第1章
妊娠、出産、お産による死というセンシティブな話が頻繁に出てくるシリアスな話なので、苦手な方はブラウザバックをしてください。
恋愛は後半に出てきてハッピーエンドです。
生まれてこなければ良かった。
生き辛さを抱えていた息子がよく呟いていた。
長男を赤ん坊の時に病気で亡くした。
こんな思いをするならもう子供はいらないと夫と二人で泣いた。
しかし時と共に、街で親子連れを見ると、ただただ羨ましくて、寂しくて、微笑ましくて……
だからまた子供を産んだ。また男の子だった。二人の息子はどちらも可愛かったけれど、あまり似ていなかったから、弟を兄の身代わりにした覚えは一度もなかった。
次男は赤ん坊のときから本当に育てにくい子だった。夜泣きで困ることはなかったが、あまり眠らない赤ん坊だった。
しかもうつ伏せでないと絶対に眠らなかったので、寝返りが上手くできるまで、息子を抱っこしたまま、ベッドを斜めにリクライニングさせて眠った。
離乳食を始めると、母乳はあっさり用なしになったのですぐに出なくなった。
一緒にいる母親である私にはほとんど関心を持たないので、最初は自閉症を疑った。しかし、父親や、公園にいる他所の子の母親には愛想を振りまいていた。
いや、私以外の人間にはその愛らしい顔でにっこりと微笑むので、誰からも愛された。たとえば散歩に出かけただけでも、出会った見知らぬ人々から色々な物を頂くので、帰りにはいつも荷物が一杯になっていた。
まさか、この子って魅了持ち?なんて本気で心配になったくらいだ。
幼稚園に入ると女の子に大モテだった。なにしろ本物の女の子より可愛らしかったからだ。
そのせいで息子は五歳でファーストキスを奪われ、その感触が気持ち悪かったらしく、女の子嫌いになってしまった。
まあ、そう本人が言ったわけでないけれど、どんな女の子を見ても可愛いとか綺麗とか口にしたことがなかったから。
その後も眉目秀麗、才気煥発に成長した息子は、どこでも人気者だった。何せ大した努力をせずとも何でも熟していた。しかも外面がとても良かったからだ。
しかし、何でも苦労せずできてしまうからこそ、これが好きだというものがなかった。だから何をやってもつまらなそうだった。
そして冷めた目で私を恨めしそうに見つめながら、「つまらない。楽しいことなんて何もない。生まれてこなければよかった」と呟いていた……
✽✽✽✽✽
私の名前はミリアンヌ=オルゴット。
まだ十八だというのに、三人の子持ち次期侯爵と結婚した元子爵令嬢だ。
金のために両親から売られた令嬢だと世間から同情された。
それは事実だったけれど、この結婚は私自身も望んだものだった。
「私からの愛は望まないでほしい。君には多くは期待していない。子育てをしてくれればそれでいい」
顔合わせでお相手であるゴードン=オルゴット次期侯爵にそう言われた時、
「つまり私は仮の妻で、単なる子育て要員ということでしょうから、白い結婚になるのですよね? わかりました。それならお受けします」
私がそう言うと次期侯爵はかなり驚いたようだが、
「自分が言いたかったことを貴女の方から言ってもらえて助かった」
と彼はホッとした顔をした。
その後私達はその場で互いの要求を出し合い、この結婚に際する契約書を作った。もちろん両家の親達には知らせない。
この契約内容は普通妻にとっては理不尽としか言えないようなものだった。
それなのに何故私が同意したのかと言えば、普通のご令嬢ではなかった私にとっては却ってとても都合が良いものだったからだ。
だって相手の要求は妻ではなくて、三人の子供の母親になって欲しいというもので、それこそ私の望む形だったからだ。
私は転生者だった。生まれたときから前世の辛い記憶を持っていた。だから私は子供を産みたくなかった。
しかし、この世界では女は子供を産むのが義務。けれどそれが嫌だった私は、成人したら修道院へ入ろうと考えていたくらいだ。
しかしその修道院だってただでは入れない。だからその支度金を準備するために、どこか高位貴族の家の侍女か家庭教師、はたまたナニーとして雇ってもらおうと思っていた。
そのために必死に勉強したし、学友とも仲良くしていたわ。もしもの時のために。
そして学院の卒業を数か月後に控えていたある日、私に結婚の話が舞い込んできた。
貧乏子爵家の娘の私に何故侯爵家から縁談が?
最初は不思議に思ったが、私より十と四つほど年上の次期侯爵様は奥様を亡くされていて、三人のお子様がいると聞かされて納得した。私の親は多額の支度金に大乗り気だった。
つまり私は妻というより子育て要員として望まれているのだろうと察した。
しかし、顔合わせで相手からさらにそれを上回る話を聞かされたときは、すぐには信じられなかったわ。
子供を産まなくても、子爵令嬢が次期侯爵夫人になれるのだから。
しかも夫となる人は、亡くなった奥様以外抱く気はないという。私も愛する人以外の男性となんて体の関係を持ちたくなかったので万々歳だった。
そして、両家の親族だけが見守る中で挙げられた簡素な結婚式が終了すると、夫はその三日後には、私と子供達を王都のタウンハウスに残して、領地へ戻ってしまった。
そこは王都よりも温暖な住みやすい土地らしい。最初の奥様は体のあまり丈夫ではない方だったらしく、療養がてら二人でほとんどそこで暮らしていたらしい。
まあ、実際は美し過ぎる奥様を他の男達に見せたくなくて、外へ出さなかっただけみたいだけれど。
そりゃあそうよね。三人目を産んだ後、産後の肥立ちが悪くて亡くなってしまったそうだが、三人も子供が産めたのだから病弱だったわけがないわよね。
夫人と一時でも離れたくなかった次期侯爵様は、最低限しかパーティーにも参加せず、義両親だけが社交をしてきたらしい。
それでも彼がどうしても出なければならなかった場合は、年の離れた妹をエスコートしていたという。
そしてその愛していた奥様が亡くなった後も、彼女との愛の生活を忘れられなくて領地に引きこもっているというのだから、そこまでいくとさすがに狂気じみて怖いわ。
まあそのおかげで、結婚しても夫と別居生活なのはすごく嬉しいわ。
義父母も息子のことはすっかり諦めていて、私に社交を要求することはなかった。ただ孫達のことだけはお願いね、と言っただけだった。
最初の結婚の時、侯爵家の嫁としての心得を伝授しようとしただけなのに、嫁いびりをするなと息子に罵られ、その後その嫁が社交界に姿を現さなかったことで、世間から性悪姑と噂を立てられてしまった義母は、私にも何も言えなかったのだろう。
実際、キツイお姑さんのいるところに嫁ぐなんて気の毒ねと友人達に同情された。前世の記憶があって、嫌味や嫌がらせをスルーする技術を身につけているから、そんなに気にしなかったけれど、あれは本当にデマみたいだ。
これからも、針の筵のような社交場に老体に鞭打って参加されるのだと思うと、義父母に同情してしまう。
それにしても、最初の奥様がご健在だった頃から、子供達三人は生まれて三月くらいで王都の屋敷に連れて来られて、乳母に育てられていたというのだから、夫は本当に子供に愛情というか愛着がないのね。奥様の方がどう感じていたのかはわからないけれど。
これって完全に育児放棄じゃない?
結婚式後に初めて子供達と会ったけれど、まあ、三人とも本当に面倒くさい子供だった。
でも、彼らの生育環境を鑑みると、むしろ今の状態はまだマシなんじゃないかとも思ったわ。きっと使用人の皆さんが優秀だったのだろう。
いわくつきの結婚で嫁いできた私を馬鹿にすることもなく、優しく接してくれている人達だから。
結婚して一月ほど経ったころ、
「お前なんか僕達の母親なんかじゃない」
そう上の子に言われて、
「そりゃあそうよ。私は今十八歳で、あなたとは六歳しか違わないのだから当たり前でしょ」
と返すと、長男マーシスは驚愕の眼差しをこちらに向けた。
ああ、私をもっと年上に思っていたのね。婚期を逃したから、三人の子持ちの後妻などになったと思っていたわけね。
そんなに私は老け見えているのかしら? 化粧をあまりしていなくても、すべすべのぴちぴち肌をしていると思っていたのだけれど。
まあそれでも、子供から見れば十八はもうオバサンか。
「私のことは姉でも親類の小母さんとでも、好きに思えばいいわ。だけど、決して乳母や家庭教師ではないわ。
つまり使用人ではないことだけはわかって欲しいわ。私を見下す真似だけは許さないわよ。わかったわね?」
私の役目は子供を一人前に育てることだ。そのためにはたとえ母親として見なされなくても、子供になめられてはだめなのだ。
どちらの立場が上なのか、それをわからせなければいけなかった。
マーシスは唖然とした顔をした後で、とても嫌そうな顔をして返事をしなかった。