第6話 兄弟
リビングには家族写真が飾られている。父親と母親と幼い息子の三人が揃って写っている。ドミニクと妻であろう女性と息子だ。そしてその隣に息子一人だけの写真も飾られている。そちらの写真立ての右下には丁寧に「Luca」と書かれていた。
「レニーという子はうちにはいない…」
ドミニクは足元を見つめながら悲しみと怒りの入り混じった声でそう告げた。
「……聞いてもいいですか?ルカと、レニーの事」
セシルが遠慮深げに口を開く。その言葉でドミニクは頭を上げ話し出した。
「ルカは…解離性同一性障害…多重人格です」
「レニーはルカの中に生まれた別人格、架空の弟なんだ」
二人とは目を合わせずにドミニクは暗い声色で話を始めた。
───── その時、庭で遊び回っていたルカはゆっくりと足を止めると顔つきが変わった。明るかった笑顔は一気に気弱そうな顔へ変化した。ルカは"レニーになった"のだ。
「あ…ルカ待ってよ〜」
そして"レニー"はルカを追いかける為再び走り出した。
───── ドミニクは話を続ける。
「もちろんルカは自分がレニーになっている事に気づいていない。本当にレニーが存在すると思っています」
「「…」」
ロイとセシルは黙ったまま話を聞いている。
「…ああなったのは、私のせいなんです」
「どういうことですか…?」
ドミニクの言葉にセシルが問う。
感情を堪えながらドミニクは語り出した。
「…半年前、妻が亡くなりました。急な病気だったのでまともに最期の時間を過ごす事もできませんでした」
「私は仕事ばかりの人間で家庭の事は妻に任せっきりでした。息子のルカの事も…。そんなだから妻がいなくなったら当然家事も育児もできなくてね、やらなければならないのにやり方が分からなかった…そんな時仕事が忙しくなり休む暇もなくなって、私は毎日苛立つようになりました」
「追い込まれる私に、ある日ルカが無邪気に話しかけてきました。お父さん遊ぼうよって…。余裕のない私は断りましたが腕を掴まれながらずっと催促されて…限界と思ったその時、飲んでいたコーヒーのカップが床に落ちたんです」
「割れたカップとこぼれたコーヒーを目にした瞬間、堪えていた怒りが一気に込み上げてきて、ルカを怒鳴りつけてしまった」
─────その時ドミニクはこの様にルカへ言葉を投げつけた。
ガシャンッ!
割れた白いコーヒーカップからは、煮えたぎるような黒い感情を彷彿とさせる苦々しいコーヒーが溢れ出し辺りを玄色に染めた。
「あ、お父さんごめんなさ…」
ルカはすぐさま謝ろうとしたが、その声はドミニクの耳には届かなかった。
「いい加減にしてくれ!!!無理だと言ってるだろう!!私は忙しいんだ!!」
「…っ!」
ルカは驚き声が出ない。
「ただでさえやる事が溜まっているのに遊ぶ時間なんてあるわけないだろう!そもそも!お前が居なければ…っ!!」
最後の言葉でドミニクは我に返る。
怒号が飛び交った家中には片していないルカの玩具や食器が雑然としていた。
「す、すまないルカ!お父さん疲れてて…!」
「…ううん!僕の方こそごめんなさい!お父さん無理しないでね」
非情な言葉を投げかけられたのにも拘らず、ルカはいつもと変わらない笑顔をドミニクに向けた。
─────そう言うとルカは走ってどこかへ行ってしまった。
「…その後心配で様子を見に行くと一人で遊んでいるルカがいました…でも"一人じゃなかった"」
─────ドミニクが探しに走るとルカは自室で遊んでいた。
「ルカ…さっきはごめん。お父さんどうかして…」
「あ、お父さん!今ねレニーと遊んでたんだ!」
「え、レニー?」
ルカの顔つきが変わる。彼の変化に違和感を覚えたドミニクは恐る恐る声をかけた。
「ルカ?どうしたんだ?」
「お父さん?僕ルカじゃないよ。レニーだよ」
弱々しい声で"彼"はそう告げた。
「…え?」
─────ドミニクは何が起きたのか分からなかった。
「…後日解離性同一性障害と診断されました」
ルカとレニーの関係を知ったロイとセシルは真っ直ぐにドミニクを見つめる。
「医師が言うには、突然母親を亡くし心理的にダメージを負っていた状態で怒鳴られた事で、極度のストレスを受け発症したのではないか…と」
「私は大馬鹿者です、ルカだって寂しかったはずなのに…。だからルカがああなったのは私のせいなんだ」
ドミニクはまた顔を下げ足下を見つめた。
「「…」」
ロイとセシルは沈黙でドミニクの感情を受け止める。
「悪いのは自分だと分かってる。分かっているが、レニーが出てくるとお前のせいだって責められているようで苦しいんです…。きっとルカもレニーも私の事を恨んでる」
「私は、どうすればいいのかな…」
そう口にしたドミニクは感情が消え失せた光の無い瞳でどこかを見つめていた。このまま遠い場所へ行ってしまいそうな彼に、ロイは早まるなと言わんばかりに答えた。
「恨んでないです」
「…」
「ルカとレニー、二人ともあなたの事恨んでないです」
全てを悟っているかのように堂々と主張するロイに、ドミニクは蔑ろにされた気分になる。
「どうして言い切れるんですか?そんなの分からないでしょう」
しかし決して蔑ろにしたわけではなく、そう断言できる根拠があってロイは否定したのだ。
「分かります。だって"ルカ"と"レニー"、二人からあなたの事を聞いたから」
「…どういう事ですか?」
その発言の意味を知りたい、ドミニクはロイの話に耳を傾けた。
「ルカはこう言ってました」─────
───── ルカが庭の草刈りを手伝った時
「…よいしょっ!」
ルカはその小さな両手で雑草を掴むと、思い切り力を込めて上に引き抜いた。上手に根本からしっかり抜き取れている。
「お、うまいうまい!ルカ手伝ってくれてありがとな」
「うん!…あのさお兄ちゃん…」
「ん、どした?」
「おうち綺麗になったらお父さん喜んでくれるかな?」
ロイ達と出会ってからずっと元気だったルカは静かに勢いを無くし、しんみりと胸の内を明かした。
「ん?そりゃあ喜ぶと思うぞ?」
「ほんと?お父さん最近全然笑わなくなっちゃったから、おうち綺麗になったら嬉しくてまた笑ってくれるかなーって」
ルカはその場で屈み込むと、生い茂る雑草をぼんやりと見つめロイに本音を語った。
「そうか…ルカはお父さんに笑っててほしいんだな」
「うん!僕、お父さんの笑顔が見たいんだ〜!」
───── ロイが柔らかに微笑みかけると、ルカはとびきりの笑顔でそう答えた。
「ルカが…そんな事を…?」
ロイからルカの話を聞かされたドミニクは、自然と片目から涙が頬を伝っていた。
そんな中、次にセシルが話を切り出す。
「レニーも…ドミニクさんを心配していましたよ」
「え、どうしてレニーが…?」
ドミニクは疑念を抱きながらこぼれる涙を指で拭き取る。
───── セシルは和らいだ顔でレニーと何があったのかを話し始めた。
一緒に雑木の枝を切っている最中、レニーはぽつりと呟いた。
「…ねぇお兄ちゃん」
「ん?」
セシルは後方からレニーを覗き込む。
「お父さん大丈夫かな」
「…どういう事?」
セシルは一度枝切り鋏を置くと、レニーの目線に合わせしゃがみ込み話を聞いた。
「お父さんねずっと元気ないんだ…もしかして体調悪いのかも」
レニーは緩い軍手の中にある指先をいじりながら、父親の体の具合を気にかける。
「そうなんだ、心配だね…じゃああとでお父さんに聞いてみるのはどう?」
セシルが提案するも、レニーは気乗り薄なようだ。
「うん…でも…僕が話しかけたら嫌だと思う」
「え、どうして?」
「…お父さん、僕を見るといつも悲しい顔になるの。きっとお父さんは僕の事嫌いなんだぁ…」
「レニー…」
自分は父親から嫌われている、レニーは深い苦悩を告白した。そんな彼の心の影に触れたセシルは胸を強く締め付けられる。そしてレニーは生気を失った目から涙を流すと悲痛な考えを声に出した。
「やっぱり…僕、いない方がいいのかな?」
「そんな事ない!!」
「!」
レニーのその言葉にセシルは間髪入れず大声を上げる。穏健なセシルが声を張り上げた事に驚いたレニーは、目を丸くしてセシルの方を振り向いた。
「あ、びっくりさせちゃったよね、ごめんね…」
「う、ううん」
セシルが謝るとレニーは再度視線を落とす。伏し目なレニーを優しい眼差しで目に映すセシルはゆっくりと彼に話し掛けた。
「…レニー聞いて?」
「うん…」
「いない方がいい、なんて子は世界に一人もいないんだよ」
軍手を外すとレニーの両肩にそっと手を置いて柔らかな口調でセシルは告げる。セシルの言葉にレニーは重い顔を上げ二人は目を合わせた。
「…そうなの?」
「うん。それに僕は今日レニーに会えて良かったと思ってるよ。だからそんな悲しい事言わないで?」
セシルは零れ落ちるレニーの涙をやんわりと指で拭い取る。
「…うん、分かった」
「ありがとう」
レニーは少し考えてから返事をした。
「…お兄ちゃん、あの、あのね」
「なに?」
最後に一つ言いたい事があるレニーは勇気を奮い立たせセシルに呼び掛ける。セシルは温かい微笑みで受け止めた。
「…僕が言ったらお父さん嫌かもしれないけど」
「大丈夫。嫌じゃないよ」
─────「…僕お父さんを元気にしたい」
会話の内容を聞いたドミニクは激しく涙をこぼした。
「レニー…!!」
滝のように流れ出る涙を隠そうと両目を覆うが、それは勢いを増すばかりだった。
数分の時が経ち、ドミニクが冷静さを取り戻すとセシルは一言伝えた。
「その後もどうすればお父さんを元気にできるか、凄く考えてました」
「そうですか…私はレニーの事を腫れ物のように扱ってきたのに…彼はそれでも私を励まそうとしてくれてたんですね……やはりダメな父親だ」
一思いに泣き腫らし鼻を赤くさせたその顔をドミニクは再度俯かせる。
「あの、ドミニクさん」
そんな彼にロイが切り出した。
「俺たちはまだ全然子どもだし、仕事も始めたばかりの未熟者だし、正直多重人格の事もよくわかりません…だけど、あの二人が求めてる事は分かります」
固く拳を握りロイは思いを伝える。
「レニーもルカの大切な一部です」
セシルも曇りない真っ直ぐな瞳でドミニクに言う。
「受け入れてもらえませんか?ルカとレニー、そのままの二人を」
最後にロイはドミニクを純真に見つめながら、二人の意思を率直に述べた。
「…あぁ!そうだね…!」
そう言ってドミニクは止まらない涙を拭う事なく、泣きながら笑顔を向けた。
───── 一区切りつき、ロイとセシルは仕事道具をまとめ帰り支度を始めた。
「本日の依頼については以上となりますが…大丈夫でしたか…?」
「もちろん大丈夫だよ」
セシルが慎重を期して尋ねるが、ドミニクはあっさりと答え頬を緩ませた。
「ふぅ〜よかった〜」
思わずロイの本音が溢れる。
「ありがとう本当に」
「いえいえ!こちらこそです!あ!最後に一つだけ!」
「なにかな?」
ロイは思い出したかのようにドミニクに話を振ると、彼の前述の発言について言及した。
「子どもが親の為に何かしてあげたいって思っているならダメな親じゃないと思いますよ!」
ロイがとびきりの笑顔でそう伝えると、また瞳を潤ませながらドミニクも感謝と共に笑顔を返した。
「…ありがとう!」
───── ロイとセシル、ドミニクとルカ達は最後の挨拶をする為玄関先へ移動した。
「では本日はありがとうございました」
「失礼します」
ロイとセシルがお辞儀をすると、ドミニクは二人を呼び止めた。
「あ、私からも一ついいかな」
「「??」」
「ロイ君、セシル君。先ほど君らは自分たちの事を未熟な子どもだと言っていたけれど、私は一度も君たちをそんな風に思わなかったよ」
「もしまた依頼をするなら君たち二人に頼みたいと思ってる。だから自信を持ってくださいね」
「「…はいっ!」」
ロイとセシルは顔を見合わせ照れながら笑みを浮かべ明るく返事をした。
「お兄ちゃんたちバイバイ!」
「ルカ、元気でな!」
「うん!!」
健やかに手を振るルカに、ロイとセシルは優しく手を振り返す。
「あ、お兄ちゃん…僕頑張るね」
「うん、応援してるよレニー」
レニーはセシルにだけ聞こえるように近づいて、前向きな意思を示した。
「気をつけて帰ってください」
「ドミニクさんもお身体に気をつけて。ご自分を大事にしてください」
セシルがドミニクに労りの言葉を送ると、ロイもそれに同意した。
「そうそう!ってなかなか難しいと思うけど…休める時は休んでくださいね!」
「あぁそうするよ、二人とも本当にありがとう」
ドミニクはそう言うと右手を差し出し握手を二人に求めた。ロイとセシルは一人ずつ順々に握手を交わした。
「じゃあねー!」
園路を歩くロイとセシルに、ルカは手を振りながら元気良く別れの挨拶をした。ロイとセシルの二人も大きく手を振り返した。その様子を見守りながらドミニクはぽつりと呟く。
「自分を大事に…か」
やがてロイとセシルの姿が見えなくなると、ドミニクはしゃがみ込みルカに話を切り出した。
「ルカ」
「なあに?」
「…あの時酷いこと言ってごめん。お父さん、ルカに悲しい思いをさせて傷つけた、本当にごめん」
「…」
しっかりと目を合わせてドミニクはルカへ実直に謝罪をする。ルカは視線を逸らすと黙ったまま思いを巡らせている。
「でもこれだけは信じてほしい。ルカはお父さんの大切な宝物だ。それはずっとずっと変わらないからね」
そう言ってドミニクはルカの両手を握る。すると父の心情に同調するように、ルカも自身の気持ちを伝えた。
「…うん、僕ね、お父さん大好きだよ。だから大丈夫!」
「ありがとう…!お父さんも大好きだよ」
湧き出る涙が流れるのをくっと耐え、ドミニクは強くルカを抱きしめた。
ルカは抱きしめられたまま徐々に顔つきを変える。
「お父さん?」
「ん?あ、レニーかい?」
「うん…」
気弱な喋り方からレニーに代わった事を瞬時に理解したドミニクは、静かに抱擁を解き息子の顔を確認した。
「あ、あのねお父さん…」
レニーは俯きながらもじもじと恥ずかしそうにドミニクに呼び掛ける。
「なんだい?」
「これ、書いたの…」
勇気を振り絞り、レニーはハーフパンツのポケットの中から封筒を一通取り出してドミニクに両手で差し出した。
「…手紙?」
「うん…読んでくれる?」
「…もちろんだよ。ありがとう」
ドミニクはレニーから渡された手紙を大事に持ち、優しい顔でレニーの頭をそっと撫でたのであった。
───── 翌日の朝
ロイとセシルは朝食を食べていた。皿にはレタスのサラダとオムレツ、香ばしく焼かれたソーセージとトーストが盛り付けられ、隣にはスープが添えられている。朝の食卓には珍しくそこにペリーの姿もあった。しかしペリーは眠たいようで、朝食を食べようとはせずダイニングテーブルにでろんと上半身を項垂れていた。
そんな今日はダイニングにあるテレビが点けられている。キッチンがある反対側にブラウン管テレビが置かれていてダイニングチェアに座りながら観ることができる。今はニュース番組が流れているようだ。
「続いてのニュースです。首都コーゲンの市長が長期の休暇を要請した事を発表いたしました。こちらは今朝の会見の様子です」
映像が切り替わると、テレビには見知った顔の男性が映り始めた。
「この度暫くのお休みをいただく事となりました。市長のドミニクです」
それは昨日自分たちが依頼で訪れた家の主人、ドミニクだった。
「うぇ!?ドミニクさん!?」
ロイは思わず咥えていたトーストを口から離した。しかしトーストはロイの手の上を踊りながらすんでのところで落ちずに済んだ。セシルも勿論驚いていた。テレビでのドミニクの会見映像はまだ続いている。
「急な事で皆様にはご不安とご心配をお掛けしてしまい大変申し訳ありません。現在私自身、心身の疲労で仕事も家庭もままならない状態にあります。市民の皆様を大切にする為、家族を大切にする為、そして自分自身を大切にする為に、どうか少しだけ時間をください」
ドミニクは言い終えると深々とお辞儀をした。そしてすぐに映像は切り替わり、次のニュースへと変わってしまった。
「ドミニクさん、市長さんだったんだ…」
「いや、びっくりだぜ…」
セシルとロイが呆然とする中、ペリーは眠いながらに顔を上げ口を開いた。
「あれ〜知らなかったの〜?」
「あ、店長起きました?」
ロイが反応するがまだ寝足りないペリーは素っ頓狂な発言をする。
「…んーん。寝てる」
「起きてるやん」
すかさずロイはツッコミを入れた。
「店長知ってたんですか?ドミニクさんが市長だって」
セシルが率直に質問すると、ペリーは重そうに上半身を起き上がらせて頬杖をつき答えた。
「うん、まあね〜」
「えー教えてくれればよかったのにー」
「言ったと思ってたーアハハハー」
((絶対嘘だ…))
ペリーは見え透いた嘘をつき会話を流したが、その嘘をロイとセシルは見破っていた。
「でも知らなかったから良い仕事ができたんじゃない?ドミニクさんから電話があったけど、二人に凄く感謝してたよ」
ペリーに褒められた二人は顔を見合わせて照れくさそうに笑い合った。そんな二人を他所にペリーはガタッと立ち上がると一言。
「じゃあ…僕寝るね」
「え、また!?」
キレの良いロイのツッコミなど聞こえなかったかのように、「おやすみー」と言いながらペリーは奥の部屋へ消えて行った。
「店長寝すぎだろ…」
ロイもセシルも苦笑した。
「…でも良かったね、ドミニクさん少し休めるみたいで」
セシルは安堵したような和らいだ顔つきを見せると、両手でトーストを丁寧に持った。
「だよな!ルカとレニーもお父さんといられて嬉しいだろうなー」
ロイは自分の持つトーストを見つめながら発すると、少し間を置いて気持ちの良い笑顔を見せた。
「みんな元気になったらいいな!」
「うん!」
セシルも同じく晴れやかな笑顔を向け、二人は食事を続けた。




