第二話 Idol singer
重役室を出ると、こっそりと、タロちゃんに緑のメモリーカードを挿し込んだ。
途端に、私が見たかった優しい笑顔を見せてくれる。
『お久し振りです、穂香さん』
「た、タロちゃん……っ!」
ついに堪えられなくなって、緑太郎に抱き付き、みっともなくボロボロ泣き出した。
『ちょっと、穂香さんっ? 泣いてるんですかっ?』
緑太郎は驚きながらも、私を抱き留めてくれた。
緑太郎の体からは、ほんのりと香水の匂いがした。
香水は、鈴木准教授のセンスかな。
鈴木准教授は、変なところにこだわるクセがあるから。
緑太郎に似合いすぎて、笑いすら込み上げてくる。
「ふ、ふふっ」
『いったい、どうしたんですか? 泣いたり笑ったり、忙しい人ですね。何かあったんですか?』
動揺しながらも聞いてくる緑太郎の頭を撫でながら、答える。
「何もない、何もなかったんだよ、タロちゃん……」
何もないことが、辛かった。
あなたがいないこと。
それだけが、寂しくて苦しくて切なくて。
あなたに逢えたこと。
それだけで、嬉しくて愛しくて恋しくて。
色んな感情がグチャグチャになって、私は緑太郎にしがみ付いて、子どもみたいに泣いた。
『よろしければ、どうぞ』
「ありがとう。ごめんね、面倒掛けて」
『いえいえ。どういたしまして』
散々泣いて気が済んだ私に、緑太郎がハンカチとティッシュペーパーと温かいココアを渡してきた。
紙コップ入りのココアは、休憩所に設置された自動販売機で、緑太郎が買ってくれた。
休憩所のベンチに腰掛けて、あったかくて甘いココアをひとくち飲み、ふと気が付く。
「タロちゃんって、お金持ってたの?」
『「多少は持っていた方が良い」と、鈴木准教授が渡してくれました』
「まぁ、それもそうね」
確かに、何かあった時の為に、持ってるに越したことはない。
以前も、持っていたのかな?
使っているところ、見たことないけど。
緑太郎は微笑みを浮かべながら、私の横に腰掛け、黒皮の財布を差し出してくる。
『良かったら、見ますか?』
「見ていいの? じゃ、遠慮なく」
中身を確認すると、札入れ側には、福澤諭吉さんが一枚、樋口一葉さんが一枚、野口英世さんが三枚。
あとは小銭入れに、小銭がジャラジャラ。
たぶん、総額二万円くらいだと思う。
「へぇ、意外と、現実的な金額なんだね」
『鈴木准教授は「人の真似をするのも悪くない……本当の自分を見つける為には」と、言ってましたよ』
「ふぅん……よく分かんないけど、鈴木准教授って、なんか妙なところにこだわるよね」
『鈴木准教授ですから』
「鈴木准教授だもんね」
私は緑太郎と顔を見合わせて、声を立てて笑った。
しばらく笑った後、緑太郎が真顔になって聞いてくる。
『ところで、行かなくていいんですか?』
「っと、つい、まったりしちゃった! 今、何時何分っ?」
慌てて時間を問うと、緑太郎が立ち上がり、時報のように正確に答える。
『午前十時三三分四十秒、一、二……』
「もう、そんな時間っ?」
私は少し冷めたココアを飲み干して、紙コップを握り潰し、ゴミ箱へ投げ入れた。
「さぁて、お仕事開始だ! 行くよ、タロちゃんっ!」
『はい、穂香さん』
やっぱり、こうでなくちゃっ!
ところ変わって、芸能事務所「セレファイス(Celephaïs)」の社長室。
私は、重厚な机の奥に座った「セレファイス」の社長の前に立ち、敬礼する。
「この度、茨蒼衣さんの身辺警護をさせて頂くことになりました、刑事課の田中穂香と申します」
私は警察手帳を見せながら、自己紹介をした。
隣に立っている、メモリーカードを挿していないタロちゃんも、敬礼して名乗る。
『同じく、加藤太郎です』
「いやはや、全く、困ったことになりましたよ……」
「セレファイス」の社長は、重々しくため息を吐いた。
私はメモを読みながら、社長に確認する。
「茨蒼衣さんに贈られたプレゼントは、脅迫状に動物の死骸、刃物、爆発物……でしたね」
「ええ。まさか、うちの蒼衣に脅迫状だなんて……」
深刻そうにうつむく社長に、私は同情し、フォローするように慌てて言う。
「あの、え~っと、その……茨蒼衣さんは、超人気アイドルですから、熱狂的なファンも多いんでしょうね」
「人気があるのは、良いことなんですけどねぇ……悪いことに、マスコミに情報がリーク(leak=漏れる)されてしまいましてね。それ以来、我が社のイメージダウンも甚だしいですよ」
社長は、やれやれといったジェスチャーをして、首を横に振った。
蒼衣さんの心配より、会社のイメージの方が大事なのかっ?
思わず怒りがこみ上げてきたが、私はぐっと堪えて何も言わなかった。
その時、社長室のドアから、ノックする音が聞こえた。
「入りなさい」
社長の返事を受けて、ドアが開かれた。
「失礼します」
社長室へ入ってきたのは、いかにも「学校帰りです」といった、ブレザー姿の女子高生だった。
この娘も、ここの事務所所属の人なのかな?
まだ高校生だし、社員じゃないだろうから、女優かアイドル志望かな?
社長は軽く笑みを浮かべると、彼女に私達を紹介する。
「ああ、ちょうどいいところに来た。蒼衣、こちらは今日から君を警護してくれる刑事さん達だ」
「どうも」
少女はニコリともせずに、私達に軽く会釈した。
え? これが、茨蒼衣?
全然、イメージが違うじゃないか!
茨蒼衣といえば、芸能人オーラ全開の麗しいセクシー女王様。
かたや、目の前にいる少女は、確かに美少女ではあるけど、どう見ても一般人って感じだ。
ギャップに驚いていると、社長はドッキリが成功したような顔で楽しげに笑う。
「刑事さん方、これがうちの蒼衣です。ご覧の通り、彼女はまだ、女子高生でしてね。おっと、彼女の本当の姿は、ここだけの秘密ですよ?」
「へぇ、まるで別人ですね」
私が感心していると、蒼衣さんが仏頂面で言い放つ。
「やっぱり私、アイドル辞めます!」
「えぇっ?」
いきなりの爆弾発言に、私は目ん玉剥くほど驚いた。
蒼衣さんはモノスゴい剣幕で、まくし立てる。
「アイドルなんて、やりたくてやってるワケじゃありません! 社長が『歌手デビューさせる条件』だって言うから、仕方なくやってただけですからっ!」
言うだけ言うと、蒼衣さんは踵(きびす=かかと)を返す。
「失礼しますっ!」
私達が呆然としている中、彼女は社長室を出て行った。
それを見送って、社長が深々とため息を吐く。
「物騒な贈り物が届くようになってからというもの、ああなってしまいましてね」
「女王様は、ご機嫌ナナメってことですか」
苦笑しながら肩を竦めると、社長は大きく頷く。
「とにかく、蒼衣の身が危険なのは間違いありませんから。うちの大事なアイドルの身辺警護、よろしくお願いしますよ」
「はい、かしこまりました。蒼衣さんは、我々がお守り致します」
私が姿勢を正して敬礼すると、タロちゃんもそれに習った。
私とタロちゃんは社長室を出ると、蒼衣さんの後を追った。
蒼衣さんは休憩室のベンチに腰掛けてミネラルウォーターを口にしながら、マネージャーさんにぶつくさ愚痴を言っていた。
「あ~あ……なんで私が、こんな目に遭わなくっちゃいけないのっ?」
「まぁまぁ。怒っても、しょうがないでしょ?」
中年女性のマネージャーさんがどうにかなだめようとしてるけど、蒼衣さんのイライラは収まらない。
「こっちは、別にやりたくもないアイドルやってるってのにさっ」
「会社には会社の事情があってね、仕方ない部分もあるのよ」
「アンタは良いよ。一般人だから、自由だし」
「私だって、何もかも自由ってワケじゃないわよ」
マネージャーさんが取り繕うように苦笑すると、蒼衣さんは不貞腐れて続ける。
「友達にも、アイドルだってことは、秘密にしなきゃなんないし。アイドルって、こんなに理不尽な仕事だとは思わなかった。ホント、みんな良くやっていられるよね」
蒼衣さんはマネージャーさんを睨んで、意志を伝える。
「私、アイドル辞めるから」
「アイドル辞めるって、それ、本気で言ってるの?」
困り果てた表情のマネージャーさんに、蒼衣さんは大きく頷く。
「うん。元々アイドルなんて、興味なかったし」
「あなたのことを慕ってくれている、ファンだって大勢いるのよ? 歌手の夢だって、どうするの?」
マネージャーさんが引き止めようと懸命に訴えると、蒼衣さんはつまらなそうに答える。
「歌うだけなら、どこでだって歌えるよ」
「あの、すみませんが……」
蒼衣さんの投げやりな話に、私は黙っていられなくなって声を掛けた。
蒼衣さんは私を一瞥(いちべつ=チラッと見る)すると、興味なさそうに目を閉じる。
「刑事さん、アンタも同じよね。実際の警察って、ドラマなんかと違って地味で、全然報われないって感じ」
蒼衣さんが小バカにしたような口調で言ったので、私はカチンときた。
短気な私は、むっとして言い放つ。
「蒼衣さん、何か勘違いしてませんかっ?」
「何よ、勘違いって?」
私の態度が気に食わなかったのか、蒼衣さんは不服そうに言い返した。
私は説き伏せるように、怒声を張る。
「私達警察はね、誰かに評価されたくて、命張ってるワケじゃないんですよっ!」
『ええ』
横にいたタロちゃんも、短く答えて同意してくれた。
しかし、蒼衣さんは冷たい視線で私を射抜く。
「で?」
「『で』って?」
「だから、何なの?」
キツい口調で言い返されて、私はしどろもどろになって答える。
「あ、いや、だから、私は……」
「ホント、どいつもこいつも、口先だけなんだから! 社長も、もっとまともなボディ―ガード雇ってくれりゃ良かったのにっ!」
蒼衣さんは呆れた声で言うと、私に背を向けて歩き出した。
私は慌てて、呼び止める。
「待って下さい! まだ話は……っ!」
「もう、うんざりっ!」
腹立だしげに言い放つと、蒼衣さんは早々に立ち去ってしまった。
私はやり場のない手を伸ばしたまま、情けない表情を浮かべた。
取り残されたマネージャーさんが、苦笑して私達に言い聞かせてくる。
「あの年代の女の子に、頭ごなしにお説教しても無駄ですよ。難しいお年頃なんですってば。あの子、本当は良い子なんです。ですが、思うようにならないことばかりで、癇癪起こしているだけなんです。お騒がせして、すみませんね」
「お説教って……別に、そんなつもりじゃなかったんですけど」
私は肩を落として、タロちゃんに力なく問う。
「私、何か間違ったこと言ったかな?」
『いえ、ただちょっと……』
タロちゃんは小首を傾げて、何やら意味深長に呟いた。
私は意味が分からず、問い詰める。
「『ちょっと』? 何?」
タロちゃんはそれっきり、何も答えてくれなかった。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。
もし、不快なお気持ちになられましたら、申し訳ございません。