第五話 Trick or Treat
ハロウィンの朝、ネタの亡霊が降りてきました。
都内某所にある高校の外周には、複数人の「行先地警護員」が配置されている。
私とタロちゃんも、近場の駐車場をお借りして、張り込みをしている。
芸能事務所で聞き込みを行なった捜査員によると、今のところ蒼衣さん本人への被害は報告されていないという。
うちの署にも蒼衣さんのファンが多く、捜査への気合の入りようが違う。
多くの署員から「茨蒼衣の捜査に関われるなんて、いいなぁ」と、羨ましがられている。
上からの指示で、蒼衣さんと接触を許されているのは、事務所の許可を得た私とタロちゃんのみ。
芸能関係者以外で、蒼衣さんの正体を知っているのも、私達だけ。
他言無用(たごんむよう=絶対に、人に話しちゃいけない秘密)の極秘任務。
警備員達も、蒼衣さんの真の姿を知らされず、ただ「茨蒼衣が通っている高校を警備せよ」とだけ、命じられているそうだ。
蒼衣さんファンの警備員は、可哀想。
蒼衣さんはアイドル業より学業を優先しているとかで、真面目に学校へ通っているらしい。
学校や友達には、蒼衣さんがアイドルであることは秘密にしているそうだ。
アイドル業があるので、部活動はしていない。
学校や友達には、「放課後に、バイトしてる」と言い訳しているとか。
その為、蒼衣さんが学校を出てくるのは、放課後となる。
先日、新しく渡された追加説明書によると、システムアップデートにより「充電中もメモリーカードの使用可能」となったらしい。
ただし、一枚だけ例外があって「赤のメモリーカード」だけは、完全充電後じゃないと使えない。
しかも、稼働時間は、たったの十分。
七時間充電して十分しか使えないって、非効率(ひこうりつ=時間やエネルギーと照らし合わせると、見合わない)すぎない?
一日最大三回までしか、使えないじゃん。
犯人確保用だから、元々使う機会はそんなにないけど。
さて、ここで使うメモリーカードは、黄色にすべきか、オレンジにすべきか。
「張り込み用」と「要人警護用」だから、今回はどっちでもアリな気がする。
個人的に、ツンケン(言動がトゲトゲしい)している黄太郎は正直苦手。
かといって、ダンディな橙太郎が好きかと言われると「悪くはないけど、ちょっと……」って感じ。
でもまぁ、今回は要人警護が任務だし、オレンジのメモリーカードが適任だよね。
などと、私情を挟みつつ、メモリーカードを選び出した。
タロちゃんの電源を入れ、オレンジのメモリーカードを挿した。
カッと、橙太郎の目が見開かれて起き上がると、例によってドヤ顔と低音イケメンボイスで挨拶してくる。
『おはようございます、穂香』
「お、おはよう……ございます」
橙太郎の呼び捨てには、まだ慣れない。
橙太郎は突然、上着を脱ぎ出し、脱いだ上着を私に差し出してくる。
『はい、これ、どうぞ』
「え? なんで?」
意図が分からず、目をパチクリする。
冬間近で寒くなって来たけど、車内は暖房を付けているし、厚着をして防寒もしている。
『昨日、徹夜の張り込みで全然寝てないでしょう。私が代わりに茨蒼衣を見張りますし、他の警備員もいます。穂香は、ゆっくりと休息を取って下さい』
橙太郎の思わぬ気遣いに、感動した。
「ありがとう、タロちゃん。じゃあ、遠慮なく休ませてもらうね」
『はい、おやすみなさい』
橙太郎の上着を布団代わりにして、シートを倒して横になると、橙太郎が優しい手付きで頭を撫でてくれた。
子供の頃は、良いことをしたら、頭を撫でて褒めてもらえた。
大きな手で頭を撫でてもらえることが、めちゃくちゃ嬉しかった。
いつから、頭を撫でてもらえなくなったんだろう。
撫でてもらえなくなったのは、私が大人になった証拠かもしれない。
でも、大人になった今でも、頭を撫でて褒めて欲しいと思う時がある。
私って、甘えん坊なのかなぁ。
そんなことを考えながら、うつらうつらと眠りに落ちていった。
「キーンコーンカーンコーン」という、聞きなれたチャイムの音。
その音を耳にして、反射的に飛び起きる。
「すみません、先生、寝てましたっ! ……あれ?」
キョロキョロと辺りを見回して、状況を把握する。
そうだった、見張り中に仮眠を摂ったんだ。
学校という思い出深い場所だからか、高校時代の夢を見ていた。
私も五年前は、高校に通っていた。
私はどこにでもにいるような、ごく普通の女子高生だった。
授業を受けて、テスト勉強をして、休み時間にクラスメイトと遊んで、放課後は部活動に励む、ありふれた日常があった。
シートを起こすと、橙太郎が笑い掛けてくる。
『おはようございます、良く眠れましたか?』
「あ、あぁ、うん、お蔭で眠れたけど。今、何時?」
『十二時三分三十秒をお知らせします、一、二、三……』
時間を聞くと、橙太郎は時報のように正確に答えた。
「え? もう、そんな時間っ? 私、めっちゃ寝てたんだ。蒼衣さんは、どうなった?」
『先程のチャイムで、高校は昼休みに入ったようです。茨蒼衣が学校に入ってから、異常は見られません』
「そうなんだ? 良かった。あ、服貸してくれて、ありがとう」
『どういたしまして』
私が寝ている間に、何も起こらなくて良かった。
上着を返すと、橙太郎は素早く着直した。
見れば、橙太郎の充電が終わっていたので、コードを外した。
電力を使い切ったバッテリー(鉛蓄電池=なまりちくでんち)って、どうしたら良いんだろう?
このバッテリーって、再充電出来るのかな?
あとで、ロボット工学研究室の吉田さんに電話して聞いてみよう。
良く眠ったら、お腹が空いた。
私は警察無線機を手に取り、他の警備員に連絡を取る。
「こちら、刑事課の田中。異常はありません」
『こちらも、異常なし』
「ちょっとお伺いしたいんですけど、そちらは、昼休憩はどうされますか?」
『こちらは、交代制で休憩します。ちょうどこれから、次の警備員に引き継ぎして、休憩に入るところです』
「そうですか、分かりました。では、私も後ほど、引き継ぎをお願いして昼休憩もらいますね」
どうやらみんなは、交代で休憩を摂るらしい。
学校で決められた昼休み中は、蒼衣さんが外へ出る可能性がある。
この学校では、昼休み中の外出は可能なのだろうか。
学校によっては、教員から許可を得ないと外出出来ないらしいけど。
私は「身辺警護員」なので、蒼衣さんが外出した場合、付いていかなければならない。
一応、昼休みが終わるまでは、このまま待機しよう。
お腹をグーグー鳴らしながら、昼休みが終わるチャイムが鳴るのを、今か今かと待ち続けた。
『お腹、鳴ってますよ』
「自分のお腹なんだから、言われなくても分かってるよ」
お腹が鳴る度に、橙太郎にニヤニヤ笑われて、恥ずかしかった。
昼休み終了のチャイムを耳にした直後に、橙太郎からメモリーカードを抜き取る。
「よし! 鳴ったっ! やっと、ご飯食べられるっ! 行くよ、タロちゃんっ!」
『はい、穂香さん』
アクセルを踏み込み、即行で自分のアパートへ戻った。
アパート前に車を止め、キーロックしてタロちゃんを車に残す。
家に戻ると、すぐにシャワーを浴び、適当に着替えて、パパッとメイク。
どうせ、マスクで見えなくなっちゃうんだから、目元以外のメイクはしなくて良いよね。
ひとり暮らし用の小型冷蔵庫には、レンジでチンしてすぐ食べられる冷凍食品くらいしか入っていない。
食事は、ほとんど中食(なかしょく=お弁当や総菜を買って、家に持ち帰って食べる)か、外食で済ませている。
自炊しないから、台所は「全然使ってません感」が全開。
家に食べたい物がなかったので、近場のスーパーマーケットで、お弁当とお茶とおやつを買った。
車で学校近くの駐車場まで戻って来てから、車内でお弁当を食べた。
「食」という字は、「人が良くなる」と書く。
元気でいる為には、ちゃんとしっかり食べないとね。
睡眠も食事もたっぷり摂れて、私はすっかり元気になった。
これで、午後も頑張れるぞ。
その後も、橙太郎と一緒に見張りを続けたが何も起こらず、平穏無事に放課後を迎えた。
やはり容疑者は、蒼衣さんの正体を知らないのかもしれない。
蒼衣さんの今日のスケジュールは、歌番組とバラエティ番組とラジオ番組の出演するそうだ。
蒼衣さんは控室で、メイクさんと衣装さんの力によって、麗しのセクシー女王様アイドルへと、変貌を遂げた。
本当に同一人物か? と、疑いたくなるレベルの大変身。
女王様に変身した蒼衣さんは、別人のような堂々とした立ち振る舞いを見せる。
歌番組では、セクシーアイドルとして美しく舞い踊り、高らかに歌い上げる姿は、他を圧倒した。
バラエティ番組では、女王様キャラを確立していて、芸人達がヘコヘコ媚びへつらうのが、鉄板ネタらしかった。
私はあまりテレビを観ないから、芸人さんは誰が誰だか知らなかったけど、そのやり取りは噴き出しちゃうくらい面白かった。
ソロラジオでは、「王国民」と呼ばれる視聴者のお便りに、女王様が上から目線で応える設定になっていた。
どれも人気番組らしく、蒼衣さんの人気の高さが分かる。
私と橙太郎は、スタジオの端っこやコントロール・ルームの隅っこで、蒼衣さんの華麗なる活躍を見届けた。
特に何事も起こらず、全ての収録が無事終了。
純粋に、蒼衣さんの活躍を楽しんでしまった。
こんな楽しい仕事なら、ずっと蒼衣さんの警護をしていたいと思うぐらい、充実した一日だった。
「行先地警護員」が見張っている芸能事務所へ行くと、複数人の鑑識官がいた。
事務所には、毎日山のように「茨蒼衣宛」のファンレターやプレゼントが届くそうだ。
「刑事部鑑識課」の鑑識官が全部、その中身を検めている。
「ありました!」
金属探知機で、プレゼントを調べていた鑑識官のひとりが、声を上げた。
橙太郎がすぐに反応を示し、蒼衣さんを庇うように立ちはだかる。
何が入っていたのか気になったけど、見せてはもらえなかった。
鑑識官に話を聞くと、今までも立て続けに爆発物らしきものが見つかっているらしい。
どれも素人の手作りと分かる、不格好な未完成品ばかり。
しかし、だんだんと造りが本格的になってきているそうだ。
近いうちに、本物の爆発物が送られてくるかもしれない。
容疑者は、いったい、何を考えているのだろう。
何故、不完全な爆発物を送り続けているのか。
容疑者は単純に、爆発物作りが下手なだけなのか。
危害を与える気は一切なく、茨蒼衣を脅迫したいだけなのか。
ただの愉快犯(ゆかいはん=世間を騒がせて、その反響を楽しむことを目的とする犯罪)なのか。
それとも、何か別の意図があるのか。
贈り物には、メッセージのようなものは何もない。
箱の中に、爆発物もどきがひとつ、入っているだけだ。
容疑者の犯行動機が、今ひとつ見えてこない。
鑑識官達は「まるで、子供のイタズラだ」と、しきりに首を傾げていた。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、誠に申し訳ございません。