吸血鬼が刈られる理由
「わぷっ、ぷえっ」
突然覆いかかってきたそれにイアは反応することすらできず顔に当たるが、痛みはなく目や口に異物が入ったことによる抵抗感が少しあるだけだった。軽く咳き込んだり不快感は存在したが、逆に言えばそれだけだった。
そう思って少し気が抜けた瞬間だった。突然、電流が走ったかのような感覚と共に皮膚の下をやすりで削られそこに塩を塗りたくられたような痛みが容赦なく襲い掛かってきた。
「いっ、あああああああ!」
元々イアは痛みに強いわけじゃない。人間よりも頑丈なため常人よりも痛みを感じるようなダメージが少ないだけ、寧ろ痛みを感じるような事態が少ない分痛み苦しみに弱いとすら言えた。
そんな彼女が大の男ですら悶え苦しむであろうこの痛みに耐えられるはずもなく、顔を覆おうとしてバランスを崩し手をついて受け身を取ることすらできずに固いステージの上に為すすべなく転がって倒れる。
「ううあ、うう、ひっぐ!」
絶好の好機を逃し、逆に今すぐ動かなければ死んでしまうかもしれないという事すらすっかり忘れてボロボロと大粒の涙を流して激痛に悶えるイア。イアの精神年齢は外見通りの十代の女子のもの、泣くのを恥と考える暇すらなくただただ泣くことしかできずに蹲っていた。
「うーん流石の威力。ドラゴンブレスチリだっけ?キャロライナリーパーだっけ?何を使ってるのかは忘れちゃったけど、昨今の唐辛子は恐ろしいね。殺人的な威力ってのが誇張表現でも何でもなくなってるよ」
泣き叫ぶイアを見下ろしながら狩刃は気軽にそんなことを語る。あまりにも油断も隙もあり過ぎる状態だが、イアの頭の中に攻撃の二文字は存在せずもはや彼の言葉すら耳に入っていなかった。
狩刃が投げたのはうずらの卵の殻の中に各種唐辛子の粉末を混ぜ合わせて入れたもの、端的に言えば催涙弾の一種だった。ぎゅうぎゅうに詰められた粉末が砕き割られたことで一気に避け難い範囲まで広がり、高弾道で放り投げられたことによって皮膚の粘膜が薄い顔にかけられたというわけだ。
催涙弾というとドラマやアニメなどでデモや暴動を抑えるために煙をまかれているようなイメージが強いだろうか。集まった人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていく様は演出されるが、煙がかかったところで大した変化をしないため精々涙が止まらなくなる程度、少しヒリリとする程度と思われがちである。
しかし実際の催涙弾を受ければ、その被害は想像を絶する。効果としてはイメージ通り涙が止まらなくなり、痛みが生まれ、気管に入れば咳や圧迫感などもあるが問題はその度合いだ。
唐辛子などに含まれるカプサイシンを主に使ったものならば、失明のリスクこそ限りなく低いものの普通ならば一時間は目も明けられない程に激痛が走り、更に高熱を感じ身動きがとれないほどのものだ。
唐辛子を調理した際に空気すらひりつき目に染みるような感覚があるだろう。あれは調理の過程で唐辛子から広がった辛味成分が触れるだけで影響を及ぼす程のものだからだ、激辛料理を食べた時の舌の痛みが触れたところ全てに生まれると考えれば想像がつきやすいだろうか。
市販で売られるような催涙スプレーはそのカプサイシンを抽出したものを利用して作られることが多いが、そのあまりの破壊力に場合によっては軽犯罪法で取り締まられる可能性もある。
加えて射程も持ち運び式のものならば10メートルまで届けば高性能、狙いが外れれば必然周囲への被害も大きくなる。その点狩刃のとった手法ならば、見た目の危険度は全くなく弾が当たった場所から大して広がらないため被害拡大は軽微、なにより投げられる。
「本来だったら紐使って投げるものなんだけどね。石よりも軽い分早いし、弾さえ当たれば防がれても今みたいになる。一個作るにもそこそこ金がかかるからあまり使いたくない奥の手だったんだけど、まあ使わせられたことはお見事としか言いようがない」
狩刃の想定する吸血鬼とイアの最大の違い、それは思考力の高さだ。吸血鬼は人間の祖先が集団としてではなく個の性能に寄せた進化ルートを選んだ種族だとショウは考えている、その考えが真実だという証明なのか吸血鬼という種の傾向として思考能力、言語能力、協調性などのいわば他者と協力するための機能が薄い。
加えて人間社会に属せない吸血鬼は学習することすら難しい、故に最初ショウがイアに対して考えた理性ある存在なのかという疑念は実のところとても正当な考えだった。知識も思考力も倫理道徳や自制心すらない存在など獣と変わらない、吸血鬼でありながらそれらを兼ね備えたイアは実のところ途轍もなく希少性の高い存在だった。
多少身体能力が低かろうと思考力の有無は遥かに重要性が高い。先程の投石からの身の守り一つとっても、完全に舐め切っていた状態から即座に椅子を盾にして石を防ぐという手段を思いつくことができたのは他の吸血鬼には不可能だっただろう。
だからこそ狩刃は奥の手を使わざるをえなかった、だからこそイアは彼の備えを上回ることができなかった。人間の方が思考力に優れ、吸血鬼の方が身体能力に優れている、そしてそれを一番理解していたのは狩刃だったからだ。
狩刃が想定する吸血鬼よりも身体能力に劣り、思考力に優れる。しかしどちらも吸血鬼としての範疇でしかない。ならば対吸血鬼を想定し続けていた狩刃がイアを打ちのめすことができたのは当然と言える。
「なんで、わたし何もしてないのに……。血を吸い過ぎて人間を殺したことなんてない、暴力を振るって重傷を負わせたことなんてない、なろうと思って吸血鬼になったわけじゃないのに何でこんな目に合わなくちゃいけないの?」
極限の苦痛の中でイアが口に出した本音はその言葉だった。大人になると諦観をもって考えようともしない、そんな理不尽の原因を求める、理不尽に対するせめてもの抵抗だった。
生まれつきこんな要素を持っていたから、偶然こうなってしまったから、このような先天的偶発的な原因によっていじめや迫害が起こる事例は途轍もなく多い。そしてそれを改善しようとする人間は極々少数だ。
なぜなら改善しようがないから、人間過去に戻れるわけでもなく生まれを操作できるわけでもないので仕方ないと諦める。仮にそれが自己の責任である可能性も無いわけではないのに、それを仕方ないと言い切れば改善する手間も何もかも要らないからだ。
だがイアは人間社会の理不尽に晒されることが少なく、彼女の精神年齢は外見通りの十代女子のもの。純粋故に理不尽を許容できなかった。
「ふむ、まあ冥土の土産をくれてやるのも紳士としての義務か。確かに君の言葉を信じるならば吸血鬼が人間に害を及ぼすことは少ないのだろう、なのに何故殺されなければならないのか、ね」
催涙弾の効果というものは一時間は継続するので、イアからの反撃はないと見切ったのかそばに座って真剣にイアの疑問に対して考えだす狩刃。
「う~ん、まあ君らの祖先のせいにしてしまうのは簡単なんだろうけどね。あえて言うなら人間の心が弱いせいかな、我々は君らが怖いんだよ。ごめんね?臆病で」
言葉とは裏腹にあっけらかんと言う狩刃にイアは口をパクパクとさせるしかなかった。
「そんな、理由で……」
「確かに君は人間にとって安全なのかもしれない、けどスペックを見れば遥かに危険だ。銃だって同じ、悪い使い方されるかなんてその人次第なのにそれでも危険だからって理由で禁止されてるのは危険に使用される可能性が高いからだ」
彼が語る理論はショウが抱いたものと極めて酷似している、というよりも吸血鬼という存在の力を知る者ならば誰であろうと想像しうる考えだ。人間よりも優れた存在を人間が無条件で受け入れられるわけがない。
少し腹立たしくなって軽く手が出ることは別に珍しくない、それの善悪はともかく日常でも軽度の暴力は当たり前のように存在する。
しかし吸血鬼と人間の間ではその軽度のものですら重傷になりかねない、更には吸血鬼は人間よりも種族として理性が低いときた。これでは個人ならともかく、民衆は決して納得しない。
しかしそれで吸血鬼と人間で対応の差ができたら、今度は区別と差別をはき違えた自称平等主義者が騒ぎ立てるであろうことは火を見るよりも明らかだ。そのくせ問題が起きれば管理者側の対応が間違っていると呪文のように連呼し謝罪と賠償を求めてくるのだから救えない。
「そうやって色々と問題を併発するぐらいならまだ民衆にバレていないうちに殺してしまった方が早い、って考えるのはとても自然じゃないかな。なんせまだ君らを守る法も集団もいないわけだし、我らのようにできる者がやろうとするのは人間という種の存続からすればもはや当然の義務とすら言える」
「っ!そんなことないもん!ショウ君もヒメカちゃんもわたしのこと殺そうとしなかった、わたしをちゃんと対等な存在のように扱ってくれた!二人とも頭いいのにあなたとは違ってそんなことしようとしなかったもん!」
「ん~、そりゃ彼らが吸血鬼っていうのを理解していないからでしょ。流石に一般人にいきなり吸血鬼の恐ろしさを想像しろっていうのは無茶な話だし、無理やり襲われて吸血されたんだから怒らせないように丁重に扱ってたとしても全然不思議じゃない。あいにく別に君を対等な存在として扱っていたことと君が人間にとって害になることは何一つ矛盾しないよ、あくまで我々が考えているのは社会全体の利益の事だもの」
「そんな、こと……」
そんなことないと否定しようとして、しかし狩刃の言葉はイアの中では反論の余地がなかった。イアの人を見抜く目なんて信頼できないことはイア自身が一番理解している、彼らの行動全てがイアにストレスを感じさせないための行動だったとしてもイアは納得できてしまった。
今まで彼らに向けられてきた親しみや好意が全て謀のように思えてしまって、イアの心は既に限界に達していた。
「君からすれば理不尽に感じるかもしれないけどね、悪いが人間という種を守るためにここで死んでくれ」
吸血鬼にとって、人間は憎むべき敵でもなければ自身よりも劣った劣等種でもない。どれほど繫栄したかを種の優劣とするならば人間の方がよほど優れている、しかし種としての団結などほとんどないため種としての優位性などどうでもいいという考えが吸血鬼にとっての一般的な思想だ。
しかし当然だが自分に危害を加える要因となるならば、その種族の差異というものも憎悪を抱く要因となり得る。人間の弱さが自らを滅ぼしたというならば至極当然のように人間という種全体に憎しみが向けられる、今イアの中に生まれて初めてどす黒い感情が膨れ上がっていた。
「さ、これで気が済んだ?それじゃあさようなら。好きに恨んでくれて構わないよ、気にしないから」
いつの間にやら手に持った万年筆を振り上げイアの白い首筋を狙う狩刃、しかしイアは目を開けることすらできず為すすべなく命を散らしてしまうかと思われた時だった。
「どーん!大丈夫イアちゃん、助けに来たよー」
無駄に明るく振舞いながらショウが扉を開けて入ってきたのは。
狩刃は吸血鬼狩り、つまるところ今までの戦法の全ては吸血鬼を相手に想定されたものだった。準備を整えた人間を相手にすることなど想定しておらず、まして人外のなにかなど考えているはずもなかった。




