第2章
長男マーシスは、少し灰色がかった銀髪に薄い水色の瞳をしていて、一見すると静謐な氷花っていう感じの冷え冷えとした美少年だった。なんでも母方の祖母似らしい。
しかし実際は静謐とは反対で煩くて面倒くさい性格の持ち主だった。何しろあらゆる事に対していちいち文句を言わなければ気が済まなかったのだから。
なまじ頭がいいのでかなり弁が立つ。そのせいで彼から口で話を吹っ掛けられると、相手は反論もできず、言い負かすこともできない。
そのせいで使用人達は彼に頭を下げ、謝罪の言葉を述べるしか術がなかった。
育ちのせいなのか、元からの性格なのか。別段わざと人を陥れたいと思っているわけでもなさそうだったが。
そんな兄を完全にスルーしている次男ギリウスは、艶のある黒髪に濃紺の瞳をした正統派の美形だ。こちらは父方の祖母に似ている。
兄同様頭がいいが、兄とは違って周りの空気が読める。頭の中では色々考えているようだが、余計なことは一切口に出さない。
こういう良い子にはみんな安心してしまうけれど、実はストレスを溜めがちだから、何か発散させられるものを見つけてやらないといけないわね。
我慢強い子がいつも貧乏くじを引かされて損をするようなことはあってはいけないもの。前世の記憶をずっと引きずっていた、結婚前の自分のように。
私はここへ嫁がされたのも、世間の噂通り多額の支度金目当てだったのだから。まあ私はそれで実家と縁が切れるのなら万々歳だったけれど。
もう、縁を切った(書類にサインを書かせた)ので、泡銭を手に入れて、それを元に楽に金儲けをしようとしてもし失敗しても、知ったことではないわ。今後は一切もう関わる気はないから。
ギリウスは次男だから、どこか貴族の家に婿養子に入るか、何か特殊技能を身に付けて平民として生きて行けるように育てなければならない。
この子ならどこでも婿養子の口がありそうだが、本人に希望を訊ねたら、医者になりたいと言っていたので、その夢を叶えるためにバックアップしてあげたいと思う。
そして兄二人に溺愛されている末のニーチェルは、とにかく「可愛い!」の一言だ。明るい金髪に長兄と同じく薄い水色の瞳をしているが、色目も顔立ちも生母に瓜二つだという。
ただ基本人懐こいのだが成人男性のことは苦手のようだ。父親の影響だろうか。
彼らの父親は自分の子供に無関心だったから。いや、長女のことだけは露骨に毛嫌いしていた。それを幼いながらに感じているのだろう。
十二歳になる長男、八歳になる次男、そして二歳になったばかりの長女。この三人の子供達は間違いなく夫と亡くなった彼の最愛の最初の妻との間に生まれた子だと、執事長と侍女頭は断言した。
それなのに何故夫は、まるで娘を憎んでいるかのような目で見るのだ。
二歳といえば一番可愛い盛りだ。継母の私だって毎日頬擦りするほど可愛い。しかも亡くなった夫人にそっくりな容姿をしているらしいのになぜ?
亡き妻に似ているから顔を見るのが辛い、というのならまだわかる。しかしそういうわけでもないのに、なぜ幼い娘に憎々しい顔を向けるのか、その理由が私には分からなかった。
すると、次男のギリウスがこう言った。
「ニーチェルが生まれたせいでお母様が死んだってお父様は言っていた。たからニーチェルが憎いって」
「お父様が貴方達に本当にそう言ったの?」
「うん。前に僕と兄様がニーチェルを可愛がっていたら、お父様がそう言った。
だからお父様がいるとき、僕達はニーチェルを可愛がれないの。お父様の機嫌が悪くなって、ニーチェルに余計冷たくするから」
次男の言葉に私は愕然とした。
何なの、いい年をした大人がまるで子どもみたいな真似をして。
「貴方はニーチェルをどう思っているのかしら?」
「可愛いよ。妹だもん。兄様も誰も見ていないところでは可愛がっているよ」
「貴方はお母様がニーチェルを産んで亡くなったことをどう思っているの?」
子供に辛いことを訊いていると自覚しながらも、これから子供達とどう向き合っていくのか決めるためにはどうしても必要なことだ。
すると、ギリウスは表情を全く変えることなくこう答えた。
「どうも思わないよ。だってお産はとても大変なことで命がけだって聞いたもの。だから亡くなることも多いのでしょ?兄様がそう言っていた。
それなのになぜお父様はニーチェルが悪いというのかわからないよ。ニーチェルを欲しいと思ったのはお父様とお母様で、ニーチェルが産んで欲しいと願ったわけじゃない。それなのに」
ニーチェルが産んで欲しいと願ったわけじゃない。
その言葉に私の心は抉られた。前世でよく息子に言われたからだ。
夫婦が子供を欲しいと思うことは理屈じゃない。本能なのよと言ったら、息子は軽蔑した眼差しで私を見ていたわ。
「そんな無責任な考えで子供を作るから虐待したり育児放棄したりするんだよ。そしてまともに教育を与えてやれないんだ。もっと計画的にやればいいのにさ」
あの子には愛情を持って接したつもりだったし、何でも好きなことをやらせてやった。それに十分な学習環境も与えたつもりだったけれど、あの子は幸せになれなかった。
努力せずともなんでも人並以上にこなせたけど、それ以上の努力は絶対にしなかった。何もしたいことがないからって。それを鞭でも打って強制すれば良かったとでも言うのかしら?
ねぇ、無責任というけれど子供は天からの授かりものなのよ。
いくら科学が進んだからといって、ある一定の基準に達した人間でないと子供を持てないなんて未来は、絶対にやってこないわ。
人間を人工知能が支配する世界にでもならない限りはね。
でもそんな選ばれた人達から生まれてきた子供だって、きっとあなたみたいに言う子供が出て来るに決まっているわ。「生まれてなんかきたくなかった、産んだ以上責任とれ」って、言い出す者が。その選ばれたはずの素晴らしい親達に向かってね。
でも、いくら天からの授かりものだったとはいえ、親の方は無責任な言葉は言ってはいけないわ。「お前なんか産むんじゃなかった」ってセリフだけは。欲しいと願っただけで子供が生まれて来るわけではないのだから。
ただし、だからといって親が子に対して一生責任を負う必要があるのかというと、そこまでの義務はないと思う。成人に達するまで精一杯育てたら、さすがにその後は自己責任よね? 生物の中で人間だけ特別なんておかしいもの。
まあ、前世ではそのことになかなか気付かずに、自分達の人生を棒に振ってしまったような気がするけれど。
そう。わたしには最期の時の記憶がない。だから息子がどうなったのかまではわからない。
ただ愛する夫に、「生まれ変わっても貴方とまた一緒になりたい」、そう言っていたような気がする。夫だけは私を責めずに側にいてくれたから。
✽✽✽
この世界に自分が転生したのだと気付いたとき、私が最初に思ったのは、もう子供は産みたくないということだった。
ところがこの世界は、女にはそれが許されなかった。まあ、前世だって結婚すれば周りから色々と余計なことを言われたけれど、結婚することも子供を産むことも最終的には自分の意思で決められたのに。
でもどの世界でも抜け道はあるものだ。聖職に就くとか、跡継ぎを必要としないところへ後妻として嫁ぐとか。
そして運良く私はその後妻になれたわけだ。しかも、自分が産まなくても可愛い子供三人の母親になれるなんて幸運以外の何物でもない。
たとえ子育てに失敗しても、「やっぱり後妻、継母じゃ仕方ないわよね」と言われるだけだ。
そしてそれは子供達に対しても同じことが言えるだろう。
「後妻の継母に育てられたのだから仕方ないわよね。しかも父親がアレじゃねぇ〜」
って。そう考えれば、とっても気楽な後妻ライフだわ。
でもね、そんな無責任な継母だって、許せないことはあるのよ。それは「お前なんか産むんじゃなかった、お前なんか生まれなければ良かった」ってセリフよ。
絶対に親と名の付く者が口にしちゃいけない言葉よ! 前世で息子から酷い言葉を投げつけられて怒り心頭になったときも、この言葉だけは言わなかったもの。だってそれは人の存在意義を否定する言葉だから。
私に対してどんなに無関心であろうと、私は三人の子供達に向かって語り続けたわ。貴方達に逢えてわたしは幸運だった。貴方達の母親になれて幸せだわと。
そして彼らを精一杯可愛がったけれど、躾や勉強に関しては甘えを許さず厳しくしたから、一年ほどはかなり反発されたわ。特に上の子には。
だけど、
「弟や妹を守りたいと思うのなら、私に反発しているだけではだめなのよ。本当の敵は私じゃなくて父親でしょう?
あの男のことだから、ニーチェルを今後どんな目に遭わせるかわかったものじゃないわ。そんなときに今のままの貴方じゃ何も対抗できないわよ」
すると、マーシスはハッとして私を見つめて訊いてきた。
「頑張れば絶対権力者のあの人に対抗できるようになれるの? 貴女だってお飾りの妻で相手にもされていないのに?」
「勘違いしないで。私は別に貴方達の父親から愛情をもらえない哀れな妻というわけじゃないのよ。形式上の夫婦でいるというのがこの結婚の最初からの契約なのだから。
いいえ。形式上の夫婦というより、貴方達の母親になるために結婚したというのが正しいわね。
だから、子育てに関して余計な口を挟まないのなら、あの方と争う気はないわ。
ただし、私に子育てを任せた以上、私の邪魔をしてきたら徹底的に抗戦してやるつもりだけれど」
「貴女の子育ての目標はなんですか?」
私とマーシスのやり取りを聞いていたギリウスが、私にこう問うてきたので私はこう即答した。
「貴方達が生まれてきて良かったと心から思えるようにすること。それと、立派に成人して独立できるようにすることね」
「将来ニーチェルがそんな風に思えるようになるのかな?」
マーシスが不安そうにそう呟いた。ギリウスの言っていた通り、人前では素っ気ないが、やはり妹を気にかけているようだった。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。本当はそんな心配は親がするものなのに、この家ではその親自身が娘を苦しめているのだから。
「ニーチェルが生まれてきて良かったと思えるように私達がするのよ。父親がいなくても大丈夫。母親と兄、そしてこのお屋敷の優しい使用人さん達がいれば、ニーチェルは幸せになれるわ。
だから、お兄様方、あの父親から大切な妹を守るためにも心も体も強くなってくださいね」
私がこう言うと、マーシスとギリウスは大きく頷いた。そしてまだ何もわからないニーチェルは私の腕の中で大きな声で笑っていた。