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ストリート・オブ・ドリームス1

やあ。おはよう、こんにちは、今晩は。蒼井真之介です。久しぶりのビートルズの夢は1980年のジョン・レノンにスポットを当ててみます。よろしくね。




『ストリート・オブ・ドリームス1』


1980年9月29日月曜日、ジョン・レノンが5年間の沈黙を破り遂にカムバックするというニュースが全世界に流れた。アメリカの『ニューズウィーク』紙に始めてジョンの復帰を祝しての本格的なインタビューが掲載されたのだ。インタビュアーはバーバラ・グロスターク。最初の質問はこんな風に始まった。


バーバラ「ジョン、なぜ1975年に姿を消したんですか? 音楽を作るのに飽きたんですか? それとも音楽業界に飽きたんですか?」


ジョン「両方だと思う。22歳の時から契約に縛られてきて常に『しなければならない』状態にいた。金曜日までに100曲書かなければならない。土曜日までにシングルを出さなければならない。あれをしなければ、これをしなければならないっていう具合さ。僕は自由をとても大事にしていたからアーティストになった。学校とか会社には溶け込めないんだ。自由ってのは、変わり者であることのあらゆるマイナスに代わるプラスなんだ。だけど、突然、レコード会社、メディア、ファンに対する義務に縛りつけられてしまった。まったく自由なんかじゃなかったんだ。何度も何度もビートルズを辞めようと思ったよ」


バーバラ「でも、どうして5年も?」


ジョン「子供を授かるのに時間がかかったからね。ずっと息子のショーンの傍にいてやりたかった。最初の息子のジュリアンの成長は見守ってやれなかったからね。ジュリアンは17歳の男になって、電話でオートバイの話をしているよ。僕は読書家なんだ。主に歴史書や考古学、それに人類学の本を読むんだけど、欧米以外の文化では、子供が2歳になるまで母親の背に負われて育つところもある。ほとんどの学校は監獄みたいなものだ。子供の考えは広く開かれているのに、それを狭めて教室で競争させるなんてばかげている。最初はショーンを幼稚園に入れたが、息子を邪魔者扱いするのは変だと気付いてからは家に置いて育てた。5歳の息子を世話してあげないと10代になってからその倍の世話をしなければならなくなる。すごいツケだ」


ここでバーバラはポールの話をしだした。バーバラはポールの論理だと『ジョンは自分自身になるということ以外はすべてやり尽くしてしまったから、世捨て人になったんだ』という話をジョンにした。ジョンは明らかに気分を害し、ポールに反撃をした。


バーバラ「ポール・マッカートニーによれば、隠居生活はあなたの究極の夢だったとか」


ジョン「いったいどういう意味なんだ? 僕がなにをやっていたか、ポールは知らなかっただろう。ポールは僕の何を知っていたかは全然知らない。彼とちゃんと会話をしたのは、もう10年も前のことだからね。僕が彼のことをまったく知らないのと同じように、彼も僕のことなんかまったく知らないはずだ。ゼロだよ! 2年前だったかな、突然、彼が訪ねて来たんだよ。だから言ってやったよ。『おい、電話してから来てくれないか。赤ん坊の世話で1日大変でクタクタなんだ。よくものんきにギターなんか抱えて、いきなり人の家に訪ねて来れるもんだな! もう10代の頃じゃないんだ!』と言ってやったよ!」


バーバラ「今の典型的な1日は?」


ジョン「銀行とか交渉とか、外のやり取りはヨーコに任せてある。僕は主夫になったよ。立場が逆転したコメディアンみたいなものだ。(品良く上品ぶりながら)『あなた、きょうの仕事はどうだった? カクテルでもいかが? スリッパとシャツがまだクリーニングから戻ってきてないの』とか言ってね。世界中の主婦のみなさん。今では主婦の皆様のお気持ちがよく分かりますよ! 僕の1日はショーンの食事のことで頭がいっぱい。ショーンのためにパンを焼いたりするし『ショーンに食事制限しているかな?』とかね。家族へのケアには事欠かないよ」


バーバラ「アルバム作りを再開したのはなぜですか?」


ジョン「主夫のくせして、仕事がしたくなったからさ。10月9日で僕は40歳になる。同じ月日に生まれたショーンは5歳になる。そろそろショーンに『パパはほかのこともできるんだぞ』ってところを見せたくなったんだよ。ショーンは驚くだろう。この5年間は、まともにギターに触れたこともないんだから。去年のクリスマスに、近所の人がショーンに『イエロー・サブマリン』を教えてね、家に帰ってきたショーンがいきなり、『パパってビートルズだったの?』って聞くんだ。僕は『うん、まあね。そうだよ』と答えたよ」




◇◇◇◇◇◇◇◇◇




1980年7月31日木曜日。いよいよニューヨークに住むジョン・レノンのカムバックが現実的になっていく。ヨーコはレコード・プロデューサーのジャック・ダクラスに電話をかけた。『ジョンがやっとカムバックする気になったの。今回のレコードのことで、ジョンがあなたと話をしたいって』ヨーコは34丁目から水上機に乗り、レノン夫妻が所有するロングアイランドのグレン・コープの邸宅に来て欲しいと依頼。到着したジャックは『ジャックだけが見ること』と書かれた封筒をヨーコから手渡された。封筒の中には『そろそろスタジオに戻るよ。僕のアルバムのプロデュースを手掛けてみる気はないか? ここにいくつかの曲が入っている。全然進歩のない、くだらない曲だとは思うけれどもね! 君の意見を聞かせてほしい。  ジョン』と書いたジョンの手紙とジョン・レノンのデモテープが入っていた。デモテープにはジョンの最新作が22曲あった。


ジャック・ダクラスは自宅に戻ると震える指でラジカセの再生ボタンを押してジョンの新曲を聞いた。


「デモテープの曲をすべて聞いた。本当に素晴らしかった。鍋やフライパンを叩いてリズムを取っていたり、ジョンはピアノやアコースティック・ギターを弾きながら歌っていたよ。魅力的なデモテープだったよ。私はジョンに直ぐに電話した。『ジャック、デモテープはどうだった?』とジョンが言ったので『このデモテープに勝てるレコードを作れるかわからない』と僕が言ったらジョンは大爆笑していたよ」と後にジャック・ダクラスはインタビューで答えている。


ストリート・オブ・ドリームス1終


つづく




◇◇◇◇◇◇◇◇◇




1980年のジョン・レノンはエレガントでカッコいいんだ。蒼井は1974年と1980年のジョン・レノンが1番好きなんだよね。大人の色気やカッコよさが凝縮されているからね。


ジョンは息子のショーンに自分のカッコいいところを見せたくて復帰、ショーンにとって自慢のパパであってほしいと願って復帰したんだとは思うけれど、ジョンに自身に新しいメッセージや音楽的な感性が生まれてきたからなんだと思うね。でもさ、息子にカッコいいところを見せたくてというのがジョンらしいよね。


ではまたね!



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