お嬢様は、訝しむ⑧
1話目
「ええ、そうでしょうね。でも、聞きなさい。お金がある家は、語弊を恐れずに言えば、お金によって悪意から身を守っている。例えば、親は環境を整え子に教養を磨かせることで、騙されたり陥れられることのないように。あるいは、他者を雇って直接的に身を守るということもあるでしょう。……とは言え、そういった家は逆に狙われる可能性も高くなるから、良いことばかりではないけれども」
彼女はそう言って、アルバートを見た。
彼女にとって身を守る術が彼なのだということを、示すかのように。
「あるいは、身体能力や魔力の高い子であれば、それを磨くことさえできれば、身一つで自分の身を守ることも可能ね。容姿の良い子は、それを武器に自らを守る環境を整えることができるかもしれない。まあ、いずれもその気概と戦略を練る頭は必要だけど」
そこまで言い切ってから、彼女はジッと二人を見つめた。
「ねえ……二人は何故、五日で銀貨五枚が貰えると思ったの?」
まるで予期していなかった問いかけに、二人は顔を見合わせる。
「それは、そういう仕事だから……」
代表するように、ブレットが答えた。
「何を対価に?」
けれども、クリスティーナの問いは止まらない。
「は?」
「あら……施し以外でお金を得るには、必竟、何かしら対価が必要なのよ。具体的には、例えば労働や売買ね」
「それなら、銀貨五枚は労働の対価だろ」
「あら、銀貨五枚の価値があるほどの技能が、貴方たちにはあったの?」
「え?」
「良い?貴方たちと同じように、お金持ちであれ、お金を払う時はシビアなのよ。そのお金を払うに値するかを、見極める。『労働』であれば時間・内容・質の全てを加味して金額が決まるし、『売買』であれば、そのモノの質や量は勿論、希少価値や需給の状況で決まるわ。それで、たった五日間で銀貨五枚を得られるほど、貴方たちは何か特別なことができるの?」
大人が一日で稼ぐのは多くて大銅貨五枚。大銅貨十枚で銀貨一枚の為、二人が釣られた仕事がどれだけあり得ない給与水準か、ということだ。
「例えば、高い身体能力や魔法……あるいは磨いた知性を活かしたその人ならではの仕事。つまり、その人でしか難しいという何かがあれば、銀貨五枚の報酬も夢ではないということね」
彼女の言葉に、二人は小さく首を横に振った。その反応に、彼女は小さく溜息を吐く。
「本来は、その様に色々と考えて、罠の匂いを嗅ぎ取るべきなのよ。後ろ盾のない貴方たちなら、尚更。さっきも言った通り、悪意はそこらかしこに落ちている。そしてその悪意は時に巧妙に隠されていて、罠に落ちるまで気取らせない。それでも、それが悪意なのか、そうでないか……自分の身を守るためには、見極める必要があるのよ。そうでなければ貴方たちは、簡単に死ぬ」
「そうは言っても……」
「そうね。今の貴方たちでは、到底無理ね」
ブレットが言い淀んだ言葉を、彼女はいとも簡単に口にした。
「今、私とアルバートがここにいるのは、私が アルバートにそう願ったから。そして、何故そう願ったかといえば……貴方たちのことを助けたいと思ったからだわ。そしてそれと同時に、アビントン伯爵家の不甲斐なさを目の当たりするために」
「不甲斐なさ……とは?」
「今回の一件、貴方たちには何の罪はないのよ。でも、死ねばそれまでだったわ。だって、貴方たちにとってはそうでしょう?幾ら貴方たちの殺人でテッドに罪が加算されようが、死んだらそれまでだもの。仮に院やクリフの家族に補償が入るとて、死んだ貴方たちは納得できる?」
二人は揃って、首を横に振った。
「そうでしょうね。だからこそ、そもそも被害を出さないようにすることが最良なの。でも、被害を出さないようにすることは難しい。……何故だか、分かる?」
二人は戸惑った様に顔を見合わせる。けれども、二人のどちらからも声が出ることはなかった。
「それはね、そういった悪意に対する備えが弱いからよ」
二人は戸惑ったように彼女の言葉に固まった。けれども、それはほんの一瞬のこと。
彼女の言葉を理解し飲み込むと、すぐさまクリフが口を開いた。
「いやいや、何を言っているんだよ。俺たちは、悪意には慣れている。そんじょそこらの坊ちゃん嬢ちゃんと、比較にならないほどな。それは、お前が言う備えなんじゃないのか?」
二人を代表して、クリフが反論した。ブレットは同じ気持ちだと、口を開かずに首を縦に振っていた。
「ええ、そうでしょう。一方で、知り合いだからと貴方は簡単にコリーの話に乗せられた。つまり、根本的には備えができていないのよ。さっき言った罠の匂いを嗅ぎ分かる力はね」
けれども、『待ってました』と言わんばかりにクリスティーナは畳み掛ける。
二人が、決して反論できぬ事例を以てして。
「本来であれば、貴方たち自身で身を守ってほしい。でも、それこそが難しい。何故だか、わかる?」
ポカンと、問いかけられた二人は固まる。
結果、肯定も否定も彼らからはなかった。
「貴方たちには、その判断材料が乏しいからよ。そして、その判断力を養う場すらない。……それが、私が思うアビントン伯爵家の不甲斐なさよ」
二人は、固まり続けたまま。
それはただただ判断に困るというよりかは、思ってもみなかった考えに触れて、どうして良いか戸惑っているというような様子であった。
「それは、勉強しろということ……でしょうか?」
「平たく言えば」
「でも、そんな余裕なんて……」
「その場所から抜け出す、唯一の方法なのに?」
彼女の問いに、彼らは驚いたように目を見開く。
「さっき言った、判断力を持ってほしいからという思いも一つ。でももう一つは、貴方たちに稼ぐ手段を得てほしいからよ。貴方たちは今、お金を稼げるだけの力を持っていないわ。それを手っ取り早く埋めるのが、知識。誰にも奪われることのない財産だわ。教養が嫌だと言うのなら、手に職がつくようなモノの勉強や修行でも良いわね」
「でも、さっきも言った通り、その、余裕が……」
「私もさっきも言ったことの繰り返しになるけれども、そこがアビントン伯爵家の不甲斐ないところよ。貴方たちや貴方たちみたいな子が、全員、漏れなく知識を得られるような体制になっていない。それを、直していかないとね」
「いやいや、そんな『直していかないと』って……あんた……いや、貴女がそんなことできるのか?」
クリフの問いに、クリスティーナが苦笑する。
「そうね。そうするように働きかけることは可能よ。せいぜい、期待して待っていて頂戴な」
彼女は二人に近づき、その頭を撫でた。
「だから、そうなるまで荒稼ぎは待っていて。今、死んだら元も子もないでしょう?お金持ちの善意という名の鎖に、これ以上は縛られたくないかもしれないけれども……それでも、生き残るためには、少し我慢して」
ジッと二人はクリスティーナを見つめる。彼女もまた、二人を見つめた。
決して、二人の視線から目を逸らさない。まるで、目で会話をしているかのようだ。
やがて、先にその状況から降りたのは二人の方だった。
代わりに二人は、小さく頷く。
「そう……良かったわ。その覚悟、今日騙された悔しさと共に忘れないでおいてね。それじゃ、私はそろそろ行くわ。……あとは、よろしく」
連絡要員に声をかけると、彼女も慣れたもの、すぐさま了承したと言わんばかりに力強く頷く。
そうして、二人はその場を後にした。