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第5章

 妊娠、出産、お産による死というセンシティブな話が頻繁に出てくるシリアスな話なので、苦手な方はブラウザバックをしてください。


「お前なんて生まれてこなければ良かった」

 

「お前の顔なんて見たくない。声も聞きたくない」

 

「誕生日を祝ってやれだと? 何を言っているんだ。こいつの誕生日は私の最愛の女性の亡くなった日なんだぞ。

 そう、こいつが彼女を殺した忌まわしい日なんだ。それを祝えるわけがないじゃないか!」

 

 これらは四年前に夫が私に投げ付けた言葉だ。

 久しぶりに王都のタウンハウスにやってきた夫に、来週は娘の誕生日だから必ずまた帰ってきてくださいね、と言った私にカーッとした彼はそう言い放ったのだ。

 

「娘の前で何てことを言うのですか!」

 

「まだ小さい! わかりゃしない!」

 

「もう、六歳ですよ。貴方の言葉はこの子の記憶に残りますよ。一生の傷になります。謝って下さい」

 

「うるさい。私に命令するな。君はただの子育て要員で、形式上の妻だということを忘れたのか!」

 

「その言葉は訂正してください。たしかに私は旦那様の形式上の妻であることは間違いありません。

 しかし『ただの子育て要員』ではありません。私は三人の子供達の母親です。母親が子供達のことで父親である旦那様に要望するのは当然のことです」

 

 それまで一切逆らわず滅多に言葉も発しなかった私が反論したので、夫ゴードンは喫驚した。

 しかし、こんな女に舐められてたまるかと思ったのか、さらに語気を強めてこう言った。

 

「さっきも言ったが、この娘は母親の命を奪って生まれてきた人殺しだ。そんな罪深い子供の誕生日を祝う必要はない」

 

 この言葉に抑えきれないほどの怒りが湧いた。絶対に許せないと思った。父親として人として。

 

「人殺しは旦那様の方でしょう。それなのに何の罪もない娘に自分の罪をなすり付けるなんて最低です。それは意図的ですか? それとも無意識なのですか?」

 

「私が人殺しだと? 貴様は私が愛する妻を殺したとでもいうのか! そんなわけがあるか! 私は妻を誰よりも何よりも大切にしていたんだぞ! 妻はお産で、その娘を産んで亡くなったのだ」

 

 ゴードンはまさに前世の赤鬼のような形相になってそう叫んだ。だから、多分私も青鬼のように青褪めた顔で叫んでいたと思うわ。

 

「そうよ、旦那様の愛する奥様はお産で亡くなったのよ。誰のせいでもないわ。お産で妊婦が亡くなることは少なくないわ。お産には危険が伴うことくらい子供でも知っているわ。

 特に貴方の奥様はギリアンを産んだ後、産後の肥立ちがかなり悪くて、健康に戻るまで大変だったと聞いているわ。

 それなのに何故三人目を作ろうと思ったのですか? 息子を二人も産んだのだから、奥様は妻として既に最低限の役目を果たしていたでしょう? 

 それなのになぜ避妊薬をお互いに飲まなかったの?」

 

「飲んでいたさ。だけど妻が言ったのだ。どうしても女の子が欲しいと。そしてその望みを叶えてくれないのなら、もう私の相手はしないと猛烈に抵抗し、私を拒絶し、口もきいてくれなくなったんだ。だから……」

 

「奥様は女の子が生まれれば旦那様に取り上げられずに済むのではないか、そんな風に考えられたのではないですか?

 男の子だと上の二人のように貴方に嫉妬されて引き離されてしまうから」

 

 

 最初の奥様は貧しい伯爵家のご令嬢で、夫とは学園の同級生だったらしい。

 侯爵家の両親の大反対を押し切って、卒業と同時に結婚した後で領地にひきこもったのも、嫁いびりを心配したからだと聞いている。

 しかし、接触を一切断ってしまったために、お互いを理解し合うチャンスは失われ、彼女は侯爵家で孤立してしまった。

 しかも結婚して一年も経たずに実家も没落してしまい、実の両親に相談をしたり助けを求めることもできなくなっていた。

 

 その結果彼女が頼れるのは夫一人になってしまった。夫に嫌われて捨てられたらもう自分には行き場がない。彼女は夫に逆らえなくなったのだろう。

 だから息子達と離れ離れにされても強く言い出せなかったに違いない。離婚されたらそれこそ息子を抱えて女一人で暮らしていくなんてほぼ不可能に違いないのだから。

 

 でも、母親だもの。息子達に会いたかったに違いない。一緒に暮らしたかったに違いない。

 束縛され閉じ込められ、息子を奪われた彼女の精神が徐々に壊れていったことは想像に難くない。

 だからこそ彼女は、たとえ夫に嫌われようとも初めて自己主張したのだ。娘が欲しい。娘ならきっと夫は可愛がってここに置いてくれるだろうと。

 

 私がこう推論を述べると彼は押し黙った。どうやら当たったようだ。

 

「先ほども言いましたがお産とは命がけなんです。だから不幸にも妊婦や赤ん坊が亡くなってしまうこともあります。でもそれは誰のせいでもないのです。

 それでもどうしても旦那様が誰かのせいにしたいのなら、それはニーチェルのせいなどではなく旦那様のせいです。奥様を殺したのは旦那様です!」

 

「まだそんなことを言うか! 俺が愛する妻を殺すわけがないだろう! ふざけるのもいい加減にしろ!」

 

「ニーチェルは生んで下さいと旦那様にお願いしましたか? 当然違いますよね。つまり、ご両親が望んだからニーチェルはこの世に生まれてきたのですよ。

 旦那様が奥様を本当に大切に思っていたのなら、子供を望まなければ良かったのですよ。産後の肥立ちが悪くなることは予見できたのですから」

 

「でも、彼女がそれを望んだんだ!」

 

「奥様にそう望ませたのは旦那様です。そして彼女が望んだ娘が生まれたというのに、旦那様はニーチェルの存在を否定した。

 それは奥様の意志や望みを殺したのも同然なのではないですか? それが旦那様の奥様への真実の愛だと言うのですか?」

 

 バシッ!

 

 物凄い音と共に頬に激しい痛みが走り、私はよろめいてソファーに倒れ込んだ。左頬に手を当てると、その手首から血が滴り落ちた。口の端が切れたのだろう。

 

「「「お母様!」」」

 

 三人の子供達が駆け寄ってきた。しかし、そんな私達をその場に残して、ゴードンは一人屋敷を出て行ってしまったのだった。

 

 ✽

 

 

()()()()()()()()が起きる前までは、ニーチェルは貴方を怖がってはいましたが嫌ってはいなかったのですよ。

 貴方が数か月に一度タウンハウスに来る度に、美味しいお菓子や可愛いぬいぐるみをお土産に持ってきてくれましたからね。

 えっ? そんなことはしていない?

 ええ。貴方がそんなことをするはずがない。いい年をした大人のくせに自分の責任を幼い娘に擦り付けて憎んでいたような人ですからね。

 執事のモンドールが貴方からだと言って自分が用意した贈り物を渡していたのですよ。実の父親から愛されていないと感じたら可哀想だからと。

 

 でもあの日ニーチェルは真実、つまり貴方が自分をどう思っているのかを知ってしまったのです。

 つまりあの日を境に、貴方はニーチェルにとって赤の他人になり、どうでも良い存在になったのです。

 というより母に暴力を振るう敵になったのです。まあそれは僕と兄さんも同じでしたが。

 そして、ニーチェルにとって家族とは、兄二人と母上、そしてモンドールになったのです。

 モンドールは領地から仕事のためにタウンハウスにやって来る度に、相変わらず僕達にたくさんお土産を買ってきてくれました。そして一緒に遊んでくれて、色々な悩みの相談にも乗ってくれた。

 年はそれほど離れてはいなかったけれど、僕達にとっては本当に父親のようだった。貴方とは違ってね」

 

 ギリアンがこう言うと、ゴードンは初めてニーチェルの顔を見た。しかし、娘は無表情で父親の方を見ようともしなかった。

 

「思い付きで母上やニーチェルと暮らしたいと言うなんて、心底呆れましたよ。本当に何も考えないで生きているのですね」

 

 マーシスが深いため息をつくと、思い付きじゃないとゴードンは必死に言い訳を始めた。最近ずっと考えていたのだと言い出した。

 そしてニーチェルが誰の養女になりたがっているのかを察した夫は、侯爵家の令嬢が男爵家の養女なんて信じられない。妹の面倒さえ見られないお前が当主になれるわけがない。やはり実の父親が暮らすべきだという恥知らずな主張を繰り返した。

 ここまで愚かだったのか。みんな呆れて言葉を失った。

 しかし、マーシスがしびれを切らして再び口を開いた。


「爵位の高さと幸せは比例しないことを僕達は身に染みて知っているんですよ。

 それに無責任な世間よりも妹の幸せの方が大切なんです。僕とギリアンは。それに姓が変わってもニーチェルは大切な妹ですからこれからも大切にしますからご心配なく」


 そしてそれに続いて義父が、


「どうせ愛人に王城へ連れて行け、パーティーに参加させろ、ドレスを買えと煩く要求されて面倒になって、別れたくなっただけだろう? 

 その女性は領地周辺のパーティーに近ごろ勝手に参加しては、


「私はオルゴット侯爵の第二夫人で、もうすぐお飾りの第一夫人とは離縁される予定だから、私が第一夫人になるのよ」


 と言いふらしてしているらしいじゃないか? どうせだから、その望みを叶えてやればいいんじゃないのか? 長年夫婦同然で暮らしてきたのだろう?

 気付いてやれなくて悪かったな。これがお前への最後のプレゼントだ。だがすぐ返せよ」

 

 と言って夫に差し出したのは離婚届だった。

 ゴードンはそれを見て目を剥き、絶対にサインなどしないと主張したが、結局はサインせざるを得なくなった。

 それは社交界で自分がどう思われているかを息子のマーシスに教えられたからだった。

 

 

「貴方に殴られた翌日、母上の顔は別人のように赤紫色に膨らんでいたんですよ。

 でも、どうしても学院の母の会を欠席できない事情があったので、厚化粧して参加したのです。

 母上は何も話さなかったけれど、当然何があったかなんてバレバレでした。

 母上が父上から酷い暴力を振るわれたことがわかって、母の会の皆さんは怒り心頭になったのですよ。

 その時点で皆様から離婚を勧められたけれど、母上は僕達の母親でいたいから離婚はしないと言ってくれたのですよ。

 

 でも僕とギリアンは母上にも幸せになって欲しかった。だからね、母の会の皆さんと協力してね、どうやったらスムーズに母上が離婚できるかを話し合って計画を立てたのです。

 まずは僕が当主になるのが必須だと王妃殿下からアドバイスを頂いたので、ずいぶんと頑張ったのですよ。

 勉強に武道に生徒会活動。乗馬や剣は王子殿下と共に近衛騎士様に教えて頂きましたし。

 卒業後は王城の仕事に加えて領地の仕事もしました。貴方が愛人と楽しく遊び暮らしている間にね。

 ギリアンも医者になるための勉強に励みながら、僕をよく手伝ってくれたのですよ。

 

 そうそう。母上の母の会のお仲間は、王妃殿下や宰相閣下の奥様である侯爵夫人、僕の婚約者の母君の公爵夫人とか、そうそうたるメンバーなんですよ。

 だからね、社交界で貴方がみんなからどう思われているか、想像すればわかるでしょう? 今日だって王城では居心地悪く感じたんじゃないですか?

 

 最初の妻は監禁、再婚した後妻には子供と家政を丸投げ、年老いた両親には現役で領地管理や社交をさせてきた。

 しかも育児放棄だけでなく、娘を精神的虐待している男になんて、誰も関わりたくないものね。

 その上間もなく後継者から降ろされて、ただの平民になるのがわかっているのですから尚さらですよね。

 あの高位な方達をこれ以上敵に回したくないなら、さっさとサインした方がいいと思いますよ。

 平民になったらそれこそ貴方には身を守る術がないのですから。

 

 あっ、もちろん母上の心配はしなくてもいいですよ。母上がこの家の籍から抜けても、僕達は家族だからね。それに仕事も決まっているし。

 父上にも今までの半分にはなるけれど、仕送りするつもりです。

 だから、贅沢さえしなければ今までみたいにのんびりと何もしないで暮らしていけますよ。愛人さんが満足するか、そこまでは責任は取れないけれどね」

 




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