電気猫はなぜ愛されなかったのか
MH77Aは2637年の加古川攻防戦において頭部を損壊、完全に電子頭脳化することで一命を取り留めたものの、記憶のバックアップが不十分であったため、デフォルトの味覚情報を再インストールしている。
大脳辺縁系を調整しなかったMH77Aは、時折強烈な本能的欲求に行動を支配される。今が正にその時で、ウィルスが飛び交う下町のメモリショップに、新たな味覚情報をインプットするため向かった。
「出汁の効いた情報ありまっせ! 兄ちゃんどないや!」
立ち並ぶスタンディング形式のメモリショップから、戦後仕事にあぶれた送電士が下町を歩く人々へ強制的にデータを流し込んでくる。ノイズの強さに脳が拒絶反応を示すが、戦時中は最前線で敵の情報撹乱をしていた連中だ。押しの強さも頷ける。
MH77Aは視線を広範囲哨戒に固定したままだが、思考は新規情報の検索に没頭している。せっかくここまで来たのだ、デフォルトで用意されたテンプレートの味覚情報をアップデートできるメモリショップを探そうではないか。
「お兄さん、うちの店で一杯やってかんか?」
音声波形による情報送信、なんとアンティークな! 好奇心で視線を発信方向の索敵に切り替えると、そこにはチタンフレームを柔らかい雌型愛玩用スキンで生体偽装したメモリショップの店主が、右の赤外線反応器をシャットダウンした。通称、ウィンク。数百年前に衰退した古風の挨拶である。
そもそも今時性別を表現している時点で、レトロな趣味性の高いメモリショップだということがわかる。これは期待が持てそうだ。心臓を模した核融合炉がメルトダウンの警告を発する、なんてな。ふふふ、私も冗談テキストをインストールした甲斐があったというものだ。
「ああ、せっかくだから何か頂こうか」
「ええで、何でも言うてや」
「おススメはなんだい?」
「蕎麦やな」
「S.O.B.A.?」
「せや、中世の通常糧食を再現したものや」
雌型店主はマニキュアを施したマニュピレーターでカードを突き出した。MH77Aはそれを受け取り、光学スキャンの後で頭部に施したスロットに差し込む。
安全で清潔な高級メモリショップなら無線で情報を受信すればいいが、ウィルスにまみれた下町ではローカルなディスクやカードによるインストールの方が安心できる。
Now Loading……
新規情報更新中視覚制御 ▮ 視神経をS20471に接続
新規情報更新中聴覚制御 ▮ 聴神経をO80628に接続
新規情報更新中嗅覚制御 ▮ 嗅神経をB31470に接続
新規情報更新中味覚制御 ▮ 舌咽神経A=531で調律中
きたきたきた。MH77Aが生産されたときに破棄された生体部品の失われた感覚も蘇る。口腔で潤滑された水分が分泌される疑似体験、S.O.B.A.の情報がなだれ込む。
ZURURURU……
直径平均29.18mm、全長平均94.73cm、この棒状に刻まれた弾力のある固形物の集合体がS.O.B.A.のME-ANか。高蛋白でアミノ酸スコアも93.12をマーク。
しかしカロリーが思ったより低いな、中世では嗜好品というよりも非常糧食として使われていたのか? それにしても臭覚を刺激する癖のある情報だな……
ぽつ……
ぽつ……
MH77Aの表層心理は戦後の法改正により自身の経験に基づく判断にゆだねられているが、深層心理は生産される前からDNAによって用途に合わせて書き換えられている。
それは戦時中において当然の処置であり、逆に辺境の蛮族が行う交尾による無調整な生産方式は、今や不潔で野蛮な反社会的行為として見なされている。
ぽつ……
ぽつ……
……おいどうした戦地でぼーっとしてんじゃ……お前はほんと健康だけが取り柄だな、虫歯も無い……バカヤロウ!あああ、こんなになっちま……大丈夫だ、もうすぐ医療班が……君はこれから多くの兵士を……心配いらない、それは永遠の……
ぽつ……
ぽつ……
……いつまで続くんだろね、この戦争……西で三度目の核が使われて……あそこって昔アメリカって国が……ニホンジン?それって人種?……あと少しで西暦2200年ね……ねえ、私たち結婚しない?古風で素敵でしょ……古風で……
ぽつ……
ぽつ……
ぽつ……
「お兄さん、そろそろ時間やで」
MH77Aは自我を取り戻した。MHシリーズが初期ロットの頃に消しきれなかった情報に惑わされていたらしい。数世代前までは頻繁にみられた現象で、戦地において障害になるということで幾度となくバグ消しが行われたが、戦後の今となっては貴重な個性として気に入っている。
S.O.B.A.がその情報を引き出したのだろうか?これはユニークな経験だ。またこのメモリーショップに来るとしよう。
「まいどあり、また来てや」
追記)
元ネタになった窓口基先生の「サイバネ飯」はamazon Kindleで無料購読、またはpixivで読めますわよ!未読の方はぜひぜひお読みになって!ホーホホホ!
窓口基先生、ありがとうございました!(2024/10/08)