息抜き
アビントン伯爵家。オールディス王国の西南部にある領地を治める伯爵家。
王国の建国より続く由緒正しい名家にして、領地は広大で、歴代当主が開発に力を注いだ豊かな地である。
まさに、名誉と財力の双方を兼ね備えた家だ。
一度、アビントン伯爵領を訪れてみると良いだろう。良い土産話になるはずだ。
噂に違わぬ街並みを、人々の晴れやかな表情を、その目で見ることができるのだから。
「いらっしゃいませ」
アルバートがとある建物に入った瞬間、揃いのケープを身に纏う人たちに、その言葉を投げかけられた。
そのケープは、薄灰色の地味なそれだ。
けれども、赤色かつ目立つ形で大きく紋様が縫い込まれている。……ハンター協会の紋様が。
つまり、そのケープを着込む人たちはハンター協会の従業員だ。
そしてアルバートが入った建物は、まさにハンター協会の建物だった。
支部は幾つもの国や領地を跨いで点在しており、ここアビントン伯爵領にもその支部の一つがある。
ハンター協会の主な業務は、斡旋。
一つは、仕事。例えば、どの魔物がどれぐらいの懸賞金をかけられたのかを、貼り紙や役職員の説明によって情報提供をしている。
そしてもう一つは、取引。例えば、狩った魔物の素材を一定の手数料を協会に払えば協会に売却することが可能だ。更には希望すれば、そもそも素材屋等への紹介もできる。
今この時も多くのハンターが、仕事かもしくは取引のためにハンター協会支部を訪れていた。
アルバートは慣れたように視線を掲示板に向ける。そこには大量の討伐依頼書が貼り付けられていた。
それらをじっくりと見ている間に、知った気配が近づいて来る。
「先輩、お疲れ様」
「お疲れ」
彼に話しかけたのは、孤児院出身のバイロンだ。
「それにしても、まさか先輩から声をかけてくれるとは思っても見なかったっすよ」
苦笑と共にバイロンは言葉を吐く。
「お前も、もうシルバーランクだ。良い加減、そんなに過剰に敬うな。ホラ、その辺りにいるハンターたちがお前の態度に訝しんでいるぞ」
ハンターは、組織への貢献度によってランク分けされている。
貢献とは、例えば魔物の討伐、前人未到の遺跡の踏破、指名手配犯の捕縛等々の業績のことだ。
一番下から、ルーキー、ブロンズ、シルバー、そしてゴールド。
ルーキーからブロンズに上がるのにも平均で四、五年はかかる。
その次のブロンズランクはハンターの一般的なランクであり、全ハンターの八十五%がその役職だ。
そしてハンターの中でも特に才があり、ブロンズと同じ役職では到底収まらない強さや功績を持つ者にシルバーランクが付与される。全ハンターの十%がシルバーランクだ。
更にゴールドともなれば、強さのみならず、組織への忠誠が基準となる。
故にゴールドランクは、シルバーランクの強さを持った上でハンター協会本部の役職を担うか、もしくは緊急かつ強制的な招集を決して断らないと協会と契約した者にだけ与えられる。
つまり、シルバーとゴールドの強さに関する差分は特になく、背負う責任の範囲だけということだ。
そのようなランク分けの為、当然、シルバーランクともなれば、他のハンターから羨望の視線が集まる。
つまり、アルバートの言葉は謙遜でもなんでもなく、純粋にシルバーランクの心得を説いただけのものだ。
「先輩だって、シルバーランクじゃないっすか。俺は単なる凶悪犯を捕まえるっていう、ラッキーがあっただけです。先輩の場合、最近こそ活動が少なくて顔が知られてないっすが、その武勇伝は語り継がれてますよ」
「大したことはしてない」
「またまたー。たった一人で大狼やら、竜を討伐するなんて、ゴールドランクだろうと無理っすよ。ゴールドランクなんて、興味がなかったからこそ貰ってないんでしょ?」
「さて、な。……とりあえず、外に出るぞ」
アルバートの誘いに、バイロンは特に反対せずについていく。
支部にも酒や軽食を楽しめるスペースはあるものの、大抵そこを利用するのはルーキーか、ブロンズランクのハンターが多い。
むしろシルバーランクともなると変に注目される為、そこにいるハンターたちとの交流目的であれば良いものの、それ以外では飲み難いというのが二人の共通認識だった。
二人はそのまま、個室のある飲食店に入る。
「最近、調子はどうだ?」
アルバートの問いに、バイロンは笑みを浮かべた。
「大して変わりないですよ。ちまちま、そこいらにいる魔物を狩ってます。そんなことより、先輩っすよ。一体全体、何で先輩がアビントン伯爵家に仕えることになったんすか?」
「別に、おかしなことでもないだろ。一定程度の功績をあげて貴族に仕えるハンターなんて、ざらにいる」
ハンターで名をあげれば、貴族からスカウトを受けることも珍しくない。
そして、貴族に士官することを夢見て、ハンターになる者も少なくはなかった。
そして、貴族に仕えることとなった後も腕を鈍らせないようハンターを続ける者も多い。
それ故、アルバートの境遇は決して珍しいものではなかった。
……ただ、ハンターで大成する者の多くは、自由を愛し身一つで己を立てたいという者も少なくない。
才ある者は、どこであれ花開く。つまり、その才一つでシルバーランクを得られる者は、そもそも最初から士官することも、決して夢物語ではないのだ。
それ故、ランクが上がれば上がるほど、スカウトが難しいというのは、貴族の中で常識だった。
「まあ、そうかもしれないっすが……先輩に主人として認められる人なんて、存在しないと思ってましたから。指名依頼があったとしても、大体は突っぱねてたじゃないですか。俺、先輩がクエンビー公爵の依頼を突っぱねた時には、驚きましたよ」
指名依頼とは、ハンターを指名して依頼を出すことだ。指名料がかかるため、当然、通常の依頼よりも高額になる。
そのため、指名がかかるということは、それだけハンターの腕を認められていることに他ならない。
「別に、どのような依頼主であれ、依頼を受けるか受けないかは、ハンターの裁量の範囲内だろ。不当な圧力がかかれば協会本体が出張るから、高位貴族ほど避けるだろうし」
「そりゃそうっすけど……。でもあれ、結構良い報酬だったじゃないですか」
「逆だ、逆。あの依頼は、依頼料に比して簡単過ぎた。俺を引き込もうとしていたのは、ミエミエだったからな」
「アレを簡単過ぎると表現できるのは、先輩だけだと思いますけど」
誰もが羨むシルバーランクを持つバイロンからして、アルバートの強さは別格だった。
仮にシルバーランク全員を集めてアルバートと対抗しろと言われても、生き残ることは難しいと計算するほど。
「先輩のシルバーランクは詐称ですよ、詐称。……まあ、そもそものランク制度が微妙だとは思ってますが、先輩も何で功績を他人に譲ってたんですか?それさえなけりゃ、世間様に先輩の名が轟いていると思いますが」
「別に名誉なぞいらん。そもそもハンターになったのは、主人に仕えたかったから。それに加えてシルバーランクになったのは、単に、主人のためになるから」
生息する魔物や気候・地形を鑑みて、一般人の立ち入りを禁止する場所は、決してこの世界に少なくない。
そしてその地域に立ち入ることができるのは、その地域が属する国の許可を得た者か、もしくはハンターだけ。
だからこそ、アルバートはクリスティーナに仕えた後もハンターを辞めていないのだ。クリスティーナが求める情報を得続けるために。
「……お前こそ、てっきり王都とかに活動拠点を変えると思ったが?」
「んー……確かに、王都に活動拠点を移して色んなところを飛び回るって方が、名前は売れるでしょうね」
ハンターは根無草として各地を転々とするか、あるいはどこかを拠点として各地を回るかだが、決して王都に拠点を構えれば有利という訳ではない。
何せ、魔物は各地に生息しているし、犯罪者たちも王都ばかりに集まっている訳でもないし、遺跡は世界の各地に点在している。
王都がハンター活動に適しているかというと、決してそうとは言い切れないのだ。
逆に利点としては、バイロンが言った通り、名前が売れやすい為、高い指名依頼を受けることができる可能性が高まるか。
閑話休題。
王都に住むことが必ずしもハンターにとって必須ということではないものの、それでも成功したハンターは王都に拠点を構えることが多い。
食事や娯楽等々、人が集まる王都こそが最先端かつ洗礼されていると皆が認識しているからだ。
「でも俺、王都よりここの方が好きなんで。何というか……王都にも何回か行ったことあるんですけど、あんまり馴染まなくて。物価は高いし、空気は悪いし、街は綺麗じゃないし……王都と比べたら、ここの方が断然住みやすいですよ。なんて、育った場所だからこそ、そう思うのかもしれませんが」
「そうか。それは嬉しい感想だな」
そう言いつつ、アルバートは手にある盃を傾ける。
「……なあ、バイロン。お前、俺のところに来るか?」
アルバートの問いに、バイロンは一瞬固まった。
「先輩、あまり笑えない冗談っす。俺が貴族に士官?……俺、行儀もへったくれもないっすよ」
「究極的には伯爵家が雇用主だが……伯爵家が俺の部下に直接的に関与することは基本ない。上司は俺だけ。つまり、お前の妄想している堅苦しい貴族の行儀はいらん」
「ふーん、よく分からないっすけど、要するに先輩の指示だけに従えば良いと?」
「簡単に言えば、そういうことだ」
「すっごい信頼されてるんですね、先輩は」
バイロンの言葉に、一瞬、アルバートは固まった。
「あれ、俺、変なこと言いました? 主人に信頼されているからこそ、先輩が自由にやらせて貰えてる、って話でしょ」
アルバートの反応に困惑したバイロンは、慌てて言葉を付け加える。その上で、チラチラとアルバートの顔色を窺っていた。
「まあ、そうだな。……まさか、お前からそんな感想が出てくるとは思わなくて」
「ヒドっ……。それ、俺が馬鹿ってことですよね?」
「お前も成長したんだな。安心したよ」
「良い感想で誤魔化そうとしても無駄ですよ」
バイロンの言葉に、アルバートは苦笑を浮かべつつ、手にある杯を口に近づける。
「そうだな。自由にやらせて貰ってるよ。それこそ、ハンターの時と同等か……それ以上」
「そうでもなきゃ、先輩を捕まえることはできないってことなんでしょうね」
「……お前の中で、俺がどんな印象なんだか」
「ありきたりな表現ですが、一匹狼ですね。ハンターは自由を愛せども、群れることを選択することはあります。でも、先輩が群れることなんてほぼなかったじゃないですか」
まあ、先輩が強すぎて群れる必要もなかったのかもしれませんが。
そう、呟きつつ、バイロンも杯を傾けた。
「それでも先輩が群れに加わる気になるなんて……一体、先輩が仕える人はどんな人なんですかね」
「この前、会っただろう」
「ええ、まあ。綺麗で可愛らしいお嬢様でしたね。でも、なんつーか……時々、妙な威厳が感じられて。単なるお嬢様じゃないと思ったんすが、邪推ですか?」
「お前も言っていただろう?俺を御すことが可能な唯一の人だよ」
「えーでも、それが何によってかで全然違うじゃないですか。少なくとも、強さではないということだけは分かりますが」
「護衛より主人の方が強ければ、護衛の立つ瀬がないだろう」
「確かに」
「とは言え、そうだな……ベクトルが違うだけで、俺以上の才能の塊だよ。主人を前にすれば、俺は単なる凡人だ」
「……先輩、冗談は休み休みに言ってください」
「言っただろう?俺を御し切る人だぞ」
「……急に現実味が湧いてきました」
バイロンはそれ以上の深追いを止めた。
これ以上、アルバートが主人のことを口にすることはないと、彼の表情や態度から理解したということもあったし、何よりアルバート以上の才など、具体的にそれが何かは分からずとも、触れたら危険なモノだとすぐに理解できるからだ。
代わりに、バイロンは追加の酒を注文した。
「もう一つ、興味本位で聞きますが……ハンターの第一線から退いて勘が鈍るってことはないんすか?」
「ないな。鈍らないよう訓練もしているが、そもそも実戦ばかりだから鈍りようがない。まあ、仮に実戦が少なかったとしても……俺がそんな生ぬるい環境を良しとすると思うか?」
「失言でした。つーことは、先輩のお眼鏡に叶った部下の方々も、相当な腕の持ち主で、努力家ということですね」
「ま、よく言えばそうだな」
アルバートもまた、追加で酒の注文をした。二人とも、全く顔に酔いが出ていない。
「返事は急がない。お前が来たいと思えば来れば良い。尤も、来る時には色々試させて貰うが」
「え、声をかけてきたのに?」
「適性を見るのは必要だろう」
「余程少数精鋭なんすね……。まあ、急がなくて良いというのはありがたいっす。先輩と一緒に働くのは楽しそうですが、このままハンターとして自由気ままにやり続けたいって思いもありますし。一方で、断るには断るで、勿体ないっていうのと、先輩の反応も怖いですし」
「別に危害を加えるつもりはないぞ?断ってくれても、このまま互いに利用し合う関係もありだと思うしな」
ハンターは、より正確な情報を得ることも非常に重要なスキルだ。それは勿論、生き残るために。そして、目当ての成果を得るために。
そのため、互いが互いに情報を交換し合うという意味で、利用し合うことは当たり前の世界だった。
むしろ、誰が信頼できるハンターか……それを見極めることと、関係性を構築すること、そらな重要なのだ。
「ありがたいっす。そういえば、聞きましたか?最近、薬の値段が上がってるらしいですよ」
「へえ?」
「幸いにも、この領地ではそんなことないっすけど。他領だとか王都だと2割り増しぐらいですね。もしこのまま値段が上がり続けたら、ハンターたちも、この領地に買いに来るかもしれないっすね」
「そうか……。そうすると、レッドディアの値段が更に上がりそうだな」
レッドディアは魔物の一種だ。特徴は大きく刃のように鋭いツノ。凶悪な武器であると同時に、薬の素材にもなる。
レッドディアのツノは滋養強壮があり、健康的な体を作る、一種の予防薬として人気が高い。
つまり薬が高まると、予防のためにとレッドディアの価値も高まるということだ。
「そうなんすよね。おかげで、レッドディア狙いが多くて。それなのに、最近全く見つけることができないんですよね」
「……この領地だと、月影の森に行ってみると良い。お前なら、捕りすぎないだろう?」
「流石、先輩。明日にでも行ってみます!」
何杯目かの杯が空になったところで、二人は言葉なく立ち上がった。
「先輩、今日はご馳走様でした!今度は、是非、俺を鍛えてください!」
分かり際、バイロンはアルバートの背に向かって叫んだ。
「さて……その時までに、そうしたいと思うだけの、成長を見せてみろ」
アルバートはそう言って背中越しに手を振り、そうして二人は別れて行ったのだった。