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7. 不信の芽


そこは、王都の外れにある昔ながらのカフェだった。とは言え、貴族が利用するような上等な店ではない。ニスが剥がれたウッドフロアも、ガタついた椅子も、本来ならば上流貴族であるアメリアには一生無縁の物だった。


「伯爵家の令嬢たちには少々落ち着かんだろうが…、良い店だろう?」


仮面舞踏会から、三日目の今日。アメリア以上にこの場に似つかわしくない男は、慣れた様子でカップにミルクを落としている。第一王子フリードリヒ―――アメリア達を庶民の(いこ)いの場へ呼びつけたのは彼だった。


「ここが良い店なのかどうか、わたくしの物差しで計ることはできませんが…。殿下が庶民派だというのは本当の事なんですのね」


アメリアの隣では、ミハイルが退屈そうに通りを眺めている。少し離れた場所にはエルマーが控えていた。


「庶民派ねぇ…」


フリードリヒの(かたわ)らには、やはり背の高い護衛騎士の姿あった。奇妙な一行だ。テラス席に陣取るアメリア達を、通行人が不思議そうに横目に見てゆく。誰もが場に合わせて簡素な(よそお)いをしていたが、庶民に紛れるには至らなかった。


「ここは民の姿が良く見えて良い。王城のバルコニーからでは、人々の実際の生活までは見えんからな」


フリードヒリはクルクルとミルクを掻き混ぜると、シルバースプーンを眺めやる。


「ローズといると、そうした視野が広がっていくように感じる。彼女は下々に寄り添う良い国母になると思わないか?」


それには、虚無の笑みで返答を避けた。しかしそんなアメリアへ、ミハイルが身を寄せる。彼は耳元に唇を寄せると、わざと相手へ聞こえる声で囁いた。


「王子は民を見る目はあっても、女を見る目はないんだね」

「………っ」


吹き出しそうになって、アメリアは慌てて頬に力を込めた。鉄壁の外面で令嬢としての体面は守れたはずだが、心なしか王子主従の目が()わっているような気がした。


「………。二人とも全く手を付けていないようだが、飲まないのか?」


フリードリヒは何も聞こえなかったふりで、手にしたスプーンをソーサーへと置いた。そしてハンドルを摘み、ふと、手付かずのまま放置された二人のカップに眉根を寄せた。


目上の者が用意したそれに、全く口を付けないのは礼に反する。正直気は進まなかったが、アメリアは渋々カップに手を伸ばした。


「ダメだよ、リリィ。こんな出所が分らないもの、リリィの口に入れた事が知れたら僕が父上に叱られてしまう」


しかしアメリアの指先がカップへ届く前に、ミハイルがやんわりとそれを阻む。鹿爪らしい表情の弟に、護衛騎士が眉間に深いシワを刻んだ。


「…なんなら毒見も済ませておりますが?」

「軍人の粗雑な胃腸とリリィの繊細な胃腸を同じに考えないで下さい。こんな泥水を口にしたら、きっとリリィはお腹を壊してしまう…」


不敬に不敬を重ねるミハイルがそれでも許されてしまうのは、天使の如き顔面と、『子供の戯言』にしか聞こえない物言いを徹底しているからだろう。あるいは、天才と紙一重の頭のおかしいシスコンの言葉、と受け流されているからか。


いずれにせよ、ミハイルの言葉をまともに受け取り、目くじらを立てるのは狭量(きょうりょう)な人間のする事だ。そう相手へ思わせる、ギリギリのラインで言葉遊びを楽しむミハイルに、皆が呆れた視線を向けた。


「君の弟はいつもこんな調子なのか?」

「ええ。(おおむ)ねこんな調子ですわね」


『出所の分らない泥水』に、躊躇(ためら)いもなく口を付けるフリードリヒ。芳ばしい香りがする黒い液体は、コーヒーと言う物らしい。紅茶を愛するハインミュラー家では、あまり縁のない飲み物だった。


「…単刀直入に言う。ローズから手を引け」


そうして、サラリと告げられた本題にアメリアは唇を弛ませた。


「仰っている意味が分りかねます」

「君が周囲の人間を使ってローズにつまらない嫌がらせをしていることは知っている。その一つ一つを、今ここでお教えしようか?」

「是非に。わたくしも身に覚えのない言いがかりが一体どれくらいあるのか、お聞きしたいくらいですわ」


王子フリードリヒを前にして、アメリアが怯む事はない。


「女狐が」


可愛げの欠片もないその姿に、フリードヒリがボソリと吐き捨てた。途端、ミハイルがニンマリと口角を吊り上げた。


「リリィが美しい姫狐なら、ローズ嬢は化け狸ですね」

「…なんだと」

「そして殿下子飼いの部下たちは、とんだ駄犬だ」


小ばかにしたしくさったミハイルを、護衛騎士が()めつけた。


「ミハイル・ハインミュラー。お言葉が過ぎますよ」


これ以上は、子供の戯言では済まさない。言外の警告も、ミハイルはどこ吹く風だ。


「上手に狩りが出来ない猟犬など、駄犬でなくて何だというのです?……エルマー」


彼は今までの無邪気さを消し去ると、従者を呼びつける。そうしてゆったりと足を組むミハイルは、食えない男の顔をしていた。


「こちらを」


ミハイルの命を受け、エルマーがテーブルへと滑らせたのは大きな茶封筒だった。それを見下ろすフリードリヒは、怪訝な表情を浮かべていた。


「先日、ローズ嬢のドレスを裂いた犯人です」


これは、その調査書だった。エルマーが言葉を添えると同時に、フリードリヒが茶封筒を引き寄せる。そうして中に入った書類に目を落とし―――動きを止めた。


「レベッカ・エグモント」


ミハイルがそこに書かれた令嬢の名を読み上げる。すると一瞬、主従の顔が強張ったかに見えた。


「ご存知の通り、彼女はクラウス殿の遠い親戚…間違ってもリリィの友人ではありません。何故ならクラウス・ローレンツといえば、先だって当家の顔にドロを塗った男。大事にはしませんでしたが、両家の交流はあの時完全に途絶えております」


あの最初の夜会で、クラウスはハインミュラーの顔にドロを塗り、逆にアメリア達に赤っ恥をかかされている。クラウス本人にも、アメリア達を逆恨みする理由はあった。


加えて、彼の傍らには常にローズという存在があった。彼の恋は成就する事はなかったが、クラウスはよき理解者として何くれとなくローズに手を貸している。それはフリードリヒも重々承知している事だろう。何せクラウスは二人を引き合わせた本人であり、その後も王子がローズと親交を深める上で仲立ちを勤めてきた男だ。


そんなクラウスの縁者が、ローズのドレスを切り裂いた。


「二人の繋がりは明白です。またクラウス殿には、ローズ嬢を害する理由がそもそも無い。…と言うより、彼はローズ嬢にとって利になる事しかしない。そう言い換えても良いでしょう」


周囲の人間に、アメリアの仕業だと思い込ませるやり方で。タイミングで。そうして行われた犯行の、それが真に意味する所は皆を言わずとも分るだろう。


「………、証拠は」


フリードリヒは調査書をテーブルへと放る。その手は若干震えていた。


「令嬢自身が、クラウス殿に命じられてやったと証言しております」


犯行に使われたハサミは、ローズが化粧室に立った際に受け渡されたものだと言う。なお、二人が同じタイミングで化粧室に入るところを目撃している人間もいるようだった。


「まぁ…王子のパートナーであるローズ嬢は、僕達ほかの貴族のように入場の際にチェックを受ける事もありませんからね。刃物を持ち込むのも容易でしょう」


それこそ、ドレスの下にでも隠し持っていたのかもしれませんね。とは、勿論皮肉である。公衆の面前でアメリアのスカート下が暴かれそうになった事を、ミハイルはしっかり根に持っていた。


「犯行に使われたハサミも押収済み……これらは公平性を期すため、当家と関係を持たない王都の警察機関の手に委ねた上での結果です」


その際の公式調書も残っている。疑うのなら、それを確認してくれていい。ミハイルは言う。


「ローズ嬢のドレスはリリィから向かって左側…やや後ろの位置で切り裂かれています。加えてリリィは右利き――…あの時、ローズ嬢に右手を差し出している状態で、利き手ではない方にハサミを持ち、あれだけ注目されている中で周囲に気づかれること無く一瞬でドレスを切り裂くのは不可能だ」


ミハイルの言うとおり、あれは第三者でなければ、まず不可能な犯行だった。


「リリィ本人の犯行ではない上、実行した第三者はローレンツ家の縁者…。本当に『嫌がらせ』を受けているのは、果たしてどちらでしょうね」

「……………」


わずか三日。捜査の実働は、二日と言った所か。よくぞこの短期間で、これだけの証拠を揃えたものである。アメリアは我が事ながら、弟の有能さに舌を巻いた。ただ一つ言うのなら、事前にその情報をアメリアにも開示しておいて欲しいところである。


「……だが。仮に今回の件はそうだとしても、それ以前の事については、君の友人の仕業だろう」


裏は取れている。アメリアを責める王子の声は掠れていた。


「殿下の飼っておられる猟犬たちは、バラの香りで鼻がおかしくなってしまったのかもしれませんわね」

「アリーナ・ハッハ、カミラ・フレーゲ、フリーダ・ゲルツァー、ゲルタ・マイアー…」


数え歌を歌うように、ミハイルが隣で指を折る。それらはフリードリヒが裏を取ったという、ローズに嫌がらせをしていた令嬢たちの名前だった。自称アメリアのオトモダチである。そこには孤児院でアメリアを取り巻き、自慢げに自身の悪事を吹聴していった女たちの名も含まれていた。


「不思議な事に、皆さんわたくしのお友達だと仰いますが、わたくし…彼女達とは一度もお茶をご一緒したことがございませんのよ?」


アメリアは心底困った様子で柳眉(りゅうび)を寄せる。ため息をひとつ、まっすぐにフリードリヒを見返した。


「わたくしの知らぬ所で、わたくしの知らぬ方々が勝手に名前を(かた)って好き勝手なさっているようですけれど…彼女達を辿っていけば、案外今回のようにバラの花に行き着くのかもしれませんわね」


本当に、裏で手を引いているのは誰なのか。

その可能性に、フリードリヒの顔が青ざめた。


「殿下、わたくしの方こそ申し上げます。『ハインミュラーから手を引いて、つまらない嫌がらせはおやめになって』……そう、お伝え下さい」


アメリアは目礼するように、睫を伏せる。


「そうすれば、当家は今回の件を含めて、一切を表沙汰には致しませんわ」


ハインミュラー家は、名実ともに有力な貴族の一つだ。全てを不問に処す。それはある意味、これ以上なく寛大な措置だった。


勿論、ローズに対して(いきどお)る気持ちはあった。けれど正直、これ以上あの女に関わりたくないという気持ちの方が大きかった。


「坊ちゃま、お嬢様」


話のケリを見て取って、エルマーが控えめに声をかける。どこか呆然としたままの主従に、これ以上付き合う義理も無い。アメリアは(いとま)を告げると、ミハイルらと共に馬車へ乗り込んだ。


「そのローズ嬢なんですが…」


車内で向かい合って座っていたエルマーが、レターケースの中から別の封筒を取り出した。中に入っているのは、何の変哲も無い白い便箋だ。


「私の方でも少しお調べしたのですが、どうあっても彼女の素性を明確にする事ができませんでした」


不思議ですね。彼はそう言って、わざとらしく小首を傾げる。


「庶民の出、とは言え…15年の足跡がここまで不透明な人間というのもいささか不自然かと」


手渡された便箋に、アメリアとミハイルが顔を寄せ合う。そこに纏められた調査報告には、ローズが幼少期を孤児院で過ごし、後に今の養父母の元へ引き取られた旨が記されていた。調査書としてはいたく簡素な内容だった。


「それ、僕も調べさせてたんだけど、報告内容はほぼ同じみたいだね」


新しい情報は何も無い。そう言って、ミハイルは座席の背もたれに体を預けた。


「ありがちな生い立ちだわ。特筆すべきが無いから、これ以上の情報がないんじゃないの?」

「それは違うよ、リリィ」


ありきたりな生い立ちではあったが、それでも個人個人、それぞれに持っている背景は異なるものだ。


「ローズと言うこの女、養父母の名前は分っても、産みの親の名前も素性も分らない。その親だって木の又から産まれた訳じゃないだろう?何かしらの手がかりがあっても良いはずなのに、親兄弟の存否も何も分らないんだ」

「それどころか、彼女が預けられていたという孤児院そのものがどこなのか…それすらも分りませんでした」


二人の事だ。周囲への聞き込みは徹底して行っているのだろう。それでも「わからない・覚えていない」と様々な理由から、どうあっても明らかにできなかった彼女のバックグラウンド。


「こんな事、ありえると思う?」


ミハイルの言葉に、アメリアは黙り込んだ。そして『rose』と、調査報告書に書かれた名前を指でなぞる。どこにでもある、ありがちな名だ。姓が無いのも、庶民には珍しい話ではない。そうだとして―――。


「――…ローザでもローゼでもなく、『ローズ』なのね」


あえて異国の発音で読ませるのは、何か意味があるのだろうか。


「素性が不透明なのは産みの親が異国の出身だから、という可能性は?」

「何も分らない以上、否定材料もありませんが…」

「僕はその可能性は極めて低いと思うけどねぇ」


名前同様、凡庸(ぼんよう)な娘だ。その容姿に異国を思わせる特徴は無い。いずれにせよ、『何も分らない』のだ。


(エルマーは優秀な男だわ。ミハイルに至っては悪魔的な聡明さを持つ弟よ)


その二人がその気になって調べても、何も情報が得られない。そんな事はあり得るのだろうか。どこまでも不可解な女の存在に、アメリアは知らず、爪を噛んだ。



(『不信の芽 / 終』)


少しでも楽しんで頂けましたなら、☆等で応援頂けると創作の励みになります。

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