自分のために生きろ
ジョンが書いたナウアンドゼンはポールやジョージやリンゴのためにジョンが「I Miss You」と歌ったんではないんだよ。間違いなくね。絶対に間違いなくね。ポールは自分のためにジョンが歌ってくれたと思いたいはずだけどもね、ポールよ、残念ながら君じゃない。
じゃあ誰? 答えはジョンの母親ジュリア。と、実は、あともう1人います。その2人のためにジョンは「I Miss You」と心を込めて呼び掛けるように歌ったんだよ。もう1人は誰? それはね、まだ秘密です。秘密のアッコちゃんで、今はまだ口にチャックします。チャック・ウィルソンします。でも近いうちにまとめて話すよ。今はそこを少しずつ執筆中です。
ジョンが亡くなる当日と亡くなる2日前に受けたインタビューの中で、ジョンは元ビートルズのメンバーに対してかなり厳しい言葉を投げています。
ジョンは誰よりも早くビートルズを辞めたがっていたし、1966年にはビートルズを辞める事を考えていたし、ビートルズを辞められなかった理由も語ってはいますが、ジョンの言葉を聞くとね、ジョンは相当、ビートルズにいることに疲れ果てていたんだと思います。
ジョンは1980年の秋頃に「いつビートルズは再結成するの?」とファンから聞かれる度に「じゃあ君は、いつ学校に戻るんだい?」、「再結成? 知らないね。たぶん、明日かな。明日じゃない?」と適当に、あしらうように、かわすように返していました。ジョンは再びロマンチックな幻想を与えるために自分を殺して客寄せパンダになりきってバカみたいにヘラヘラと笑顔を振り撒いて朝まで汗だくになりながら血の涙を流してビートルズとしての仮面を被って踊り続けたくはないと思っていたはずです。だからこそ、「俺はビートルズを信じない」と解散直後にGODの中で叫んだんだと思うね。
ジョンはいつも自分の考えを変えていくから、どこまでが本当で本音が分からない部分もありますが、ビートルズに対しての思いは過去のものになっていたのも事実ではあるので、ある種の客観的な見解も出来るようにはなっていたとは思うよ。
ただし、もしジョンが生きていたらビートルズの再結成はあってポールと一緒に曲を書いたか? と問われたら、僕としては断じてNOと言わざるおえないね。漫画家のかわぐちかいじさんも「もしジョンが生きていたら、ポールとは一緒にはやっていないでしょうね。二人とも全くビジョンが違うから」と言っています。実に鋭い指摘です。
まあね、今回は短いけれど。失礼するよ。最近の僕は、絵を描いたり、絵を見せたり、小説を執筆したり、詩を書いたり、詩を朗読したり、星を見たり、夕陽を見たり、虹を見つけたり、雪虫に絡まれたり、木枯らしに吹かれて秋風にさらされて枯れた道を歩いたり、冬の空を見つけたりしていてね、珍しく忙しく過ごせてきていてね。あははは。
皆も自分のやりたいことをやろうぜ。君の人生は君のものだよ。僕の人生は僕のものさ。お互いに自由に生きようぜ。愛と自由が大事なんだよ。愛と自由があればいいんだよ。
つづく
ありがとうございます。