしょうね。貴方が彼と初めて会った、彼が駆け出しの頃からそうだったの?」
「まあ……当時は駆け出しのハンターらしい力量でしたが、見込みはありましたよ」
「ふふ。きっと運も良かったのね。貴方がハンターとして活躍していた時に、目をかけて貰えたのだもの」
「大したことは教えていませんよ。……それにしても、国内警備部は大失態ですね」
「ええ、そうなの。責任の追求が始まるでしょうね」
「へえ……。こういう時、生贄の準備だけは早いモノだと思っていましたが」
「そうねぇ……私も、驚きだわ。一刻も早く犯人を再捕縛しなければならない、ということで責任追求は一旦棚上げされているみたい」
「また賞金をかけるのしょうか?」
「秘密裏に捕まえたいみたいだから、それはないでしょうね」
「何を悠長なことを……と思いますが、公表することで生じる混乱を想像すると、そうとも言い切り難いのが難しいですね」
「そうなのよ。だからこそ、責任追求が棚上げされている、ということでしょうけど」
「ああ、なるほど。……捕らえますか?」
「ボランティアは不要よ。領外にいる家族は、ブランジュが守ってくれているでしょうし。……但し、アビントン伯爵領に入るものならば容赦しないで頂戴」
『但し……』の言葉以降、彼女の威圧感が増した。
アルバートを以てして、圧を感じるほどのそれ。気の弱い者であれば、気を失ってもおかしくはなかった。
それを楽しそうに笑って受け止めたアルバートもまた、仮にこの場に第三者がいれば、十分化け物の域だと判断したことだろう。
「承知いたしました」
僅かに研がれた刃が、彼の纏う気配から覗き出した。
「ねえ、アルバート。貴方のお友達は、私に協力してくださるかしら?」
「勿論。既に全員現業を放棄、領内の守りに入らせています」
「そう。それなら安心ね」
そう言って、クリスティーナは蕩けそうなほどの笑みを浮かべた。
「……私からもご報告が。ブランジュが調べ上げた、テッドのこれまでの経緯やチュター商会に関してです」
彼は一枚の紙をクリスティーナに渡す。
「あらあら……これを見ると、あのテッドとかいう方も可哀想ね。小さな歯車一つでも噛み合えば、可もなく不可もなく、という評価ではなかったのかも」
毒殺事件……クリスティーナとアルバートが解決した、領民を言葉巧みに攫って毒の実験を施していた件の時間だ。
主犯者である薬剤師テッドの供述により、その黒幕であったとされるチュター商会にも捜査の手が及んでいた。
『あの』白の捜査だ……それこそ、テッドもチュター商会も丸裸にされたようなものだった。
「……勿論、経緯は何であれ歪んでしまった後では、情状酌量の余地はないけれども」
「モーガン様より、言伝です。依頼先はどうするか、と」
「ウチにある商会を選ぶあたり、ある意味目の付け所は良いのよねぇ。毒を引き渡した訳でもないし、その慧眼を賞して、シーズンでお目にかかるまで待つとするわ」
「畏まりました。併せて確認ですが、道なき恋に焦がれた女性は?」
「流石はかつての護衛騎士。女性が不遇の状況で、見捨てるのは忍びない……というところかしら?」
「……ご冗談を。貴女様以外、全てが路上の石と同じと思う、私が?」
そう言ったアルバートは酷く冷たい目を紙に向ける。
クリスティーナは小さく笑った。
「失言だったわ。まあ……可哀想なことに縁を切られたみたいだし。毒殺事件にも関わってなかったようだから、このまま放置で良いと思うわ。男も、まだ利用価値があるかもしれないし……まあ、同じく放置で良いわね」
「男も放置で良いのですか?」
「ええ……彼の名前は売れ過ぎているから、大人しくする限りは手を出さない方が良いでしょう。天才の名前が、安売りされ過ぎたことは気になるけど。まあだからこそ、ウチにいる限り、いずれは大人しくできなくなって破滅しそうだけど」
「畏まりました」
「……そういえば、明日は久々に皆との茶会ね」
彼女はアビントン伯爵家の娘として、定期的に領地に住む有力者の妻や娘たちを集めて茶会を開いている。
明日に開く茶会も、その一つだ。
「クリスティーナ様のご指示通りに、全て準備は整っています」
茶会等のホストを務める場合、当然準備はホストが担う。
例えば、どのような食事や飲み物を提供するのか、どのように会場を飾りつけるか、それらをどのぐらいのお金をかけ、どのぐらいの品質を求めるのか。
加えて、その会には、どのような人たちを呼ぶのか。
身内だけの集まりならともかく、幅広く出席者を招くのであれば、それ相応の準備が必要だ。
当然、クリスティーナも明日に向けて準備の対応をしていた。
「ありがとう、アルバート。屋敷の皆にも労わなきゃね」