歩み寄る覚悟
「ただいまー」
「おかえり、っておお~。こりゃまたたくさん買ってきたね、重かったでしょ?質量的にも財布への負担的にも」
二人の抱えた荷物はまるで一月旅行にでも行くんじゃないのかと言いたくなるほどに、パンパンに詰め込まれたビニール袋を六個も持っていて到底普通の女子の一回の買い物の量ではなかった。
「いやー、イアちゃんに荷物持っててもらっても辛そうな顔一切しないからさ。つい調子に乗って買いすぎちゃったよね。あ、お金の方は大丈夫。できるだけ安く済むように気を付けたから六桁は超えてないよ」
ヒメカの持っている袋は二つなのに対してイアは四つも持っている。ヒメカ自身決して非力な方ではなく、寧ろ世の女子に比べて腕力も体幹もよほどしっかりしているが、それでも吸血鬼の身体能力は格が違った。
そもそも女の子で、かつ何のトレーニングもしていなさそうなイアですらこれなのだから、つくづく吸血鬼とは人間よりも遥かに個の性能では上回っている事を知らしめている。
「その、ごめんなさい。私のために沢山お金使わせちゃって、それに……」
「ん?気にしなくていいよ、ぶっちゃけこれ六割ぐらいただの私の趣味だから。本当に必要なものだけなら3万以内に収められたよ、特に衣類なんて今の状態で生活はできてるんだから追加で買うにしても2,3着でいいのに結局7着ぐらい買ったからね。イアちゃんに何の責任もないよ」
それがどこまで真実なのかは本人にしか分からないが、根が素直、というよりもそもそも人を疑うという発想の弱いイアはその言葉を額面通りに受け取りホッと胸をなでおろす。
兄妹としてもイアに変に抱え込まれるのは望んでいない、これで罪悪感や孤独を理由にショウの元から離れられるのは断固拒否するべき展開だ。言い方は悪いが身体能力の高い根無し草なんて追いかけても追いつける可能性はほぼ0だ。
更には仮に追いついたとしても説得する前に逃げられる可能性の方が高い、彼女の人格などどうでもいいと表現した手前矛盾しているように感じられるが彼女の精神のケアは彼らにとって必須項目だった。
だからこそショウはイアからの好感度が稼がれるのをできるだけ避けるために配慮と素っ気なさのバランスに細心の注意を払ってきたが、想像以上にイアがチョロかったがためにヒメカにあっさり懐いただけでなくショウに対してすら想定以上の速度で好感度が上昇している。
できるだけ気遣いに気づかさせないように、できるだけ仲良くならないようにイア個人への興味を表現せずにあくまで一人の吸血鬼としてでしか接しないよう気を付けるなど、そんなドライな関係を維持するように尽力していたがヒメカへの態度は計算外だった。
自分よりもヒメカの方に懐くであろうことは想定内の事態だったが、そこからショウに嫉妬しあろうことかショウに対しても交流できない寂しさを覚えられるのは流石に想像だにしていなかった。
(けど私達に対して最低限の情が湧いた、と考えるとそう悪いことではないはずだ。ただそうなるとこっちの事情を隠し続けているとまた不満が溜まりかねないしな、限度はあるが少なくとも質問に答えていく程度のことはしていかないと……)
流石に聞かれてもいない事情をペラペラと喋るほどの義理はないが、最初ショウに対して不信感が存在していたのもショウが徹底して自分の事情や心情を隠し続けていたのがその一因である。聞かれなかった、と言ってしまえばそこまでなのだがあの状況でイアから質問が飛んでくることはないだろうという計画的犯行なので言い訳のしようがない。
聞かれなければ答えない、というのは変わらないが拒絶する意思が無くなったというのは決して小さなものではないだろう。誰だって答えたくない、と全身で表現していることをわざわざ聞くような事はよほどのことが無い限りしない。
イアの共感能力はお世辞にも高い方とは言えないが、それ以上にショウの拒絶が強かった。言語化こそできていなかったが無意識にショウの主張を理解していたからこそイアも踏み込むことはしなかったのだ、こちらからは踏み込まないからそっちもこちらに立ち入るな、と。
ならばやるべきことは決まっている。
「お疲れ様イアちゃん。ごめんね~妹が、長いこと引っ張りまわされて疲れたでしょ。荷物は部屋に運んでおくからお風呂入ってきたら?あ、それともご飯先が良かった?」
イアに対して手を差し伸べて荷物を受け取ろうとするショウ。心情的な話を無視すればハッキリ言って非効率的な行動でしかない、身体能力に優れたイアにそのまま持って行ってもらった方がよほど効率が良いのに加えてこんなに重い荷物をわざわざ手渡しする意味は微塵もない。
だが、だからこそ自分から手が触れるような行動を起こしたのはイアですら理解できるほどに衝撃的な事だった。今までショウが気遣いをしていてくれたのはいくら鈍感なイアでも理解しているが、それでも最初少し馴れ馴れしさを感じた時以降一歩たりとも距離感を縮めようとしてこなかったから。
「あ、うん。じゃあお願いね?その、お風呂行ってきます」
妙にそのことに照れくささを感じながらも素直に荷物を渡して、顔を合わせずに部屋に駆け込んで支度を整える。その間不思議なことに口角が上がったままだった。
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「うわ、本当に豪勢だね。私のためにこんな、妹嬉しい!」
「やかましい。言っとくがこれほぼ全部賞味期限ギリギリのお買い得商品だからな、三人分合わせても四千も使ってないぞ。流石にイアちゃんの分は期限に余裕あるやつ買ったがな」
食卓に並んでいるのは総菜寿司にロールキャベツやローストビーフ、クリスマスで見るような骨付きの鶏もも肉に加えてケーキなどまるで今日が何かの記念日なのかと疑ってしまうほどだった。
悲しきかなイアはそれらを食べることはできないので用意されているのは普段とそう変わりないスープだが、その隣には見慣れない代物が二皿存在していた。
「あのショウ君、これは……」
「ああそれね、すりおろしたリンゴをヨーグルトに入れて蜂蜜をたっぷりかけたものと卵豆腐。消化がほとんどいらないそれだったら、もしかしたら君でも食べられるのかもって思ってさ。それいけるんならこれからもっとメニューの幅は広がるし、怖かったら残してくれても全然大丈夫だけどね」
「……ううん。食べるよ、食べます。いただきます!」
そう言うや否や二人を待たずにスプーンを手に取り、並ぶ二つを口に運び込む。今まで味わったこともない、口の中でツルリと滑る感覚にシャリシャリとした食感、思わず頬が緩むほどの甘味など怒涛の勢いで襲ってくる新体験に目を回してしまう。
「はは、そこまでがっついて食べてもらえると用意した者としては嬉しいものがあるけど、ちょっとはしたないよ?味が混ざるとそれぞれは楽しめないし、スープも忘れないでね」
「まあいいんじゃない?初めてみたいだしイアちゃんの好きにさせてあげても。それよりお兄ちゃん、私にも同じの頂戴ね?」
「はいはい、そう言うと思って余分に作ってありますよ。イアちゃんもおかわり欲しくなったら遠慮なく言ってね」
子どものように食べることだけに集中してしまったことに対して、親が子供に呆れながらも微笑ましく眺めるかのような反応に気恥ずかしくなり食事を止める。彼らの三倍近くは生きているというのに精神年齢では寧ろ倍以上負けているような気さえする。
いくら肉体だけでなく精神の成長も人間より遅いとはいえ、二十歳前後の二人に負けているというのは悔しい、というよりも恥ずかしい。年長者としての威厳どころか子ども扱いされると流石に羞恥で頬が赤くなってしまう。
「そ、そういえばさ!?ショウ君が私と最初会った時に、人外の扱いに慣れてるって言ってたんだけどヒメカちゃんどういう意味かわかる?!」
誤魔化さねばと頭を回して、咄嗟に上ずった声で出たのがそれだった。
(ななななな何言ってんのわたし!?普通聞くならショウ君がいない時でしょ!?何でこんな時に思い出すかなあわたしぃ!)
ショウから触れられて、美味しいものを食べて、新しい感覚を一気にいくつも味わって、そして恥ずかしくなってイアの頭は既にパンク同然の状態だった。漫画であれば湯気を出し爆発していただろう、それほどまでにイアは混乱の最高潮だった。だからこそ今まで触れてはいけないのだと避けていた話題をポロっと出してしまったことで後悔や罪悪感、自責の念で胸がいっぱいになっていた。
ヒメカもさっきまでの微笑みを消して、チラリとショウに視線をやる。彼からどんな言葉が、感情が出てくるのか。彼がどんな表情をするのか、恐ろしくて、しかし目が離せずに震えて心臓が喧しく騒ぐ。
そして、それ故にその想像に反してあまりにも軽く言われたその返答に頭が追いつかなかったことは無理のないことだろう。
「ああ、それね。まあ単純な話だけど、私も八も普通の人間じゃないから。だから対応に慣れてたってだけの話だよ」
「…………はい?」