第三話 Orange memory
拒絶されたって、身辺警護の任務におもむいている以上、警護対象から離れるワケにはいかない。
マネージャーさんにお願いして、蒼衣さんのスケジュールを教えてもらった。
今日はこの後は、新曲のレコーディングだそうだ。
マネージャーさんの案内で、一緒にレコーディングスタジオへ向かうことになった。
レコーディングスタジオは、基本的に以下の四点で構成されている。
・コントロール・ルーム。
・ブース。
・マシーン・ルーム。
・共同スペース。
コントロール・ルームは、各種音響機材があり、収録や音響などを管理する部屋。
ブースは、実際に楽器演奏・歌唱・ナレーションなどを行なう部屋。
コントロールルームから、防音ガラス越しにブース内が丸見えであることから、日本では「金魚鉢」と呼ばれている。
マシーン・ルームは、コントロール・ルーム内の静穏化と空調、効率的なメンテナンスを行なう部屋。
共同スペースは、事務所、各種保管庫、給湯設備、トイレなどが設置されている。
さて、そろそろ、新しいメモリーカードを使ってみよう。
今度は、どんな性格のタロちゃんが見られるのか、ドキドキワクワクする。
今必要なのは、要人警護用のメモリーカードだ。
オレンジ色のメモリーカードを取り出して、タロちゃんに挿し込んだ。
途端に、タロちゃんの表情が、自信満々のドヤ顔に変わった。
え? なんで今、突然のドヤ顔?
橙太郎は、呆気に取られる私の肩を抱く。
『それじゃ、行きましょうか、穂香』
「え、あ、はい……」
そんな落ち着いた低音イケメンボイスで呼び捨てにされたら、狼狽えてしまう。
軽く抱き寄せられて、顔が近いんだけど。
顔が熱くなり、胸のときめきが止まらない。
このメモリーカードの性格は、なんて例えたら良いんだ?
緑太郎がジェントルマン(Gentleman=紳士)だとすると、橙太郎はダンディー(Dandy=渋くて大人っぽい、男らしいカッコよさを持つ男性)系?
戸惑っている私に、橙太郎はカッコよく笑う。
『私達で、茨蒼衣を守るんでしょう? さぁ、急ぎましょう』
「そ、そうだね」
橙太郎に促されるまま、蒼衣さんがレコーディングする予定のスタジオへ向かって行った。
スタジオに着くと、蒼衣さんはもう、ブース内にいた。
スタジオ内にいた収録スタッフの皆さんには、マネージャーさんが「今日から蒼衣を護衛してくれる刑事さん達」と、紹介してくれた。
私は警察手帳を見せて、スタッフの皆さんに事情を説明。
その結果、「録音録画禁止」「情報漏洩禁止」「収録の邪魔をしないこと」などを条件に、コントロール・ルームへ入れてもらえることになった。
と言っても、橙太郎はロボットだから、自動的に録音録画しているんだけどね。
ロボット工学研究室にも、橙太郎が撮影している映像は転送されているから、情報漏洩している。
橙太郎が、ロボットであることは極秘事項なので、スタッフの皆さんにはこのことは黙っておこう。
私と橙太郎は、コントロール・ルーム内に設置されたソファの隅に、ふたり並んで座った。
ブース内の蒼衣さんは、しっとりとしたバラード調の歌を唄っている。
蒼衣さんは、ただ可愛いだけのアイドルじゃなくて、高い歌唱力にも定評があるんだよね。
美しい生歌(なまうた=録音された音声ではなく、その場で実際に歌う)に、うっとりと聞き惚れる。
ファンだったら、垂涎(すいぜん=よだれを垂らして喜ぶ)の光景だろう。
まだ世に出ていない超人気アイドルの新曲を、いち早く聞けるなんて、得した気分。
私は横にいる橙太郎に、こそこそと小さな声で話し掛ける。
「この手の曲ってさ、歌唱力が要求されるんだよね」
『ええ。茨蒼衣の歌唱力は、なかなかのものですよ」
「タロちゃんに分かるの? それ」
『もちろん。お望みなら、今すぐ、同じ歌を披露してご覧に入れますよ』
自信に満ちた笑みで答えたので、鈴木准教授の技術力には感心するばかりだ。
「それも、鈴木准教授のこだわり?」
『鈴木准教授ですから』
「鈴木准教授だもんね」
橙太郎が余裕のある大人の笑みで笑ったので、私も釣られるように笑った。
収録が終わると、スタッフの皆さんから労いの言葉と拍手が、蒼衣さんに贈られた。
「はい、チェックOKです。ありがとうございました、お疲れ様で~す」
『はい、ありがとうございました』
蒼衣さんの顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
ステージ上やカメラの前で見せる、スーパーアイドルの笑顔とは、まるで違う。
これって、どう表現したらいいんだろう。
今は純粋に「歌が歌えて、嬉しい」っていう、素直な喜びに溢れてる気がする。
私はコントロール・ルームを出ると、ブースから出てきた蒼衣さんに話し掛ける。
「収録、お疲れ様でした。蒼衣さんは、本当に歌がお好きなんですね」
蒼衣さんは私をキッと睨みつけると、今にも癇癪(かんしゃく=怒りをぶちまけそうな様子)を起こしそうな口調で言い放つ。
「ねぇっ! なんで、アタシに構うのっ? 放っといてくれないっ?」
キレ散らかす蒼衣さんに、私はニッコリと笑い掛ける。
「蒼衣さんの歌、聞き惚れるくらい素晴らしかったです。アイドルを辞めても、その歌声は変わりませんよね。もし、蒼衣さんが歌手に転向しても、私はこれからも応援し続けますよ」
「あ……」
蒼衣さんの顔から、怒りの表情が消えた。
橙太郎は空気を読んだのか、少し離れた場所からこちらを見守っている。
蒼衣さんは、少し戸惑った表情で、私に問い掛けてくる。
「ねぇ、アンタはなんで、刑事やってるの?」
「蒼衣さんは、なんで歌手になりたいんですか?」
私が重ねるように質問を質問で返すと、蒼衣さんはしかめっ面をしながらも、答えてくれる。
「歌が好きだから。みんなに、私の歌を聞いてもらいたいから」
「私も同じですよ」
「同じって?」
私は、さっきの質問に答える。
「私も『好きだから』警察官をやっています。『なりたい理由』なんて、そんなもんでしょう。誰かに認められるとか報われるとか、そんなことは、どうでも良いんじゃないですか?」
蒼衣さんは真顔で、私の顔をじっと見つめた後、黙ったまま背を向けて、早足で行ってしまった。
あらら……嫌われたかもしれない。
「刑事さん、お疲れ様です」
「いえいえ、どうか、お構いなくっ」
蒼衣さんの仕事が、ひと通り終わった後。
私は蒼衣さんの家にお邪魔して、リビングでお茶をご馳走になっていた。
驚いたことに、蒼衣さんは実家住まいで、ご両親と三人で暮らしてるらしい。
アイドルだから、一人暮らしで、派手な生活をしているのかと思っていたけど。
蒼衣さんって、かなり真面目な性格みたい。
リビングのテーブルには、蒼衣さんのご両親が並んで席に着いている。
テーブル越しに、私とメモリーカードを抜いたタロちゃんが向かい合っていた。
蒼衣さんは家に入ると、すぐに自分の部屋に引き篭もってしまった。
ホント、嫌われちゃってんのね、私。
偉そうに説教垂れたから、当然か。
ポジティブに考えれば、引き篭もってもらっていた方が、身の安全は保たれるかもしれない。
私は真剣な面持ちで、蒼衣さんのご両親に問う。
「ご実家の方には、物騒な贈り物が届いたりはしていないんですか?」
「ええ。全て会社宛てに届いてるみたいで、うちには何も」
蒼衣さんの母親は、困った笑顔を浮かべながら答えた。
「そりゃ良かった」
私が手放しで喜ぶ一方、蒼衣さんの母親は悲しげに目を伏せる。
「でも、最近、娘はすっかり神経質になってしまいまして。いつも、ピリピリしているみたいなんですよ」
「そりゃあ、命狙われたら、誰だって心中穏やかじゃいられませんよ。お気持ちはお察し致します」
私は労うように笑い掛け、胸を張って続ける。
「ですが、これからは、私どもが誠心誠意、お嬢さんを見守りますから、どうぞご安心下さい」
「はい。どうか、娘をよろしくお願いします」
蒼衣さんのご両親は、私に向かって深々と頭を下げた。
蒼衣さんの父親は、二階を一瞥(いちべつ=チラリと見る)すると、大人の男の貫禄でゆっくりと口を開く。
「うちの子は、決して悪い娘じゃないんですが。年頃のせいか、どうも、素直じゃなくてね」
「分かりますよ。私にも、年の離れた妹がひとりいるんですけど。つい最近まで、『お姉ちゃんお姉ちゃん』だったのに、ある日突然、急につれなくなりましてね」
私が頭を掻きながらヘラヘラ笑いながら言うと、蒼衣さんのご両親はくすくすと笑う。
「あらまぁ、そうなんですか」
「年頃の娘は、なかなか気難しいですよね」
「ですよねー」
和やかな笑いが起きる中、タロちゃんだけが真顔だった。
話がひと段落したところで、私は腰を上げる。
「そろそろ、私どもは、車に戻ります」
「そんな、もっとごゆっくりされたらいいのに。もしよろしければ、うちにお泊りになられても」
蒼衣さんの母親が引き止めてくれたけど、私は丁重にお断りする。
「いえいえ、遊びに来てるワケじゃありませんから。私どもは、家の外から警護させて頂きますので、どうかお構いなく。あ、お茶、ご馳走様でした。行くよ、タロちゃん」
『はい、穂香さん』
私とタロちゃんは軽く頭を下げて、玄関へ向かった。
蒼衣さんのご両親は、玄関口で私とタロちゃんを見送ってくれる。
「何かあったら、いつでも、声をお掛け下さいね」
「はい。そちらも、どんな小さなことでも、変化がありましたら、何でもおっしゃって下さい」
私が答えると、蒼衣さんのご両親は小さく頷く。
「ええ、分かりました」
「よろしくお願いします」
「はい。あ、そうだっ」
私は胸ポケットから、小さな機械を取り出した。
これは、鈴木准教授が開発した超高性能盗聴器だそうだ。
ぎこちなく愛想笑いをして、しどろもどろ、それを差し出す。
「そのぉ、もし良かったらで、良いんですけど。この盗聴器をですね、娘さんの部屋のドアにでも付けてもらえませんかね? あの、やましい気持ちじゃなくって、何かあった時の為に……」
蒼衣さんのご両親は、困ったように顔を見合わせた。
私は、心底失敗したと思った。
そりゃそうだ。
いくら警護する為とはいえ、年頃の娘を盗聴するなんて、とんでもない話だ。
私も同じことを言われたら、断固反対する。
「あ~、やっぱ、ダメですよね。すみませんでした、これはなかったことにして下さい」
慌ててしまおうとすると、蒼衣さんの父親が、私の手の上から盗聴器をつまんだ。
「え?」
「協力しますよ。娘の命には、代えられないですからね」
そう言って、蒼衣さんの父親は、母親と顔を見合わせて頷き合った。
私とタロちゃんは、蒼衣さんの部屋を見上げられる場所に車を停めて待機。
ミニパソコンに繋いだヘッドホンを装着すると、鈴木准教授特製高感度盗聴器が音を拾う。
トントントンと、階段を上がる足音。
足音が止むと、コンコンッとノックの音と共に、蒼衣さんの父親の声。
『少し話せるか』
『今は、誰とも話したくない』
すぐに、蒼衣さんの不機嫌そうな声が返ってきた。
それに構わず、父親の穏やかな声が言い聞かせるように語り始める。
『「アイドルは二の次」って、言っていたそうだね。お父さんとしては衣装のことも心配だけど、それよりその気持ちが心配なんだ。そんなハンパな気持ちじゃ、いつか取り返しのつかないことになるんじゃないか? 辞めたいなら、辞めなさい。私は賛成だ』
父親の優しい想いがこもった説得にも、蒼衣さんは何も答えなかった。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、誠に申し訳ございません。