魔導書 2
時間が過ぎ去るのが恐ろしく遅く感じる。
ペラリ、と沈黙の中ページが捲れる音だけが響いていく。いっそのことデュークがふざけてくれたらいいのに、なんて思ってしまうけれど彼も真面目なまま。
シアンとわたしは広間の中央で立っているだけだ。
「今回も素晴らしい出来だ」
皇帝陛下が沈黙を破ってくれて正直安堵してしまった。皇后陛下も誉めてくれていて、わたしはほっと胸を撫で下ろす。
礼を言うシアンと共に一礼する。
「ではこちらの魔導書は滞りなく発行するように」
「承知いたしました」
デュークの凛とした声が響いた。サインが入った契約書を受け取る。やっと帰れそうだ。
シアンをちらりと窺えば、ようやく帰れそうだというのになぜか嫌そうな顔をしていた。眉を顰めたまま「退出の許可を」と口を開く。
「シアンくん、元気にしてたかい!? そちらが噂のアイリス嬢だね!?」
「あら、あなたが! 会いたかったのよー!?」
ガラリと雰囲気が変わった皇帝陛下と皇后陛下に目を点にする。どうやらわたしの話題がなされていて、すごい盛り上がってるってことだけは分かった。
「え、えっと……?」
さすがに同一人物ですか? と言う言葉は何とか押し留めた。いくら目の前にいる夫婦がその辺にいそうな夫婦に見えるとはいっても、だ。
「父さん、母さん落ち着いて。まったく、もうちょい我慢してくれよ」
「だって、正直堅苦しいし」
「楽しくやりましょうよ」
皇帝陛下が駄々をこね、皇后陛下は茶目っ気を発動しすぎている。あのデュークが呆れて制止しているなんてよっぽどだ。
「いつもこうなんです。オンオフの切り替えが激しすぎるといいますか……」
「もはやオンオフどころじゃない気がするよ?」
シアンが嫌そうにしていたのはこのせいだったのか。わちゃわちゃと目の前で繰り広げられるごく普通の一般家庭のようなやり取りにわたしは目をぱちくりするしかない。
「それで、アイリス嬢。我が国はどうだい? 楽しめてる?」
「は、はい! それはもちろん! 何から何まで感謝しております!」
「うふふ。シアンご自慢の可愛くて優秀な令嬢、楽しみにしていたの」
買い被りすぎでは、と言いかけたけれど口角を上げるにとどめた。よくわからないけれどすごく気に入られているみたい。
「魔塔にも教育機関を取り入れてみようかと思っていたところなんだよ。アイリス嬢が連れてきた子供たちにもう何人か加えて、小規模な学校のようなことをやってもらいたいんだけれどね。その役目をアイリス嬢に一任してもいいだろうか」
「はい! 精一杯やらせていただきます」
「デュークにも任せてあるから、2人で頑張って」
朗らかな口調で話す皇帝陛下だけれど、その目はどこか鋭くて探っているようにも思える。おそらく他国から婚約破棄されてやってきたわたしのことをまだ疑っているのだろう。どんなにフランクでもやはり皇帝なのだと身震いする。
今度こそ礼をして退出しようとすると皇后陛下に「また今度お茶をしましょうね」と声をかけられてしまった。その言葉はティナにも向けられていたようで、ティナは笑顔で会釈していた。
皇帝陛下も皇后陛下もなんだか真意が読めないひとだ。
魔塔へと戻ってきたわたしたちは休憩がてらお茶をしていた。
シアンは戻ってきてからもなんだかむすっとしていて、紅茶を飲みながらちらちらと窺っている。
「……確実に嫌がらせですよ、嫌になります」
「え?」
シアンは珍しくティーカップに角砂糖を落とした。それも2つも。ティースプーンでやたらとかき混ぜている様子からも彼の不機嫌さが伝わってくる。
「僕とアイリスには婚約の話が上がっています」
「こ、婚約!?」
初耳だし、どうして。確かにシアンは伯爵で魔塔主だというのに婚約者がいない。だから婚約者を作らなければならないというのはよく理解できるけれど。家柄もなにもかも釣り合わないわたしでなくてもいいはずだ。
「アイリスが僕の……妻、としてふさわしいか確かめているのもあるとは思いますが。それ以上に僕が試されているのだと思いますね」
はあ、と大きすぎるため息をつく。ため息をつきたくなる気持ちはよく分かる。彼はわたしのことをかなり好ましいと思ってくれているとは思う。でもそれは先生や親に向けるようなものに近いだろう。急にラブに転換することは難しいはずだ。それに男の子は年下が好きだと聞くし。
けれどだからと言って任された仕事を放り投げるなんてこと、したくない。
一体、どうしたら――
「シアン様、少々報告したいことが」
ドアの外側から聞こえてきた声に思考は中断された。シアンが許可をすると少々困った様子で職員が口を開いた。
「魔塔の門前に変な女性がいるのですが……」
「変な女性? ……そいつはどんな容姿をしている」
「茶髪だったような。ああ、ドレスを着ていましたから平民ではないはずです」
眉間に皺が寄っていくシアンに戸惑うように職員は特徴を列挙していく。しかしながらあまり細かいことまで思い出せないようで、少しまごついている。
思い当たる節しかない。間違いなく、ヒロインのウェンディだ。




