第四話 Reason
「Reason」の意味は、「理由」「原因」「理性」
二階にある蒼衣さんの部屋を見上げる位置に、私とタロちゃんが乗った愛車が停まっている。
ここなら、玄関もしっかり見張れるし、不審者が来ようとも、すぐさま対応出来るってもんよ。
「タロちゃん、ちょっと失礼」
ひと言断って、タロちゃんに張り込み用の黄色いメモリーカードに挿し込む。
すると、タロちゃんの顔が一変して引き締まり、蒼衣さんの部屋に目を向けた。
私はヘッドホンを着けた耳に、意識を集中させる。
「黄太郎は、蒼衣さんの家を見張ってて。私は、盗聴器を聞いてるから」
『JK(女子高生)を盗聴するなんて、人として最低ですね』
こちらをチラリとも見ないで、タロちゃんが軽蔑するように吐き捨てた。
心外なセリフを投げ付けられて、私はムッとして言い返す。
「違うって! これは、鈴木准教授がやれって言ったんだよっ? 張り込みの時に、絶対役立つってっ!」
『仮にも刑事が、盗聴なんて恥ずかしいと思わないんですか?』
「違うって言ってるでしょっ! それに『仮にも』って何っ? 仮にもってっ! 私は、正真正銘警察官なんだけどっ?」
いくら訂正して怒鳴り付けても、黄太郎は眉ひとつ動かさずに冷たく告げる。
『そんなんだから、アンタは、いつまでも平刑事なんですよ』
「ホンット、可愛くないな! 黄色いタロちゃんはっ!」
『いい加減、黙って下さいよ』
狭い車内で指を突きつけながら、私は大声を張り上げた。
すると黄太郎の左手が私の口元を掴み、右手は人差し指を立てて自分の唇に押し当てた。
パソコンなどの電子機器類特有の、熱を帯びた手が温かい。
生きているワケじゃないのに、体温がある。
「これはロボットなんだ、人間じゃない」って、頭では分かっているのに。
無意識に「人間だ」と、誤認してしまう私がいる。
これが、惚れた欲目ってやつなのかねぇ。
それにしても、黄太郎のヤツ。
相変わらずの仏頂面で、こちらをちっとも見ようともしてくれない。
張り込みだから、静かにしなきゃいけないことくらい、私だって分かってるけどさ。
他のメモリーカードとギャップが激しすぎて、どうも調子が狂う。
そもそも、なんで性格が変わるようになんて、設定したんだ?
例によって、鈴木准教授の遊び心か?
今回、また新たに新しいメモリーカードが二枚増えた。
要人警護用のオレンジのメモリーカード。
使ってみるまで何が起きるか分からない、使ってみれば分かるという紫のメモリーカード。
オレンジのメモリーカードには、ダンディが入っていた。
紫は、どんな機能と性格が組み込まれているんだろう?
使いどころが、分からない。
とにかく、使ってみるまでのお楽しみだな。
今は、生意気な黄太郎でも、我慢するしかない。
っていうか、いつまで、私の顔掴んでんの?
そろそろ、手を離して欲しいんですけどね。
顔に、黄太郎の手形が付いちゃうよ。
どうにかして、黄太郎の手を外そうと抵抗すると、やっと黄太郎がこちらを向いた。
しかしその目は、絶対零度のビームを放っていた。
『これ以上、ムダ口を叩かないって約束出来るなら、離してあげても良いですよ』
私は黄太郎に口を掴まれたまま、私は何度もコクコクと頷いた。
そうしてようやく、黄太郎が手を離してくれた。
「ぷはっ! ふぃ~っ。ありがと、タロちゃん」
上手く呼吸が出来なかったので、私は大きく息を吐き出した。
すると、また再び顔を掴まれた。
「――むぐっ?」
『全く、アンタは片時(かたとき=ちょっとの間)も黙っていることが出来ないんですか? さっきしたばっかりの約束も反故(ほご=約束破り)にして。いい加減にして下さい』
その通りすぎることと、口を押さえられている所為で、何も言い返せなかった。
しばらくしてから、ようやく手を離してもらえた。
バックミラーで自分の顔を確認すると、顔には黄太郎に掴まれていた跡が、くっきりと紅く残っていた。
平手打ち喰らった跡みたいで、カッコ悪い。
まぁ、時間が経てば、消えるか。
一晩中、蒼衣さんの家を張り込みしたが、不審人物や不審物が来ることはなかった。
どうやら、蒼衣さんの母親が言っていた通り、容疑者は家には寄り付かないらしい。
脅迫状や気持ち悪い贈り物は、全部事務所に宛てだったというし。
もしかすると容疑者は、蒼衣さんの真の姿を知らないのか?
スーパーアイドルの蒼衣さんと、女子高生の蒼衣さんは、ほぼ別人ってくらい違う。
気付いてないってのも、あり得なくはないけど。
熱狂的なファンやストーカーだったら、同一人物だと気付くかもしれない。
気付いている上で、あえて事務所に脅迫状やプレゼントを贈っているとしたら?
蒼衣さんに、アイドルを辞めて欲しいという意図か?
「ねぇ、タロちゃん……あ」
助手席に座るタロちゃんに意見を求めようとして、気が付く。
ついさっき、電池切れになって、寝ちゃったんだった。
それにしても、本当に綺麗な顔してるよね。
誘われるように、タロちゃんの顔に手を伸ばす。
職人が丹精込めて作り上げた、芸術品みたいな完成度。
肌のシリコンゴムの手触りが気持ちが良くて、ずっと触っていられる。
電源が落ちているから、人肌よりちょっと冷たい。
そのまま指を滑らせて、形の良い唇に触れる。
フニフニしてて、いつまでも触っていたいくらい柔らかい。
反対側の手で、自分の唇を触り比べてみるが、手触りに違いはない。
その時ふいに、「唇を合わせてみたい」という欲求が湧き上がる。
電源が落ちている今だけは、ちょっとくらいは……良いよね?
タロちゃんの細い顎にそっと手を添えて、ゆっくりと顔を……。
「おはようっ!」
あとわずか、というところで、上から蒼衣さんの声が降ってきた。
飛び上がるほどビックリして、車の天井に頭を強くぶつけてしまった。
「――ったぁいっ!」
痛む頭を押さえながら、私は車から飛び出して、蒼衣さんを見上げる。
「おぉぉお、おはようございます、蒼衣さん!」
「ちょっと! 何、その顔っ! ちゃんと見張りしてたワケぇっ?」
挙動不審でドモりながら返すと、普段着姿の蒼衣さんが仏頂面で、二階の窓から見下ろしていた。
「その顔」って、一体今の私はどんな顔をしているんだろ?
耳まで熱いってことは、真っ赤かもしれない。
誤魔化すように、両手で自分の顔をパンパン叩きながら、弁解する。
「ちゃ、ちゃんと、一晩中見張ってたに決まってるでしょっ!」
「ふんっ、どうだかっ!」
蒼衣さんは吐き捨てるように言うと、ピシャリと窓を閉めて、部屋へ引っ込んでしまった。
私も愛車に戻って、バックミラーで自分の顔を確認してみる。
「うわ……」
確かに、こりゃヒドい。
暑くもないのに、顔が真っ赤っかだ。
何してたんだって、勘ぐられるのもムリはない。
キスしようとしていたところを、見られなくて良かった。
タロちゃんの寝顔をチラ見して、思い出す。
「あ、いけない! 充電しなきゃっ!」
以前、「ロボット工学研究室」の吉田さんからもらった、バッテリーがトランクに積んである。
見よう見まねで、ケーブルでバッテリーとタロちゃんを繋いでみる。
バッテリーに繋がれると、タロちゃんが目を閉じたまま喋り出す。
『現在、スリープモードです。これより、充電を開始します。充電完了まで、あと七時間です』
無事、充電開始されたのを確認して、ほっとひと息。
もう一度、自分の顔を確認すると、顔色は大分元通りになっていた。
充電中のタロちゃんを車内に残し、蒼衣さん家のインターホンを押す。
ややあって、蒼衣さんの母親が玄関を開けてくれた。
「おはようございます、刑事さん」
「どうも、お早うございます。何か、変わったことはありませんでしたか?」
敬礼をして刑事らしく挨拶すると、蒼衣さんの母親が笑顔で返事をする。
「いえ、特には何もありませんでしたよ」
「それは、良かったです」
「そういえば、刑事さんは、朝ご飯は食べられました?」
「あはは、実はまだ……」
苦笑して正直に答えると、蒼衣さんの母親が中へ促してくれる。
「でしたら、ご一緒にどうぞ。大したものは、お出し出来ませんけど」
「え? 良ろしいんですか?」
笑いながら頭を掻きつつ、促されるままダイニングキッチンのテーブルへ着く。
私ひとりだと気付いた蒼衣さんの母親が、不思議そうに問う。
「あら? もうひとりの刑事さんは、どうなさいました?」
「彼なら徹夜明けで、車で爆睡してますので、どうぞお構いなく」
そもそも、タロちゃんは、物を食べられない。
電力だけが、エネルギー源。
蒼衣さんの母親は小さく笑い、朝食を作り始める。
「そうですか。では、朝食をご用意しますから、少々お待ち下さいな」
「ありがとうございます」
朝食が出来るまでの間、スマホを確認する。
刑事課の同僚達から、おはようのLineスタンプが送られてきていた。
私も、お気に入りの可愛いLineスタンプを送信しておいた。
同僚達は、私がこうしている間にも、別の事件を追っていることだろう。
いつも日本のどこかで犯罪が起こり、警察は常に捜査を続けている。
私は聞き込み捜査とは違う仕事に回されて、どうにも慣れない。
ちなみに、今回の私の役割は、要人の直近に配置される「身辺警護員」
芸能事務所や撮影スタジオには、複数人の「行先地警護員」が配置されている。
また、不審物等を発見した場合は、速やかに警備隊本部へ連絡して、回収、あるいは撤去を依頼する流れになっている。
爆発物の疑いがある場合は、「触るな」「踏むな」「蹴飛ばすな」の三原則がある。
真っ先に周辺の群衆を避難させ、迅速かつ、的確な対応が必要となる。
「お待たせしました。簡単なものですけど、お召し上がり下さい」
あれこれ考えていると、目の前に美味しそうな食事が提供される。
トースト、ハムエッグに添えられたキュウリとレタスとトマト、コーンクリームスープ。
これぞ「ザ・朝食」って感じ。
「わぁ、美味しそうですね。頂きま~す」
実家にいた頃は、お母ちゃんに料理を作ってもらえるのが、当たり前だった。
でも、ひとり暮らしを始めてから、「作ってもらえるありがたみ」を知った。
別に、凝った料理じゃなくて良い。
「自分の為に作ってもらえること」が、贅沢なんだ。
温かくて美味しい朝食を、ありがたく頂戴した。
私が食べ終わったところで、蒼衣さんが顔を見せる。
「お母さん、アタシもご飯ちょうだい」
「はいはい」
蒼衣さんの母親は、私が食べ終わった皿を片付けながら、台所へ戻った。
斜め向かいに座った蒼衣さんが、素っ気ない口調で話し掛けてくる。
「刑事さん、アンタ、学校も着いてくんの?」
「着いて行きますけど、学業の邪魔はしないように、学校内には入りません。学生さん達にはなるべく気付かれないように、外周で警備したいんですけど、よろしいでしょうか?」
「そう。それなら良いよ」
反対されるかと思いきや、すんなり受け入れてもらえた。
昨日と比べると、ずいぶんと素直になった。
いったい、どんな心境の変化があったんだろう。
昨日の父親の説得が、効いたのだろうか。
何があったにせよ、受け入れてもらえるのはありがたい。
身辺警護するには、要人からも協力が重要となる。
信用してもらえないと、守れない。
そんなこんなで、私は蒼衣さんより先に家を出て、車で蒼衣さんが通う高校へ先回りして、こっそりと蒼衣さんを警護することにした。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、誠に申し訳ございません。