ボーイミーツガール
目を覚ました瞬間、まず感じたのは芯から凍るような寒さだった。加えて嫌な虚脱感に吐き気、頭痛、体を起こそうとすればグラリと視界が揺らぎ頭を押さえてまともに座るだけでもいくらかの時間を要する。
身体を起こして座した体勢で目をこするが、腕を動かそうとするだけで体の節々が不調を訴えてくる。よほどおかしな体勢で寝たのか、肩や首を軽く回すとポキポキと子気味良い音が鳴り少しずつ血が回っていく感覚があった。
不快感の強い目覚めにまだまともに頭が回らない。昨日は何してたっけ?、と思考を始めようとようやく周囲に目を向けるとまだ全然暗い。否、それだけではなくいつもの見覚えのある部屋ですらなく、何故か見覚えのある遊具が目に映っていた。
恐らくここは家の近くの公園、一言で言うと外だった。果たして今は何時なのか、車が通る音や人の話し声などもなく呼吸音だけが耳を打つ。月が大きく明るいので、真っ暗闇よりは視界が鮮明なのがせめてもの救いか。おかげで暗闇故の不安感というのは存在しない。
(本当に昨日、いやそれも分かんないけど寝る前は何してたんだ私は。流石に酔いつぶれてそこらのベンチで、なんていう失態を私がしたとは思いたくないが……。うん?)
そこで一つ違和感に気づく。自身の呼吸音のみだけではなく、誰か別の寝息も聞こえることに。それに妙に右半身だけは暖かい、頭痛も外的なものではなく内側から殴られているようなものだ。何か柔らかい枕でもあったように、少なくとも頭だけはまともな環境で寝ていたのだろう。
そこまで思考が辿り着き右を向くと、そこには金髪の美少女がスヤスヤと穏やかな寝顔で眠っていた。
(???????)
頭の中で疑問符が飛び交う。視線を落とすと、先ほど自身の頭があったであろう場所に彼女の太ももが存在している事を考慮すると十中八九自身は彼女に膝枕をされているような状況だったのだろうことが察せられる。
だがこんな少女は今まで見たことが無い、知りあいどころかこれまでの人生で認識したことすらない。目を閉じて首を下に傾けているから顔立ち全ては見えないが、それでもこれほどの美貌を忘れたとは考えにくい。
少しやつれてはいるが、ほぼ理想的な肉付きに先の細い顎。スッとした鼻に長いまつげなどいくつも揃った良いパーツがそれぞれ主張しすぎず調和することで全体の美をより一層高めている。こんならしくない感想が出るほどには一目で断言できるほどに美しい顔だった。妹分に身内補正を加えてもなお甲乙つけがたく、人を見た目で判断しない、という信条が揺らぎかねないほどだった。
全く見覚えのないはずなのだが、この少女の顔を見ているとどこか頭の奥底で感じるものがある。意識を失う前に見たことがあったのか?まだ少し混乱した頭でゆっくりと記憶を手繰っていく。
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大学の講義が長引いたせいで薄暗くなった道を歩いていたことは覚えている、六時過ぎで日が落ちかけていて時の進みを感じていた。まっすぐに家に帰ろうとして、通りがかった公園に誰かが倒れているのを見かけたんだった。
そんな場所で倒れている者に関わっても碌なことにならない。ただの酔っ払いかホームレスか、それとも何かしらの訳アリか。何にしても厄介なことになるであろうことは想像できていたが、下手に他者への奉仕精神が出たせいで話しかけてしまった。
「あの、大丈夫ですか?もしもし?」
そんな風に曖昧な態度で軽く体を揺すり、反応を待つとその瞬間突如としてとてつもない速度で襲い掛かってこられた。不意を突かれたということを差し引いても、とても人間とは思えない速さだったと思う。
肩を押さえつけられたまま首筋に嚙みつかれて、激痛に顔を歪めている間にジュルジュルと血を吸われていく感覚があった。採血で感じるような脱力感と寒気を何倍にも酷くしたような感覚に力が入らず咄嗟に引きはがそうとはしたが、のしかかられたせいもあってかビクともしなかった。
そのまま為す術もなく血を吸われ続けて、十秒もたたないうちに首から下の感覚が無くなっていき目の前が暗くなっていった。
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首に手を当ててみると、血こそ流れていないもののズキズキと刺すような痛みと、二つの穴のような感触,更にはその周りに何かがこびりついている。カリカリと爪でひっかいてみれば赤黒い塊が爪の中に見えた、それはつまり今の記憶は妄想でも夢でもなく間違いなく現実であったことの証明となる。
顔こそ見られはしなかったが、襲われた際に金髪であったことだけは印象に残っている。理解できないことは多いが、一先ず隣の少女は酔っぱらった自分がナンパしたわけではない、ということが分かって少しだけ胸のつかえが取れる。
だが、当たり前だが問題はそんな事ではない。少女の正体が何であろうといきなり自分に襲い掛かってきた、という事実は変わらず存在する。となると下手に刺激せずに逃げた方が良いのか?けど今動くとその振動で起きるかもしれないし……。
そんな風に悩むこと十秒ほど、少女がモゾモゾと動き始めてしまった。今この状況で逃げ出したとしても仮に少女が再び襲い掛かるような無差別な存在だった場合、確実に逃げ切れず、寧ろ背中を取られることになる。仕方なくその場に留まり用心深く少女を観察する。
「んう?あれ、えっと……。あ、あああ、ああああああああ!」
少女は寝ぼけまなこをこすり、首を振ってこちらを認識して数秒、ルビーのような深紅の瞳をカッと開いたかと思えば突然耳を痛めるほどの大音量で叫んだ。至近距離で耳を塞ぐ間もなくまともに食らった音波攻撃は、頭痛と吐き気の残る頭に甚大な被害をもたらす。脳が揺らされた感覚にまた気絶しそうになるのをグッと堪えて視線を上げると少女は赤べこのように必死に頭を振っていた。
「ごごご、ごめんなさい!その、私吸血鬼で!?えっととってもお腹が空いてて我慢できなくて、ほんとごめんなさい!」
頭を抱えて痛みに耐えながら何とか入ってきた言葉に耳を向けると、ある種予想通りの単語が飛び出てきた。
吸血鬼、その起源は忘れたが現代日本では様々なフィクション媒体で取り上げられる王道のファンタジー生物の一種という印象が強いだろう。その特性は日光が駄目、ニンニクの匂いが駄目、人間離れの力を持っている、など様々なものがあるが何といってもやっぱり一番は人間の血を吸う、というものだろう。
にわかには信じがたい話ではあるが、実際血を吸われている以上嘘ではないのだろう。もしかしたらただの吸血趣味のある狂人という可能性がないわけではないが、ここまで熱心に謝罪をしていることからあくまで衝動的なものなのだろう。本当に吸血鬼なのかは置いておいて、血を吸わなければ生きていけないような生き物であることは想像がつく。天然で血を吸わずにはいられない、なんて人間なのだとしたらそれはそれで放っては置けない。
またいきなり襲われるようなことにならなくて一安心する、これ以上血を吸われたならほぼ確実にくたばっていたことだろう。
「とりあえず、私の家に来ない?悪いけどもう体調がヤバくてね、こんな場所では話をしたくなくて。男の家に行くなんて絶対ごめん、なんて言われたらしょうがないけどもし事情を聞ければ力になれることもあるかもしれないし来てくれると嬉しいんだけど」
「え?」
(実年齢はともかく見た目は未成年の少女を家に誘うというのは犯罪臭が凄まじいけど、こんな場所で寝てたくらいだし戸籍も無さそうだしな。何よりも他の人が襲われる可能性を考えたら、私が警察沙汰になるリスクよりもここで保護しておくリターンの方が大きい)
「えっとその、別に大丈夫、だけどいいの?わたしあなたの血を吸ったのに、怖くないの?もしかしたら殺しちゃうかもしれなかったのに」
「まあ、今生きているし少なくとも故意じゃないみたいだから別にいいよ。作り話みたいに殺すまで吸うような怪物ってわけじゃないなら、気にしない気にしない。それに私は人外の扱いには慣れてるからね、今更吸血鬼程度でビビることなんてないよ」
この選択が二人の関係の始まりだった。この吸血から始まった関係があれだけ複雑かつ深いものになるとはイアは勿論、誘ったショウでさえ想像できていなかった。
「ところで君の名前は?ああ、私は九 傷、よろしくね」
「えっと、イア・バーミリオン、です。その、よろしく」