ビートルズだけが真実だ
※今回は2019年12月8日、ジョン・レノンの命日に投稿した『ビートルズが好きだ!』を再編集をして、改めて『ビートルズの夢』に投稿しました。宜しくお願い致します。
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『ビートルズの夢』
先日発売された「アビー・ロード」。う~ん、参ったねぇ。またしても50年ぶりに1位を獲得してしまいました。ビートルズは凄すぎてどうしたらよいのやら。現役並みの活躍ぶりに戸惑ってしまう部分もあります。
ビートルズのラストアルバム「アビー・ロード」についてはまだまだ先になりますが書きます。
最新の情報では「アビー・ロード」を発売した直後にジョンとポールとジョージが次のアルバム制作の準備について話し合いをしたテープが発見されました。欠席したリンゴに聞かせるためにジョンがテープに録音したものだそうです。近々、テープの完全版の内容が公開されます。
「アビー・ロード」は本来、ラストアルバムになる予定ではなかったという話も昔から出てはいましたが、当時の状況を詳しく見てみると、既にビートルズは最悪な人間関係の最中にあったので、次のアルバムに発展する可能性は極めて低いというのが僕の個人的な意見です。解散間際のビートルズはあまりにも複雑過ぎて詳しく話をまとめるのに厳しい考察が必要になってくるのです。
ではでは今日は何を書こうかな。う~ん。
2019年12月8日。今日はジョン・レノンの命日です。昨年のジョンの命日にはエッセイの中で「ディア・ジョン」を書きましたね。
ジョンがいない世界は、ずっと暗いままだったね。ジョンの喪失の大きさは計り知れない結果を導きました。
もしジョンが生きていたら。
ジョンは「将来は日本に住みたいんだ。軽井沢で暮らしたい」という話をしていたので、ジョンが生きていたら日本の国籍を取って日本で暮らしていたとも思っています。日本で暮らしていたら良かったのにねぇ。本当に残念です。
1970年から79年の間、ジョンは頻繁に日本に来ていたからね。ジョンは日本が大好きだったから。
実はジョンは日本のホテルでデモ・テープを作った事もあるんですよ。曲は、知っているかな? 知らない人の方が多いかもね「フリー・アズ・ア・バード」という曲なんです。この曲についても、いずれ書きます。ジョンはこの曲を日本で何曲か録音したそうです。
ねっ、書きたい事がありすぎるのです(笑)
よーし。書きたいように自由奔放に書くぞ(笑)
僕はこのエッセイのなかで、「ビートルズ以外に聞く価値のある音楽はない」と言い張っていたし頻繁に言ってはいたけどね、少し心細かったんだ。
でもさ、昨日、驚くべき本を読んだんだよ。全く僕と同じ考えを持っているミュージシャンの話を目にしたからなんだよ!
今、真夜中だけど晴れやかな気持ちでいるからさ、その本の内容を詳しく紹介します。
ハリー・ニルソンの友達のジミー・ウェップの話です。ハリー・ニルソンは、ジョン・レノンと一緒にアルバムを作ったことがある素晴らしいミュージシャンです。ハリーはリンゴ・スターとも友達です。
・ジミー・ウェップ
「ハリーは第一にビートルズ主義だった。彼と話していると、よくこう言われたからね。『ほかの連中が音楽を作る理由がわからない。聞く価値のある音楽を作っているのはビートルズだけだ。そして二度とビートルズのようなバンドは現れないだろう』すると僕が『バカなことを言うな!』と言い返して、そこから議論がはじまる。ハリーは頑強に『いや、この世界にはビートルズしかいない。父と子と聖霊とビートルズだ。そして、僕はこのことをおまえの記憶に刻みつけたい。これこそが真実なんだ』と言い張った。だからジョン・レノンとレコードを作ったり、リンゴと友達になったりして、ある種、5人目のビートル的な存在になるとハリーの人生は完結した。それだけが彼の望みだったんだ」
ハリー・ニルソンはジョン・レノンと親友になっていて、凄く仲良しでしたが、ジョンが暗殺された後、ハリーは素晴らしいミュージシャンだったのに、ほとんどミュージシャンを辞めてしまって、銃規制の運動家になりました。銃の反対運動で世界を回り続けました。ハリーは亡くなる直前まで銃規制を訴え続けていました。全ては親友ジョンのために起こした行動です。(ハリー・ニルソン、安らかに)涙が出てきます。
僕もハリーの考えに賛成です。ビートルズは素晴らしいよ。僕とハリーの考えは完全に一致していて本当にビートルズだけだと思う。
人生は短い。偽物や偽善に振り回されて無益で無駄なことに縛られて騙されているなら、目を覚ました方が身のためだよ。本物を知る勇気を持つ必要があると気付くはずだ。本物を知ることが大事だと理解できるはずだよ。と、今、僕はこう考えています。
つづく
朝からありがとうございます!