第八話 Purple memory
ついに、紫のメモリーカードの用途が明かされる。
『お話の途中ですみませんが、ちょっとだけお時間を頂けますか?』
蒼衣さんが自白を始めた時、何故かタロちゃんが、無表情でストップを掛けた。
話の腰を折られた蒼衣さんが不服そうに、タロちゃんを見る。
「何よ?」
『穂香さん、紫色のメモリーカードを僕に下さい』
「へ? あ、うん、良いけど……」
タロちゃんは蒼衣さんを無視し、淡々とした口調で私に手のひらを差し出した。
タロちゃんから、メモリーカードを要求されたのは初めてだ。
これも、バージョンアップされた新機能か?
私は動揺しつつも、メモリーカードケースから紫のメモリーカードを取り出して、タロちゃんの手に乗せる。
「はい」
『ありがとうございます』
にこりともせずにタロちゃんは、紫色のメモリーカードを受け取った。
そして、謎にカッコイイポーズを取ると、自分のバックルにメモリーカードを挿す。
『変身!』
いや、アンタ、「変身」って、特撮ヒーローじゃないんだから。
変わるのは、捜査内容と性格だけで、「変身」はしないでしょ。
それにしても、タロちゃんが自分でメモリーカードを挿すところは、初めて見たな。
自分で挿させると、無駄にイケメンボイスで「変身」って言うのか。
ちょっと面白いから、今後は自分でメモリーカードを挿させよう。
蒼衣さんは、訳が分からないといった顔付きで、私達のやり取りを見ていた。
私と鈴木准教授とロボット工学研究室の研究員達以外には、何が何やら分からないだろう。
「変身」って言うのは、私も今初めて知ったけど。
鈴木准教授いわく、「挿してみれば分かる」という紫のメモリーカード。
説明書には「取調用」と、書いてあった。
恐らくタロちゃんは、蒼衣さんを被疑者(ひぎしゃ=犯罪の疑いがある人)と判断して、紫のメモリーカードを要求したんだ。
さて、紫太郎は、どんな活躍と性格を見せてくれるのか楽しみだ。
紫太郎は凛々しい顔付きになり、蒼衣さんに向き直る。
『すみません、お待たせしました。話の続きを、お願いします』
「う、うん……」
蒼衣さんは、腑に落ちない顔をしながらも、話し始める。
「あのさ、Twitterに『茨蒼衣bot』ってのがあるんだけど、知ってる?」
『ええ、もちろん』
「ボットって、何?」
私が言うと、蒼衣さんは「そんなことも知らないの?」と、呆れ顔になった。
私もTwitterアカウントを持ってはいるけれど、完全に見る専(何も発信しない閲覧するだけの人)。
アイコンもヘッダーも設定してないし、自己紹介欄にも何も書いていない。
好きな人をフォローしているだけで、Twitter自体には、あまり詳しくない。
そういえば、たまに「〇〇bot」ってのは見た気がする。
分からないから、スルーしてたけど。
すると、紫太郎がこちらを向いて教えてくれる。
『簡単に言うと、自動的にTweetするロボットのことです』
「へぇ、そんなのがあるんだ?」
「そ。事務所が勝手に作った、茨蒼衣のbot。定期的に、『茨蒼衣っぽい発言』を繰り返すだけのアカウントなんだけどね」
蒼衣さんが語り出すと、紫太郎は蒼衣さんに向き直り、真剣な表情で話を促す。
『そのbotが、どうかしたんですか?』
「いつもbotに噛みついてくる人達が一定数いるんだけど、『bot相手に、何してんだか』って、バカにしてたのね」
『ふむ……それで、その人達が何かして来たんですか?』
「最初はそんなに気にしてなかったんだけど、『茨蒼衣は、アイドルを辞めろ』ってコメントが増えてきたの」
「それは、お気の毒に」
いくら嫌いなアイドル業でも、誹謗中傷されたら傷付くだろう。
同情しかけたけど、蒼衣さんは違ったらしい。
「この人達を、利用しない手はないって思ったわ。だって、あたし、アイドル辞めたいんだもん」
あ、そっち行っちゃいましたか。
蒼衣さんは、なかなか神経が図太い(しんけいがずぶとい=ちょっとやそっとでは動揺しない)タイプらしい。
紫太郎は感心した風で、何度も頷きながら話を促す。
『利害が一致したんですね。それで、あなたは、何か行動を起こしましたか?』
「ちょっとしたイタズラ心が、うずいてね。新しくアカウント作って、『そんなに嫌いなら、事務所に爆弾でも送り付けて、「アイドル活動を辞めないと殺す」くらいの脅迫でもしたら?』ってTweetしたの」
その話を受けて、紫太郎はジャケットの内ポケットからスマホを取り出した。
え? スマホまで持ってたの?
紫太郎はスマホを手早く操作して、蒼衣さんに画面を見せつける。
『このTweetですね?』
「そう、それ! それからよ、脅迫状や不審物、爆弾が事務所に送り付けられるようになったのは」
「どれ? 私にも見せてくれる?」
『どうぞ』
紫太郎が差し出したスマホを受け取り、画面を見る。
そこには、「茨蒼衣bot」なるTwitterが映し出されていた。
確かに、さっき蒼衣さんが言った言葉がTweetされていた。
そのTweetは、たくさんの「リツイート」と「いいね」と「返信」が付き、バズ(buzzる=爆速で話題になる)っていた。
『掲示板の「アンチスレ」も、爆発物の話題で盛り上がっています』
「うん、あたしもそれ見た。アンチもファンの一部ってのも、分かる気がするわ。だって、『嫌い嫌い』言いながら、あたしのことずっと追ってんの。そこいらのファンより詳しいくらい」
『心理学的観点から言えば、「好き」も「嫌い」も、相手に関心があるからこそ、生まれる感情なんです。だから、「嫌い嫌い」言いながら追ってしまう。本当に無関心だったら、見ませんからね』
「なぁんだ。じゃあ、アンチってただのツンデレなんじゃん」
蒼衣さんは、やれやれと言った呆れ顔になった。
「アンチが多いのは、人気の証拠」とも言うしね。
紫太郎はひとつ頷き、現状から推測する。
『未完成の爆発物は、アンチからの贈り物でしょう。手口が毎回違ったのは、「贈り手が別人だったから」でしょうね』
ここまでの話を聞いて、真相が見えた気がした。
「そうか。本当に命を狙うつもりなら、本物を送り付けるはずだよね。爆発物は、アンチ達のイタズラで、爆発させる気なんて最初からなかった。だから、どれも未完成だったんだ」
私はそこまで言って、気付く。
「でも、『本物』が届いたよね」
『茨蒼衣を、本気で殺したがっている「本物」がいるってことです』
紫太郎が、ゾッとするような冷たい声色で言った。
蒼衣さんはこちらに身を乗り出してきて、必死に言い募る。
「だって、こんなことになるなんて思わないじゃん! ちょっとイタズラのつもりでTweetしたらバズっちゃって、『これで、アイドル辞められるかも』とは思ったけど、本当に爆弾が送られてくるなんてっ!」
『世の中には、イタズラや冗談を本気にする人もいるんですよ』
「でも、違うじゃん! 本当に命狙われるなんて、思わなかったもんっ!」
蒼衣さんは喚き散らした後、急に落ち込んで、助けを求めるような目で聞いてくる。
「これって、何か罪になるの?」
「う~ん、そうですね……煽動罪(せんどうざい=違法行為をするように、あおる罪)になりますかね」
「やっぱ、罪になるのっ? あたし、捕まっちゃうっ?」
私が答えると、蒼衣さんが強いショックを受けて、今にも泣きそうな顔になった。
しかし紫太郎が、それを否定する。
『いえ、「煽動罪」には当たりません』
「ほ、ホントッ?」
希望を見出したように、蒼衣さんは私から紫太郎へ視線を移す。
紫太郎は、先程のTweetを指差しながら、冷徹(れいてつ=感情に動かされず、物事を冷静に鋭く見通す)に説明する。
『インフルエンサー(influencer=世間に対して大きな影響力を持つ人)である「茨蒼衣」名義のアカウントでTweetしたなら、まだしも。新しく作ったばかりの無名アカウントで、返信欄でたった一回Tweetしたものが、たまたまバズった。これだけでは、「煽動」には当たらないと思います』
「ほ……本当?」
『煽動発言を何度も繰り返し発信しているアカウントは、他にもいくらでもいます。また、掲示板でも爆発物の作成方法を教唆(きょうさ=ある事を起こすよう教え、そそのかすこと)しているスレ民(スレッド住民=書き込みに参加している人)も多数見受けられます。あまりにも目に余るような場合は、罪になるでしょうが。この程度で罪に問われるようでは、刑務所がいくつあっても足りませんよ』
「良かったぁ……」
紫太郎の説明を聞いて、蒼衣さんは安堵の深いため息を吐いた。
しかし、紫太郎は起こりうる危険な事態に対し、警戒を怠らない。
『検挙(けんきょ=被疑者を特定し捜査する)すべきは、「本物」を送り付けてきた真犯人です』
この際、「未完成の爆発物もどき」を、送り付けてきたアンチ達は良いとして。
本物の爆発物と脅迫状を送り付けてきた容疑者は、確保しなければならない。
爆発物処理班の話によると、爆発物は「圧力鍋爆弾」だったそうだ。
「圧力鍋爆弾」は、比較的容易に製造が可能と言われている。
その上、殺傷力が非常に高く、世界各地で「圧力鍋爆弾」を用いた爆破テロ事件が起きている。
再現実験で、マイクロバスの下に設置して爆破したところ、バスは跡形もなく大破。
地面には、直径約二メートル、深さ約一メートルの穴が開いたという。
今回は、鑑識官が発見出来たから良かったものの、気付かずに開けていたら、どれほどの惨劇になっていたことか。
「圧力鍋爆弾」を送り付けてきた、容疑者の手がかりは今のところない。
どうしたら、容疑者を突き止めることが出来るのだろうか。
容疑者の脅迫内容はシンプルで分かりやすく、「茨蒼衣は、アイドルを辞めろ」の一点のみ。
ここでようやく、蒼衣さんの意思を確認する。
「蒼衣さんは、今後、アイドル活動はどうされますか?」
「あたし、もともとアイドルがやりたかった訳じゃないし、この機にアイドルを引退しようと思うの」
「そうですか。アイドルが、歌手や俳優業へ転向することは、別に珍しいことじゃありませんしね。本格的に歌手を目指されても、良いんじゃないでしょうか」
「もう、あの露出が激しい派手な衣装を着て、アイドルソングを歌わなくて良いって思うと、せいせいするわ」
蒼衣さんは今も命を狙われているというのに、吹っ切れたような顔をしていた。
「明日も、学校へは通われますか?」
「行っても良いの?」
「容疑者が確保されて、身の安全が確認されるまでは、警護を続けなければなりませんが、それでも良ければ」
「刑事さんが、行っても良いって言うなら行きたい。アイドル辞めるんだし、ちゃんと勉強して大学行くつもりだから」
「ですよね。私は、蒼衣さんの意思を尊重します。これからも蒼衣さんの身は、私達が守ります」
私が笑顔を作って敬礼してみせると、蒼衣さんもおどけた様子で敬礼を返してくる。
「アンタだけだよ、『アイドル辞めても良い』って、言ってくれたの。事務所の社長もマネージャーも、『アイドル辞めるな』って、そればっかりだし。友達もみんな『蒼衣蒼衣』って言うから、誰にも相談出来なくて……ずっとひとりで悩んでた。あたしの話をちゃんと聞いてくれて、ありがとう」
蒼衣さんが、初めて笑顔を見せてくれた。
それは、アイドルの営業スマイルじゃない、本物の嬉しそうな笑顔だった。
「ねぇ、刑事さん、ずっと聞いてなかったけど、アンタ、名前はなんて言うの?」
「え? 名前? ああ、そういえば、自己紹介してませんでしたね。今更ですけど、私の名前は田中穂香です」
「じゃあ、『穂香ちゃん』って呼んでも良い? あたし、本名は香織って言うの。これからは『蒼衣さん』じゃなくて、『香織ちゃん』って呼んでくれると嬉しいな」
「では、これからもよろしくお願いしますね、香織ちゃん」
「うん、よろしくね、穂香ちゃん」
蒼衣さん、いや、香織ちゃんと私は、顔を見合わせて笑った。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、誠に申し訳ございません。